2006/08/27
2008.10.27

第一話 人生というフィールド

「こんにちは。今日の体調はいかがですか?」
 「うん。悪くないよ、ちょっと寝不足だけどね」
 「そうですか。では様子を見ながら今日も頑張ってゆきましょう、よろしくお願いいたします。」

私はフィットネスクラブでパーソナルトレーナーという仕事をしています。

一昔前は、一流のアスリートや芸能人がつけるというイメージの強い、知る人ぞ知る職業でしたが、今は一般的にその名が知られるようになってきました。

パーソナルトレーニングとは、マンツーマンで行うトレーニング指導です。トレーナーはクライアントの身体のくせをみつけてその人に合う、オーダーメイドのトレーニングを提供します。そして、その人の持っている力を最大限に引き出す役目を担っています。

アスリートには競技で勝つという明確な目的があり、そこにピークをあわせて全ての準備が決まってきます。勝ちたい試合で最高のパフォーマンスが出来るよう、選手とトレーナーは一丸となってトレーニングします。

でも、それはアスリートだけでしょうか。

一般のビジネスマン、ビジネスウーマンだって「人生」という舞台においては、最高のパフォーマンスをするために、側で一番理解し、応援し、明確なアドバイスができる人間がいなければいけないと思うのです。

私がそう考え、そして今この職業を選んでいる想いを、まず一番最初に知って頂きたいと思います。

私がなぜ「志ある人のリッチエイジング」を書くに至ったかをお話させてください。



<アニマルのような家族>

私は埼玉県幸手市に生まれ、育ちました。四人兄弟の三番目で、唯一の女の子でした。
 頑固な父は建設会社を営んでおり、豪快な家族の肝っ玉母さんは底抜けに明るい人でした。
 荒川というその名の通り、荒々しいオトコにまみれて、花一輪生けていないような家で育ちました。兄弟で取っ組み合いのケンカをすると、「何やってんだ!並べ!」といわれて生まれた順に並び、「番号!」といわれると「1,2,3,4」と声を出します。
 私は3番目だったので「3!」といっていました。

兄弟は、けんか、バイク事故、車の事故、はたまた宗教疑惑など、幅広い問題を次々と持ってきては家族全員を巻き込んで、「荒川家最大の事件」をいつも更新していました。
 そのたび、父は夜中に病院や事故現場に走り、事故の被害者とケンカしたりしました。また仕事を休んで宗教に走った兄を何日も寝ずに説得したこともありました。私たち4人を成人させる間、父は一度も倒れたことがありませんでした。お酒を飲んで悪酔いし、暴れることもありました。私は殴られたことはありませんが、会話も続かずぶっきらぼうな感じでした。どう接したらよいのか分からなかったのかもしれません。激しい家族でした。 
  でも愛情で守られていました。

<インストラクターになりたい>

短大を経て、就職活動することには、平成6年になっており、日本はバブル崩壊で不景気の始まりでした。就職先は見つからず、やりたいこともしっかり定まっていませんでしたので、受かったところに入って社会人になってから、やりたいことを見つけようと思いました。何でもいいから社会人になって、自分がどれだけやっていけるのか試してみたかった気持ちと、その頃父の会社は傾き始めていて、もうこれ以上親の世話になるのは申し訳ないという気持ちが両方ありました。

生命保険会社に入社し、営業職を3年弱経験しました。営業は社会の厳しさと人の暖かさを知る、とてもよい勉強になりました。その頃「荒川家最大の事件」と仕事のストレスを解消するため、フィットネスクラブでエアロビクスを受け始めました。少しずつ、気持ちよく身体を動かせる快感とスタジオの参加者が楽しそうに笑顔で汗をかいている姿をみて、「インストラクターってすごい」と憧れるようになりました。

社会人になって23歳のときでした。やっとやりたいことが見つかり、すぐにインストラクター養成所に入りました。昼間は営業、夜は養成所の生活を続け、フィットネスクラブが主催するオーデションに合格し、晴れてインストラクターになって少しした頃、父の会社は倒産しました。

<父の挫折と私の誓い>

 倒産する随分前から、父は夜中、よくうなされていました。眠れなかったと思います。
母もそうです。子供には一切大変な素振りを見せませんでしたが、いつも考え事をしていたし、追い詰められるような会話も聞いたことがあります。
 倒産してからは借金の取立てに遭い、家に来たり電話口で脅され、生きた心地がしないような日々が続きました。私はもう家をでていましたが、携帯がなるたびビクビクしたし、アパートの近くに黒塗りの車が止まっていたら自分を狙っているのではないかと泣きそうになりながら、人を疑いながら仕事していました。親戚からもお金を借りていて、批難されました。家族はみんな、言葉ではいいようのないやりきれなさと不安の渦の中にいました。その頃の両親は明らかに病んでいて自殺するのではないかと気が気ではありませんでした。

 弁護士が入り、お金の整理の見通しが立つと、ゼロからスタートしようと、60歳の父は雇われ人として工事現場で働きだしました。「やせ我慢してナンボ」を美徳と考える父は、「久しぶりに現場にでると、何かこう、体がスッキリするな」と言いました。
「体がしんどい」といわれるより数倍、私には辛さが伝わります。私はその言葉を聞いたとき、涙を必死にこらえました。父にずっと健康でいて欲しいと思ったし、もう、笑い飛ばせるくらいの出来事にしたいと思ったのです。

父はその後肺ガンになりましたが、今でもしっかり健康管理をして、平和に暮らしています。


<志を全うするために>

 現在、私はインストラクターの仕事〔運動を指導する〕を経て、パーソナルトレーナーとして、クライアントの身体を見させて頂いています。クライアントは父のような経営者が多くいらっしゃいます。
 私は経営者ではないので、その大変さは言葉にできませんが、リーダーならではの責任感や使命や志を、オーラから感じます。目的が明確な人にはトレーニングしやすいのです。

そんな志に生きる方の、人生の最高のパフォーマンスをそばで応援したいと思っています。力を引き出すため、私の専門分野である「健康」という立場から支えたいと思いました。
冒頭の会話にあるクライアントの「少し眠いけどね」という言葉の裏に、どんな現実があるのか。キツいトレーニングを「情けない」といいながら頑張るクライアントからはハードすぎる日常が見えたりします。

第1話は私の仕事に対する熱い想いのようになってしまったかもしれませんが、一時的な感情で書いているわけではありません。もちろん過去の同情を買うためでもありません。仕事として立場をとり、自分の使命として掲げていることです。それは、「志に生きる人の身体を守る」という私の志です。舞台で演じ切って亡くなる演者のように、それぞれの分野で志しながらこの世を去ることができるようにしてあげたいのです。

次回から具体的にクライアントとのやりとりから、志の応援事例とエクササイズについて、身体のしくみについてお話したいと思います。

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