2008/01/21  

13話  男時 女時

「男時、女時」(おどきめどき)これは今から600年以上前に書かれた「花伝書」(風姿花伝)の中に出てくる言葉です。なんだかドラマの題のようですね。

 「花伝書」は600年以上前、観阿弥が息子の世阿弥に口述で残した芸術論ですが、以前にもお話したようにこれは今読んでも、成る程と思うことが多い人生の書だと思います。

 

 男時とは人生でいろいろなことが盛んで勢いがあるとき、女時とはその逆でいわゆるついてないときや逆境の時ということです。今は女性の方が何かにつけて強いので逆のような気がしますが当時は男性中心の社会でしたからこういうことなのです。

 原文は「また、時分をもおそるべし。去年盛りあらば、今年の花はなかることを知るべし。時の間にも、男時、女時とてあるべし。いかにするとも、能によき時あれば。必ず悪きこと、またあるべし。これ力なき因果なり云々」とまだまだ続くのですが、この中で力なき因果と言っているのは、人の力ではどうしようもないことという意味です。これは、私たちが今使っている因果応報という仏教的な意味ではなく、とても現実的なこと。つまり懸命に稽古をすればよい結果や名声を得られるということ。しなければ得られない。しかしそれでも人生努力してもどうしようもないことが力なき因果ということなのです。

 

花伝書は芸術論ですが、観阿弥は生き残るための知恵、兵法書のようなものを世阿弥に残したかったんだと思います。というのも当時は座と呼ばれていましたが、今風に言うなら芸能プロダクションが近畿圏にいくつも存在していて、ライバルがたくさんいたのです。

他の座からの引き抜きや内部での座員同士の軋轢等もあったに違いありません。

 

今でもそうですが人気、人の気ほどうつろいやすい儚いものはない。「昨年まで、あれ程マスコミで活躍していたタレントが・・・」なんて話しは枚挙に暇がありません。

「芸と人気の両方あれば本物なのでしょうが、芸の力はあまり無いけど人気だけが先行しているタレント」。「芸は凄いけどいまひとつ人気に結びつかない芸人」。いつの時代でも一緒ですね。

 

人は落ち込んだり、駄目だと思うときには出来るだけのことをしようと頑張ります。でも、やってもやってもうまくいかないときってありますよね。そして、そのどうしようもない女時にはどうしたらよいか。「そういう時は無理をせす、時の流れに逆らわず、勝負に負けても気にせず力をためておけ。」「そうすれば大事な競演の時にきっと勝ちを得ることが出来る。」「一番大事だと思うときは、得意なものを技を尽くしてやるのが良い。」「神であれ、自分であれ、信じることから良い結果が出るのだ。」と述べています。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。人は何だか調子が悪くなると必死で回復しようと頑張りますが、それでも上手くいかない時は肩の力を抜いてリラックスして息を吐いてみよう。というアドバイスですね。

やることはやったんだから後は神様に聞く。天を仰いで答えを待つ。

頭で書かれたものではなく、彼の人生の経験から生み出されたと、超現実的な使える書だと言っても言いと思います。

 

600年前と人の心は一緒と言っても、今の私たちは想像出来ないほど早いスピードと、ものすごい量の情報に囲まれて生活しています。

子供の時には考えられなかった生活。あまりにテンポが速くてついていくのにふうふう言ってしまいそうじゃありませんか。不透明な時代。答えもひとつではなく、たくさんある時代。もうどれを信じたらいいの、何が本当のことでどれがうそなのかわからない日々。

こういう時こそ、周囲の情報ではなく自分を信じることが大事だと思います。

そしてこれが簡単そうで、なかなか難しい。ぐらつく心。他の人を見てあせる自分。

しかし、どんなに運のいい人でも必ず浮き沈みがあります。浮いているときは見えないものが沈んだ時見えることもあるでしょう。

世阿弥は少年時代にあれよあれよという間にスーパースターになります。足利義満の寵愛を受け、時代のアイドルとなりますが、義満の死と共に将軍の好みも変わり不遇な時代を迎え、長男の死、次男の出家、晩年には佐渡へ流されます。きっとそんな不遇の時代に世阿弥はこの父の言葉を何度も思い出したことと思います。

 

 

少し前ですが、京都の青蓮院というお寺でおみくじを引きました。ここのおみくじはきちんとした作法があります。作法に則りしっかり祈りや願いを込めて引きます。私は大吉でいいことが書いてあったのですが、冒頭に「深山多養道」とありました。解説の文章を読むと「深山の中にありて修行するをいふ。これは人に内心に誠をつくすべきたとえなり」とあります。「この修行をしなければ君子の位を得ても凶となる。」「これを行えば願い事が適う」という意味のことが書いてあったのです。私はこのとき「女時」という言葉を思い出していました。

また先日沖縄で何気なく手相を見てもらったら「ひとつだけあなたにアドバイスをしますね。困難なこと大変なことが起こったら動かず待ちなさい。静かに待ちなさい。そうすれば霧が晴れるように解決します。」と言われたのです。そしてもう一人、私の尊敬する方からも「待ちなさい。待っていいのですから今は待ちなさい。」と。

これは私の女時かもしれません。私は自分が行動することで今まで周囲を巻き込み変えてきました。やりたいことは行動することでしか解決しない。そう強く信じていました。しかし時を読み、時を待つことで物事が変わることもあるということに気付きました。自分の外、周囲を変えるのではなく自分自身をじっと見つめることが今の私に必要なこと。    600年前に生きた世阿弥のアドバイスに従い、自分を信じ今解決すべき目の前のことをやろうと思います。なにより大切なのは自分を信じる力を持つことです。自分が信じられず誰を何を信じられるのですか。

能の身体の動きも表面の筋肉を使っているようですが、実はいま流行の深層筋を使っているのです。

そして世阿弥にはどんな時にも精進に精進を重ねた揺るぎない芸への自信があったからこそ、それが出来たのでしょう。

 

世阿弥は天才だと思いますが、最近は、観阿弥パパ恐るべし。と思っています。

あなたも何かあったときは「花伝書」読んでみてくださいね。意外な、でも納得する答えがいっぱい隠されていますよ。

 

                               続く

志あるリー ダーのための「寺子屋」塾トップページへ