2011.12.20      

6話 『もてなす力、もてなされる力』

「お茶を一服いかがですか?」このおもてなしの言葉に、あなたはどう反応しますか?

 「いえ、結構です」と遠慮するでしょうか、あるいは、「はい、頂きます」と言うのでしょうか?

あなたは、お客さまにおもてなしをしようとして、それを受け取ってもらえなかった経験はないですか?逆に、あなたのおもてなしに過剰に感謝された経験はないでしょうか。

もてなす力があるならば、もてなされる力もあるはずです。
 
 おもてなしは、相手がいて初めて成り立つのですから、素敵なおもてなしの受け方をしたくありませんか。

日常のおしゃべりでも、あなたの話す内容に関係ないことを一方的に話された経験はありませんか。貴方が熱心に話していても相手の反応がないとき、相手は話を聞いてくれているだろうかと心配になったことはありませんか。また、相手の反応を期待し過ぎて、自分や相手を疲れさせては身もふたもありません。

いったい、もてなす、もてなされるとはどういうことなのでしょうか。

それは、温かい穏やかな気持ちになれる時間が継続することでしょうか。家でくつろいでいるときのような平常心でいられる状況なのでしょうか。あるいは、何かを期待して、ワクワクドキドキするようなものでしょうか。

ある夏の京都での出来事です。友人の家に遊びに行きました。友人の家族がいつも過ごす八畳の和室には、夏の葭簀戸(よしずど)、籐のゴザが敷かれ、その上には、家族の歴史を感じる机が置かれていました。蚊取り線香の匂い、庭からは蝉の鳴声が聞こえてきます。

扇風機の風が有難いそんな暑い日に、机によっかかりながら、私たちは他愛もない話で盛り上がっていました。そこへ友人のお母さんがお茶のお稽古から帰ってこられました。お母さんは、お茶歴20年で、いつも美味しいお茶を点ててくれました。久しぶりの再会でした。

しばらくして、着物姿からスカートとTシャツに着替えたお母さんは、いつもそうだったように、お抹茶を点て、お稽古の帰りに買った水羊羹を「ゆっくりしていきや」と出してくれました。お母さんの自然な微笑みと「ゆっくりしていきや」のたった一言が、私たちの他愛もない話しを尊重してくれるようで、なんとも言えずうれしかったです。

わたしは、「はい!」とだけ応えました。

ふと庭の方を見ると、お母さんは庭に水やりをしていました。草花が水を含みしっとりして、私たちの居た和室にもひんやりした風が届きました。

その後、お母さんは、ふすまを隔てた隣の部屋で家事をしている様子でした。お母さんの淡々とした動きは、隣の続きの部屋で作業している気配を感じる程なのに、なんとも居心地が良いものでした。

和室に居た私たちは、和室と続きにある縁側に移動しました。その時にお母さんの洗濯物を畳む姿が目に入り、お母さんの額に汗が光っていました。私は、立つときに、自然に扇風機をお母さんの方へ向けていました。お母さんは、さわやかな風を感じたのでしょうか、少し私の方を向き、微笑んでくれました。

その微笑みに、胸がキュンとなったのを覚えています。お母さんの素敵な“もてなされかた”に、魅了されたのです。

暑い夏の日でしたが、まるで、春の木漏れ日の中で、縁側に座っているような空間でした。気負いのないやり取りがなんとも心地よく、胸には温かいものが育っていました。

どちらがおもてなしをしているのでしょうか。どちらもおもてなしをし、もてなされていると言ったらよいのでしょうか。

おもてなしを自然に受け取ってもらえたとき、また、この方に何かして差し上げたいと思う“おもてなしの気持ち”が湧いてくることは自然なことなのでしょう。この自然な気持ちを相手に持たせることができることを「もてなされ力」というのかもしれません。

心に残るおもてなしは、実際には、もてなす方ともてなされる方の阿吽の呼吸で進行していきます。あなたももてなされる達人になりませんか。

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