2010.04.06  

第19話 「和の精神をテクノロジーにする」 

聖徳太子の一七条憲法(604年)を読んだことがありますか?

この憲法には、儒教も、仏教も、神道の思想も含まれ、自分だけが正しいという考え方を戒めている。

第1条は、日本人なら言わずと知れた「和をもって貴しとなす」。これは孔子の五経の「礼記」から取られた。論語にも「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も其れを美となす」(学而第一)とある。 つまり和は「礼」によって保たれるのだ。

第2条は、「あつく三宝(仏法僧)を敬へ」 とある。これはもちろん、仏教の大切さを説く。そして注目すべきは、第2条の最後に、「何を以てか枉(まが)れるを直さむ。」

まがを直すは、直霊(なおひ)の大切を説き、神道の影響を強く受けている。

日本書紀は720年だが、その100年以上前の604年には、なんと一霊四魂の直霊の思想があったことになる。

第10条には、「我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。」と、自分だけが正しいのではなく、人それぞれ価値観が違うことを説いている。まさしく本物の大和の精神を太子は説いているのだ。

さまざまな人たちが21世紀は日本の時代だという。でもなぜ日本の時代になるのかを説得力ある説明で聞いた人は少ないだろう。よく言われるのが和の精神だが、それを持ち出すだけでは自己満足だし、 それを叫ぶのは竹やり精神だ。

和の精神、思想を有効なテクノロジーにして初めて世界に貢献できる。

私たちが開発してきた「四魂の窓」は、この大和の精神をテクノロジーにして現実に使えるものにした。テクノロジーにすることで、1400年の時を経て、聖徳太子の精神が蘇ることが可能になった。

なぜならテクノロジーは誰でも使えて結果を出すことができるからだ。しかも世界に持っていくことができる。

いま日本は閉塞感に溢れている。しかし大和の精神と日本のモノづくりやテクノロジーは現在も脈々と私たちの魂のDNAの中に生きている。

現代では、思想は技術で表現してこそ意味がある。日本には、和の精神がある。つまり皆が仲良くしようという考え方だ。

私たち日本人は、和の思想をテクノロジーにまで高めて初めて、世界に日本人らいしい貢献ができる。 これは現代の一つのサムライの型ではないだろうか。

                第20話最終回に つづく