2011.10.10
第3話 「どこでも茶室」
旅行の時、私は茶籠を持って出かける事があります。特に海外旅行の時は持参します。茶籠とは、15×20×10cmくらいの籠の中に抹茶、茶杓、茶碗、茶筅などの茶道具をコンパクトにまとめた携帯用の茶道具セットです。
そのきっかけになったのは、10代の終わりに、友人のヒサコを訪ねてロサンジェルスに行った、その帰路の飛行機での出来事でした。
私の隣には、60代後半のフランス人のご婦人が座っていました。
私と目が合うと優しいスマイルをしてくれました。離陸して間もなくすると、ご婦人は本を読みはじめました。自然なカールの白髪とパールのピアスからもエレガントな雰囲気を醸し出し、そのご婦人にすっかり魅せられてしまいました。
食事中に、ご婦人は片言の英語でこれから行く日本のことを尋ねてこられましたが、私の片言の英語では、なかなか思うように通じませんでした。
この素敵なご婦人に、これから向かう日本の事を説明して差し上げたいにもかかわらず、うまく思いを伝えることができなくて、もどかしい思いをしていました。
『そうだっ!』食事の後、お茶を点て差し上げようと思いつきました。
言葉より実践です。
客室乗務員に白湯を持ってきてもらい、私は茶籠を広げてお茶を点てはじめました。するとご婦人は、私のお点前をじっと見ていました。
抹茶を茶碗に入れて、お湯を注ぎました。お茶を点てる茶筅の音やお抹茶の香りが二人だけの時間を創りだしていました。
不思議にも、そこには茶室で感じるような、凛とした中にもゆったりとした流れがありました。
「日本のお茶を飲んでみませんか?」とたどたどしい英語で話しかけました。ご婦人は、微笑んで「イエス」と答えてくれました。
ご婦人は読みかけの本を閉じ、自然に背筋を伸ばして両手でお茶碗を包むように持ち、ゆっくりと、お茶を味わってくれました。お点前のことも、お茶のことも知らないご婦人のはずなのに、優雅な佇まいに私の方が見入ってしまいました。
機内の二人の席が一瞬で茶室になったようでした。
畳の上でなく、壁で仕切られていなくても、どこでも、どんな方とでもお茶を共有する事ができました。まさか、太平洋の上空でお茶を点てるなんて、夢にも思っていませんでした。
お互いに何をしている人か、どこに住んでいるのかと話しをすることなく、ただ一緒にいることができました。
ご婦人とはそれ以来お会いしていませんが、20年経った今でも鮮明に思い出される光景です。私にはお茶があったから、言葉が通じない外国のご婦人と、怖気づくことなく、時間を共有することができました。
今できる事で相手に向き合うことができた時、思いは通じるのだと実感しました。
10代の終わりに、飛行機でお茶を点てた体験は、その後の私に大きな影響を与えています。今だから言える事ですが、ご婦人に出会い、少しの勇気を持ってかかわった事が、一人でも多くの方へお茶の素晴らしさを伝えるきっかけになっています。
あの時のお互いに尊敬した関係があまりにも心地よく、時の流れが、こんなにゆったりと温かいものもあるのだと知りました。
そして、お茶は、茶室にあるのではなく、私の中にある事を知りました。
この思いが、私を突き動かし、一人でも多くの方と一緒にお茶を味わいたい、一人でも多くの方に心が温かくなるお茶を味わっていただきたいと思っています。
また、お茶を指導する実践を通して、日本の文化の素晴らしさ、日本の精神の気高さに触れることができました。私はお茶を通して、いえ、日常に和のおもてなしを活かすことで、日本の素晴らしさを伝えていきたいと思っています。