2006/12/11  
2008.07.22  

第4話 姿勢と視線と行動の3分間エクササイズ

教育は百年の計

 

教育は百年の計ともいわれ、どのような教育が行われるかは私達に大きな影響を与えます。自国の事はなかなか気づかないものですが、近隣の国の様子を見るにつけ、教育の影響の大きさを感じます。

教育基本法の問題が取り上げられていますが、教育現場はどうなのかを見てみようと思います。
 

いま教育現場は

 

マスコミでは教師や教育界の問題点を多く指摘しています。確かに教師や教育界の在り方を見直す必要はあるでしょう。しかし多くの先生は真面目に一生懸命やっています。小学校の教師を21年間していたからといって、教師の味方だけをするつもりはありませんが、年々教育がやりにくくなっているのは事実です。

 

例えば、世間や親の教師に対する態度が変わってきています。一昔前は、我が子が担任から叱られたとき、担任に抗議をするということはほとんど聞きませんでした。

先生に拳骨をもらった子どもが、そのことを親に言おうものなら、「お前が叱られるようなことをしたのが悪い」と親にまで叱られる時代でした。教師の権威(権力ではない)はこうして守られ、結果的に教師の指導が子どもにも入りやすかったのです。

 

 

いまから30年ほど前のことです。小学1年生を担任していた若い男の先生が、1人の子どものほっぺたを叩いたということがありました。そのクラスの親達はそのことを知っても先生を批判することはありませんでした。もちろん叩かれた子の親も担任を批判することも文句を言うこともありませんでした。むしろ、よくやってくれたという親の声のほうが多かったのです。

 

その出来事は1年生の最初の授業参観の日に、多くの親が見ている前で起こったのです。

授業の後半頃に、やんちゃなS君が、いつものように他の子にちょっかいをかけ始めたのです。そのときの担任とS君の会話です。ちなみにS君は6年生と4年生の兄がいて、兄がついているから、友達の中でもかなり気ままに振舞っていました。でも素直でとても可愛い子どもでした。

 

「S君、もう少しで終わるから、勉強頑張ろうね」

「先生、今日は優しいな」

「お母さん達が見ているから優しいのは当たり前。S君も叱られるのはイヤだろ?」

「先生、よう叱らんのやろ!」

親が見ているから叱られることはない、という経験が、幼稚園のときにあったのかもしれません。かなり挑戦的で自信に満ちていました。

「叱って欲しいのか?」

「叱れるもんなら叱ってみい!」

(小学一年生の言葉です。これが・・・・)

「よし、叱ってあげよう!」

子どもの願いを叶えるため、担任はS君の席のところまで行き、ニコニコしながら、パシッ!とS君のほっぺたを叩いたのです。いくら憎まれ口を言うとはいえ、まだ1年生ですから、「ワーン」とS君は泣きました。

「はい、今から学級会にします。S君がなぜ泣いているかグループで話し合って・・・」

 

そこにはS君の母親もいました。

授業参観後の懇談会にも、ほとんどの親が残っていましたが、担任のやり方を批判することもなく、S君の親も他の親もニコニコと何事もなかったように話が盛り上がって懇談会が終わりました。

 

叩くことはやはり許されるべきではないですが、ここで私が言いたいのは、親の態度のことです。「よく本気で叩いてくれた」「先生も大変ですねー」と、親は教師に好意的だったということです。

 

いまの時代に、同じことがもしあったらどういうことになるでしょうか。暴力教師ということでマスコミに叩かれるかもしれません。(苦笑)

ちなみに、近頃の子どもたちは、もっと憎まれ口をたたくようになっています。

 

親と教師がお互いに批判しあうのではなく、子どもをどう健やかに育てるかということで一致して取り組めたらいいですね。

相手を批判することをやっていては、ステキな世界は広がらないのは、世界情勢を見ても明らかです。教育は、相手を思いやる心から始まるものなのです。

 

子どもの変化と教育状況

 

年々子どもの質が変わってきているのを、ひしひしと感じています。いま荒れている6年生が1年生だった時よりも、現在の1年生の方がはるかに問題が多く、この子達が6年生になったときは、いまの6年生以上に問題が起こるだろうとよく思ったものです。授業中に勝手に席を離れる子がいるのが珍しくなくなってきています。

