2006/09/18

第2話 あなたもりんごを切ってみませんか

 結婚後すぐ父や主人のお稽古場に顔を出し、皆さんの名前を覚えることから始まり、舞台を拭く、茶菓の用意をし、お稽古にこられた方とお話をする。会のお弁当の手配から源泉の計算までが私の新しい仕事となりました。河村の家は男は舞台の上のこと。それ以外は女の仕事という感じでしたのでいわゆる裏方全般を仕切るというのが私の役割となりました。

 

義母は大阪の山本家という能の家から嫁いで来ていましたので、ほとんどのことは義母に教えてもらいました。主人は毎月九州や丹後にお稽古に行ってましたし、結婚後大阪に書生に入るという不規則な生活でした。その為義母とのコミュニケーション方が遥かに多く、また実家の父から嫁ぐにあたって「義父母が仮に黒いものを白いと言われたとしてもハイということが私のまた主人の幸せになる」と言われ、結婚後十年余りは義母と結婚したような気がしていました。 着物ということも今までの日常生活になかったので主人の着物の用意、季節の着物の手入れや入れ替え、常足袋と舞足袋の違いなどもいつも義母に聞いていました。

 

また結婚が決まった頃義父が始めた「女性のための能を知る会」の裏方も私の仕事になりました。この会は年2回の当時としては珍しかった一日二公演の解説付きの会でした。普通、会の切符は社中の方にお願いすることが多いのですが、この会は能を見たことのない方に能の普及をということで始めた会でした。何で私だけがしんとあかんの?と思ったこともありましたが、この会を20年近く続けたことで能を見たことのない人にどんな演目が向いているのかということや、初心者がどんな風に能のイメージを持っているか等、得ることがたくさんありました。しかし切符を売るという集客のしんどさも毎回感じ、度重なる赤字の山に最後の数年は府の補助金制度が出来たので利用させていただきました。やったことのないことは必ず自分にプラスとなって返ってきました。

 

能楽師の妻としての生活にも慣れ、長男の子方のお供をして楽屋を回る生活。

社中の方たちとのおしゃべりもそれなりに楽しいし年長の方から学ぶことも多かったのは事実です。でも主人の主催する会や玄人会、能を知る会の裏方の仕事は自分がしますと手を挙げてしたのではなく、言われたままに流れのままにしいてたというものだったのです。ノーと言えない私、そして言われたことはやりますという私がいました。


 能の世界は男社会ですから、いろいろなことの決定権は男の人にあります。でも今迄のように誰かに言われて何かをするのではなく、自分で選んだものを自分らしい方法で表現したい。自分が決めたことをやりたい。今まである既成のものとは違う私らしい何かをやりたい。もう一人の私が叫んでいました。そして入院中の母の「お稽古事はたくさんしたけど救いにはならなかったわ」という言葉と父の「とにかくやってみなさい。やってから考えてもいいのだから」という言葉が私の背中を押してくれました。

 

今の自分に物足りないものを感じ、社会の中で私を認めてほしい。河村家の奥さんとしてではない私を探していたのかもしれません。証券会社の営業も同じでした。そこそこ仕事をするという立場をとる人と、自分の仕事をするという立場の人とでは結果に大きな違いがありました。 自分にないものは出てこないと言いますが、私の中にこのままの私は私ではないという思いが他とは一味違う能という想いに繋がっていったのです。

 

また、楽屋で耳にする能楽師の話を聞き「能楽師の常識は一般人の非常識。一般人の常識は能楽師の非常識」ということを常に感じていました。意識のギャップと言ったらいいのでしょうか。私が聞いても難しいと思う話が能を見たこともない人にわかるはずがない。でも能が600年も続いているのには理由がある。一見退屈で難しい中のきらっと光るもの。それを伝えたい。能のよさ素晴らしさをわかってほしい!そう思った瞬間に浮かんだのはりんごでした。子供の時いつもは縦に切っているりんごを何気なく横に切ってみたのです。するとそこには想像もしてなかった星型の種の部分が現れたのです。今まで見ていたハート型の種の部分とは全く違う形。でも同じりんご。単に切り方を変えただけなのに子供の私には大きな驚きでした。また、りんごを一度も食べたことのない人は赤い皮を見て中も赤いと思うかも知れないし、同じりんごも柔らかいのもあれば、堅いのも甘いものも酸っぱいものもといろいろ。能だっていろいろな面がある。切り口を変えみたら面白いかも。能は動く美術館。室町版ミュージカル。世阿弥ってキムタクみたい。 

 

しかし「女性のための能を知る会」で集客の大変さ、毎回の赤字に泣いていた私はその内容もさることながらチケットを販売することのない会ができないかなと思ったのです。

京都にはたくさんの修学旅行生が来ます。修学旅行は自分が集客しなくてもいいし、人数もある程度まとまる。その内容はお決まりの定番メニューの金閣寺、銀閣寺、清水寺等の神社仏閣がメイン。お寺に行ったことは覚えていてもそこで見たものはごちゃごちゃ。せっかく京都に来たのに日本的なものに触れる機会をもってほしい。見るだけでなく経験する能。参加体験型の能って、できるんちがうのん?またもう一人の私が言っていました。

 

以前から常々感じていたことのひとつに日本人が日本のことを案外知らないということがありました。海外出張の多い弟が「外人と仕事し、食事に行くと必ず日本の文化が話題になる。でもそのとき意外にというか、あまりに日本のことを知らない自分に愕然とした」ということを話していました。クイズ番組で「100人の人に聞きました」というのがありましたが、例えばベートーベンの第九の喜びの歌の部分を「曲名か作者は誰でしょう?」と尋ねればほとんどの人が答えられるし、名前は出てこなくても聞いたことあるというのが99パーセントの平均的日本人でしょう。でも邦楽はどうでしょうか?明治以降の音楽教育により、外国の音楽であるクラッシック等は、耳にもするし教養のひとつとして身についています。このことは素晴らしいことと思いますが、数百年の歴史のある邦楽についてどのくらいのことを答えられるでしょうか?能の囃子と歌舞伎などの囃子の違いって知ってますか?私自身もこの世界にいなければ多分答えられなかったと思います。

ピアノや他の楽器は聴く機会も演奏する機会もある。でも小鼓って見たことある?生の囃子の音って聞いたことある?コマーシャルの中の音しかしらないでしょう。それってどこか変やし不自然。「お餅もいいけどカレーもね」ならぬ「お寺もいいけど、能もいいよ」若い人たちに能を見てほしい!面白いか面白くないかは見てから判断して!やらずに後悔するよりやって後悔して。どんな美味しいものでも食べてみなければ分からないのと一緒。修学旅行生に能という名のりんごを切って、味わってみてほしい。彼らにどんな味がしたか聞いてみたい。そう強く思うようになったのです。

 

そう思った私は思いをすぐに行動に移しました。中央図書館に一日籠り重い電話帳をひたすらコピーし手作りのDMを旅行社に送ったのですが反応は限りなくゼロ。次にとった行動は旅行社に行くということでした。一度目は没。二度目も、でも三度目で東海地区の営業マンの集まりに呼んでくださり10分の時間を下さったのです。そのときの私の話を聞いて下さった方が自分の担当の学校を紹介してくださり、翌年の平成9年に2校の学校が初めて「能楽おもしろ講座」を観てくださいました。やってみようと思ったらすぐ行動する。これがスタートでした。

次回は能についてお話してみます。知ってるようで知らない能の世界。能を一度もみたことのないあなた、見たことあるけどほんとは見てないあなた、私と一緒に覘いてみませんか?

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