2008.07.14 

第15話 修学旅行雑感 その1

七月になり京都の町もコンチキチンのお囃子が聞こえて賑やかになってきました。

 私は六月の末に春の修学旅行が終了。

 夏は若干のイベントはあるものの久方振りの何もない毎日です。修学旅行生と過ごすのは、たった一時間かどんなに長くても二時間。でも数をこなしていると、今まで気がつかなかったり見えなかったことが見えてきます。

 今回はこの春感じたことというテーマで書いてみようと思います。

この前半戦でうれしかったことから。

 能が終わった後、質疑応答の時間があるのですが、一人の男子の生徒が「河村さんはこの仕事をしていて、何が一番うれしいですか。仕事をしている喜びはなんですか?」と聞いてきたのです。今まで質問と言えば「使っている刀は本物ですか?」(ちなみにこの質問に関しては、もし本物だったら私は銃刀法違反でとっくに逮捕されています。と答えています)等知識や歴史に関するものが圧倒的に多いのです。

 私はこの質問を聞いた瞬間、来たー!と思わず心の中で叫んでいました。そして「君がこういう質問をしてくれることが私や舞台に立っている人にとって大きな喜びです。」と答えました。何のために仕事をするのか。私にとっては、見た人によろこんでもらえること。というより舞台という生のステージはお客様との見えない聞こえない会話をしているようなものですから、例え一時であっても、一回限りの出会いであってもそこに何らかのエネルギーのようなものがお互い生まれる瞬間に立ち会うことが大きな喜びなのです。

 この子が仕事をする喜びについて考えてくれたことがすごくうれしかったです。

 ニートの子供たちに関わる機会があったのですが、彼らに仕事をしてどんな瞬間がうれしかったかと尋ねたことがあります。ほとんどの子が出来たという達成感というより、誰かに喜んでもらえたということを述べていました。

 どんなささやかなことでも、人は誰かに何かしてあげること尽くすことに喜びを感じ、幸せになると私は信じています。

 また「感想でもいいですか?」その質問の次に手を挙げた男子が「僕はサッカー部です。毎日部活でボールを蹴っています。今日この能のワークショップを見て、道具は大事にしなくてはと思いました。僕はこれからもボールを蹴り続けますが、ボールを大切に扱います。ありがとうございました。」と言ってくれたのです。

 面を扱うときに面袋から出し面に一礼します。これは面に対する敬意や感謝なのです。

 また囃子方が道具を扱うときのしぐさ等を見て、「道具は大事に扱いなさい。」と言葉で言わなくても感じ取ってくれたのです。

 入ってきた時「こんにちは」という私の挨拶に「こんにちは」と言ってくれますが、てんでばらばらで、只大声を出す子や胡坐をかいていたり、正座のこがいたりと様々なのが、最後の「これで終わらせていただきます。」と私が言ったらほとんどの生徒が正座をして、(中には椅子に座って正座する子もいます)しかも手をついて声をそろえて「ありがとうございました」と挨拶してくれるのと一緒なのです。

 言葉ではなく感じる。空気が読めるようになっているのです。

 

 この学校は250人位の規模でしたが、通常この規模の学校だと入ってから全員が着席するまでに10分から15分かかるのですが、何と7分で着席できたのです。大声を出す事無く、先生方は一人ひとりの生徒の名前を呼びながら誘導していました。二階は大抵騒いでいるのですがとても静かなのです。上がってみると誘導の先生のお声がほとんど出てられないのです。騒いでいる生徒は皆無でした。そして最後に年配の先生が車椅子の生徒を降ろしおぶって入ってこられ、一番後ろの椅子席に座られました。

 終了後、いつもの様に客席に降りて行った私に、この先生が「この生徒に近くで舞台を見せてやってもいいですか?出来れば舞台に上がって見せたいのですが」と尋ねられました。普通、舞台の上は足袋をはいて下さいと言うのですが、この生徒は歩けない様子でしたし、思わず「どうぞ」と答えていました。先生は負ぶったまま舞台に上がられ、その子に話しかけられました。「どうや、舞台の上からみると景色が違って見えるなぁ。この景色を忘れるなよ」

 そして降りてこられ別の生徒に「河村さんの話覚えてるか?お前が大人になって結婚したら奥さんとここにもう一度来いよ」と。

 後で他の先生から、先ほどの先生は校長先生だったことを伺い、この学校が7分で着席できた秘密がわかったような気がしました。

 或る時、京都の大学の改革をされた方とお茶を飲んでいるとき私に「一匹の羊が10頭の狼を率いるグループと一頭の狼が10匹の羊を率いるのとどちらが力を発揮できると思う?」と質問されました。これはリーダーシップ論なのですが、今の時代何かを本気で変えようと思ったら一頭の狼が必要何やということなのです。

 たった1時間の出会いの学校でしたが、私には忘れられない先生と生徒でした。

                               続く

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