2006/10/23 
2008.07.22  

第4話: 先人が用意した心身改造の処方箋

この度、私のような無骨者が、このような紙面に登場するにおいて、もし私が皆様にお伝えすることがあるなら、それは争うと言う覇の道から、なごむという和の道への移行を何故、どのようにして選択したかと言う過程をお伝えすることではないかと存じます。

 

毎日のニュースを見聞しますに、飲酒運転、いじめ、自殺、強盗、殺人、詐欺、交通事故、偽装工作など、まるで近年流行りだしたコンビニのように、ありとあらゆる人道に反する犯罪が満遍なく打ちそろい、本当にその悲惨さには眼をそむけたくなくなります。

 

それにともなって、より緻密な法制度の改定、防犯、軍備の強化などが見直されつつあります。法律が増えるほど世の中は良くなっているのではなく、悪くなっている証拠ではないかと存じます。

 

病気になったらそれを押さえる薬を作る。平気でゴミを捨てる人が多いので、それを拾う人を育てる。

 

これは何か、おかしい気がします。すべて、何か起ってから対応すると言う対処療法的なことばかりではないでしょうか。

 

病気になったら・・・ではなく、ならないためにはどうするのかを考えるべきではないかと思います。また「ゴミを捨てると言うことはいけないこと」ということが、人に言われて気づくのではなく、各自の心の底から自然に湧き出ることが本当なのではないでしょうか。

 

病気を治す人より病気にならない人を増やし、ゴミを拾う人よりゴミを捨てない人が増えることをそろそろ考える時期に来た様に思います。

 

そうなると「これは良い」「これは悪い」の善悪の判断はどこから来るのか、と言うことを考えます。そこで、困った時の神頼みとか言いますか、日本の中を見渡すと意外と身近なところに答えがありました。

 

日本にはいたるところに神社が点在しています。この神社は私たちの心の拠り所でもあります。そこには古来より心と体の世界のメカニズムを知り尽くしたかのように、細微に渡って体系付けられた考え方があります。これを神道と言います。

 

神道は「神からの道」と言うことで、「火水」と書いて「カミ」と読みます。火は霊、水は体を表し、つまり神道とは、霊体一致したバランスのよい道を歩むことを指します。

 

神道には一霊四魂(いちれいしこん)、三元(さんげん)、八力(はちりき)という考えがあります。何事も「省みる」という神の心を中心軸に据え(神から直接に下された心で一霊と言い直霊とも言う)、天下公共のために愛すること(幸魂)、親しむこと(和魂)、勇むこと(荒魂)、真理を智るということ(奇魂)の四つの心魂を持ってこそ霊止(ひと)と言うと伝えられます。これが「一霊四魂」です。

 

その一霊四魂に応じて形造られる形を三元と言い、活動するエネルギーを八力と申します。いにしえの人々はこの一霊四魂(霊)、三元(体)、八力(力)という神の法則に従って生きてきました。

 

つまり善悪正邪の区別は、この神の法則〜神道に照らし合わせることによって明らかにしたのです。
(一霊四魂、三元、八力についての詳しい説明は追ってまたやりたいと思います)

 

ところが、現代はどうでしょう。省みるどころか、人はなんでも他人のせいにしています。自己の欲のために愛し、自己の欲のために和し、自己の欲のために勇み、自己の欲のために智る・・・。神の道を忘れ、我欲におぼれ、自分のことばかりかまう行為は、もう人ではなく獣も同然です。一体、一霊四魂はどこに消えたのでしょう。

 

家に鍵もかけず、病院も警察も軍隊も必要のない元の純粋な世の中が再来してこそ本当の人の世であり、これこそパラダイスだと思います。

 

このように、人が人を縛るのではなく、一人一人が、自主的に神の法則をもって平和と秩序を保つ世界を招来させる・・・これこそ神が統治する国であり、「神代」と言います。

 

さて、すでに、こんなにも乱れた世になってしまっているのに、今からそんな世の中を作り直すことが出来るのでしょうか。不安でなりません。

 

しかし、ご安心下さい。

 