 

その上、週休二日制になり、ゆとり教育と言い出した頃から、教師は非常に忙しくなっています。とにかく、会議や打ち合わせが多く、教師の本来の仕事である、子どもと一緒にいる時間も少なくなっていると、友人の教師は嘆いています。「子どもと共に」ということが物理的にできにくくなっています。

 

教育基本法が改定されるようですが、教師が子どもではなく校長や教育委員会や文部科学省のほうを気にしなくてはならなくなり、ますます子どもの指導が難しくなっていくような気が私はしています。親や世間の目を気にして、思う存分に教育力を発揮できない状況がますます強くなるでしょう。

いじめの問題は、ただ単に子ども達の中の問題ではありません。大人も生きにくくなっているのです。教育を取り巻く社会状況のしわ寄せが、弱い立場の子どもの中に顕れているのがいじめです。

いずれにしろ、他の責任をとやかく言うより、現在の目の前にいる子どもにどう接したらいいのかを、親も教師も教育に関係する人も、そして私達も本気で協力して子ども達を育てていく必要があります。

 

死なない教育

 

家庭教育や学校教育、社会教育、生涯教育といろいろありますが、教育で一番大切なものは何でしょう。

私は「死なない教育」「何があっても生きぬく教育」が大切であると思っています。親や教師は、意図的に「なぜ死んだらいけないのか」を教え、「生きることの素晴らしさ」を伝えることです。そのためにも大人が元気で生きることです。

 

誰でも、困難なときの解決策に「死」を選ぶ要素を持っているそうです。死ぬ以外に解決策がないと思ったり、これ以上苦しむのは嫌なので死んだら楽になるだろうと、死を選ぶことを考えるのです。

首吊り自殺をしようとした経験のある人の話を本で読みましたが、縄をもって、死のうと決めた場所に向っている途中に、車に轢かれそうになったときのことです。

「あぶないなー!気をつけろ!下手をしたら大怪我をするところだった」と思いながら自殺すると決めた場所に向ったというのです。いまから自殺をしようという人が、怪我の心配をしているって変ですが、そのくらいおかしい精神状態だということです。

自殺を考えるとき、人は正常な判断ができなくなっているのでしょう。本人だけでは解決できないのかもしれません。最近笑いが減ったと思ったら、早めに周りに助けを求めてください。

 

また、それほど思いつめていなくても、うつ傾向が続いて、生きているのが面倒になって、ちょっとしたことで死ぬこともあるかもしれません。こんな場合はよほど気をつけていないと分かりませんが、普段からよく観察していて、何かおかしいという直感を磨くことです。

 

誰でも死にたいと思うことはあるかもしれません。そのときに思いとどまるかどうかはほんのちょっとしたきっかけです。

私のところに相談にきた方は、「死んだら無になり何もなくなる」と思っていました。死んで無になるならいいですが、どうもそうではないようですよ。

 

もし、いま、嫌なことがある方、苦しんでいる方があれば、次のことを実行してみてください。問題のない方もご一緒にどうぞ。

1.立って、嫌なこと、苦しいことを考えたまま背中を伸ばし、両手を上げて「アーー」と言いながら大きく伸びをします。

2.顔は正面に向け、視線だけを上60度に向けます。

3.背中を伸ばし胸を張り、目線を上60度にしたまま、少し微笑んでみましょう。

4.そのまま「まあいいか!何とかなる!」と出来るだけ大きな声で何度も言ってみましょう。

5. 後は気持ちいいように、伸びをする、体を動かすなどご自由に。

 

「目線が上」、「背中を伸ばす(胸を張る)」、「無理やりでも笑顔」「声を出す」、「身体を動かす」がポイントです。

・   ・・・お試し時間 3分・・・・

・    

いかがでしたか?不思議なことに、このように姿勢と視線と行動を変えただけで、元気になるのが私達です。これでよくならない人は相談機関に行かれることをお勧めします。

自分や家族が目線を下に落とすことが増えたり、笑いが少なくなったら要注意です。

背中を伸ばし、胸を張り、上を見る。

そして少し微笑んでみる。

人生はそれだけで好転します。

 

今日もいい一日になりますように!!

 

続く

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