2012,05.04        

63話:SEIKI交流隊×石巻
フレンドシップ2011 その4

成基の子どもたちを被災地に派遣し、被災地の子どもたちと交流を図るフレンドシップ2011年のプログラム。津波で壊滅状態になった被災地、石巻市を訪問し、現地の子どもたちの体験談を聞いて友好を深めた経験は、成基の子どもたちにとっても今までにない体験学習になったことだろう。こうして多くの「気づき」と「未来への新たな課題」を宮城県からもらった子どもたちは、8月12日の朝、仙台を後にした。

そして、もうひとつ忘れてはならない被災地、福島県へと向かったのである。

交流隊は仙台から福島県郡山市に同日午後12時半到着。郡山市は福島第一原発から60キロ圏内と比較的近い位置にある町だが、実際には人々は何ら変わりなく生活しているようだ。

到着後には、緊急キッズ募金の贈呈式が、福島県須賀川市プリムラ保育園の熊田園長を前に行われた。

この義援金は、2011年3月24日から4月28日まで「緊急キッズ募金」として行った募金活動で集められたお金で、東日本大震災で被災した子どもたちのために使ってもらおうと弊社で緊急企画されたものである。緊急キッズ募金で集まったお金は総額956,435円。

このうち熊田園長に贈呈した50万円は震災孤児の養護施設を作る資金として使われる予定で、残りの45万6435円は、津波遺児支援のために使っていただくため「あしなが育英会」に寄付させていただいた。

募金贈呈式が終ると、原子力発電のことも含め、今の日本のエネルギー事情を勉強するため、自然エネルギーの研究者、松原弘直さんにお話を伺うことにした。

今の世論では、原子力発電をなくそうという意見が圧倒的に強い。

そのためにはどうすればいいのか−。

松原さんは原子力に代わる自然エネルギー(太陽光エネルギー、燃料電池、風力発電、地熱エネルギー)について解りやすく説明してくださった。

その話を受けて交流隊の5年生(ニックネーム:しゃちょー)は、こう感想を述べている。

「自然エネルギーを増やしていくことは、みんなで理解し、協力することが大切です。」

原発が悪いという動きが始まっていますが、今すぐに原発をなくすことはできないそうです。なぜなら今原発を止めると、産業用の電気が足りなくなる。また火力発電に切り替えると地球温暖化などの環境問題にぶつかるからです。だから、一概に原発はダメではなく、まずは知識を得て理解する。そして、自分たちにできることを探し、正しい知識のもと、みなで協力し合って、一秒でも早い復興を目指すことだと思います。

交流隊の中で見たビデオでこんな言葉がありました。

“すべての仕事はつながっている。仕事は人を助けるためにある。仕事は人を幸せにするためにある”その言葉どおり幸せな未来とは、人を幸せにする仕事から生まれるということです。そのためにはまず相手を理解し、協力していくことだったのです。

東日本大震災をきっかけに「絆」という言葉があちこちでつぶやかれるようになり、その意味の深さに改めて想いを馳せた方も多いだろう。

「絆」という言葉と隣り合わせにあるのは「自分以外の人」「それらの人との協力(深い結びつき)」ではないだろうか。

そして他人との深い結びつきを創るためにはお互いを「理解」することが必要なのだ。

しゃちょーは、この「絆」の真意を、交流隊の体験で身を持って学び、将来自分のやるべきパーソナルミッション(仕事)とうまくリンクさせたのである。

「ぼくの夢は報道の仕事につくことです。報道は“何がどうしたから、どうだ”という事実を伝えるだけではなく“これを助けてください”という呼びかけにもなるからです。すべての仕事がつながっているのなら、交流隊のみんなと、もう一度出会えるかもしれません。交流隊の仲間とは一生の付き合いにしたいです」

しゃちょーの目がきらきらと輝いていた。
 
 その後、郡山市を出発した交流隊は、その日の夕方には東京で途中下車し、今回の活動報告をするため、首相官邸を訪問した。交流隊が内閣官房副長官、福山哲郎さん(当時)に招かれたのである。

そこで彼らは、石巻市の様子、石巻の仲間との交流、夢航海図、原子力発電の講義など4つの項目について報告をした。

福山さんは終始笑顔で子どもたちの報告を熱心に聞いた後、一枚の花の絵を子どもたちに見せた。

その絵は福山さんが、福島県を訪問したときに現地の画家の方が描いてくださったもので、この絵の裏には彼らの要望書があるというのだ。

そこには、農業を早く回復して欲しいことや、原発をなくしてほしいという思いが綴られていた。

福山さんはこの絵を事務所の目立つところに飾り、絵を見ながら、「必ず彼らの気持ちに応えてみせる」と日々自分自身に言い聞かせているという。

被災地の方々の強い念が込み上げてくるように描かれたきれいな水芭蕉は、私にとってもとても印象的だった。

「福山さんは、論理的にも人情的にも両方の教えを汲み取ることができる人で、すごいなと思いました。本当の日本を考えている人ですね」

子ども達全体の福山さんに対する印象である。

福山さんに、しゃちょーが質問をした。
 「福山さんが、ぼくら、次の世代に望む未来って何ですか?」

しゃちょーの問いに福山さんはこう答えた。
 「未来は君たちみんなで創っていくものです。大人は口出ししません」

この言葉を聞いたしゃちょーは驚いた様子で言った。
「幸せな未来を・・・とか、明るい未来を・・・とか、そういう答えが返ってくると思ったのに、未来をぼくたちに委ねてくれるなんてびっくりしたけど、とてもうれしかったです!」

この時、しゃちょーは、あの言葉を再び思い出していたにちがいない。
 「すべての仕事はつながっている。仕事は人を助けるためにある。仕事は人を幸せにするためにある」

そして福山さんの言葉を受けて、私はこう続きを加えたい。
 「仕事は、明るく幸せな未来を創るためにある。君たちはその将来を創るためにある」

首相官邸を後にし、京都に戻った頃にはすでに午後10時を過ぎていた。

作文から始まり選ばれた交流隊の18人が過ごした計4日間は、思っていた以上の心の財産を、子どもたちの中にもたらしてくれた。

しかし、この財産は、まだまだダイヤモンドの原石に過ぎない。

この経験を彼らが忘れることなく、原石を磨き続け、どうダイヤモンド(幸せな未来)に変えていくのかが最も大切なことなのである。

しゃちょーが言っていた「互いを理解し、協力すること」を大切にし、大人になっていけば、11歳の心の財産は、ダイヤモンドの原石から、本物のダイヤモンドへと変わる。

そして、本物のダイヤモンドを持った子どもたちこそが、近い将来、明るく幸せな未来をつくる仕事をしてくれるのである。


 


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