この日本と言う国は、まことに神秘な国です。こういった世の中が到来することはすでに遠い昔から予測し「こういう乱れた世になるから、その時はこのようにせよ」と、先人たちは私たちのために処方箋を用意してくれていたのです。私たちは、ただそれを忠実に素直に実行していくことで、先に言った神代を取り戻すことが出来ると言われています。

 

さて、それを説明させていただく前に、一つの参考例として、私の回顧録の続きを書かせていただきたいと思います。

 

これは、前田と言う、覇道社会の中で生きてきた乱暴者が、先に言った処方箋に出会って、それを実行し、和の道の存在を確信した一人の人間のつたない物語であります。

 

一言で言えば、私の歩いた覇から和への道は「カタナ」から「ツルギ」への移行であったと言えます。

 

日本魂(やまとだましい)とは「人を傷つけず、人に傷つけられず、人も良く、われも良し」と言う万民を和合に導く精神ですが、その和合精神を表すのが三種の神器のひとつである「ツルギ」と言うものです。

 

ツルギとは釣り合わせる義という意味で、霊と体の一致、相手と自分の和合した姿を表します。これは神道そのものであり、日本を象徴します。

 

それに対し「カタナ」と言いますのは、「片無し」と言う意味で、片方を薙ぎ払い無くすると言うことです。相手の存在を否定し消去する意味なのです。刀は物質的活動を表します。つまり刀とは、一言で言えば物質尊重主義と言うことで、われよし、強いもの勝ちと言う意味です。ですから刀には日本の心などひとかけらも存在いたしません。

 

こういったことは言霊学という、日本神道の中で古来より受け継がれてきた教えによる解釈ですが、稽古を行うにあたって言霊学は神代への扉を開く必要不可欠なものでした。

 

なぜなら、わが国は和歌に歌われるように「言霊の幸はふ国」であり、言霊の神秘の力を借りずして日本の国は見えてきません。さっき申し上げた先人が残したと言う処方箋が、実はこの「言霊」のことなのです。

 

言霊は五つの音「アオウエイ」(五大父音と言う)を柱に、75の音声に割き分かれます。「アオウエイ」の音には、先ほど申し上げた一霊四魂、三元、八力が以下のように繋がっています。

 

以上のように、言霊の法則は単に思想のみならず、身体操作法、呼吸法など、多岐にわたってかなり具体的な方法をもっています。人の発する音声には、はっきりとした「力」が存在するのです。それは「アオウエイ」を基本にさらに75の音声があり、又それぞれ特徴ある思想、行動、音声があります。

 

その昔、今のように乱れた世になった時、「聖(ひじり)」と言われる先人たちは言霊の法則を民衆に教育し、それによって再び秩序正しい世に戻ったと言う伝説があります。同時に、将来、再びこの世の乱れることを察知し、人心荒廃が進み、天変地異や人災が繁茂に発生するであろうと言うことも予測して、この言霊の秘密を時が来るまで隠し続けたのです。

 

言葉は神である・・・と世界の宗教が言います。私はこの言霊の稽古のお陰で、はっきり「その通りだ」と確信しました。そして日々楽しく覇から和への修正法を学ばせていただいております。

 

いまや神を無きものとし、倫理道徳がまったく廃れた時代となりました。もうこのままでは誰もが予感しているとおり人類は自滅の道をたどるしかありません。

 

ここらでもう一度、この国のもつ使命を自覚し、この国の気風に沿った秩序と法則を取り戻し、そしてそれを各自が着実に実践して、和やかに静かに生きていく姿勢を世界に示すことが急務なような気がしてなりません。

 

稽古と言うのは、言霊を通して日本の道法礼節を再確認できる方法ではないかと存じます。決して右翼や過激な国粋主義たちが唱えるきな臭い日本ではなく、もっと和やかで、温かく、そして純粋で澄み切った空間をもつ日本をその身で体験し日本を知ってほしいと思います。

 

武道は、その言霊の法則を具体的に活用した、日本独自の心身改造法である・・・と言うことを知ったとき感動で体が震えてなりませんでした。

 

この武道(和良久)を通して、このようになった・・・と皆に誇れるような人物になった訳では決してありませんが、稽古によって多少なりとも神秘を体験し、結果的に神の実在を確信した馬鹿な男の話を聞いていただければ幸いであると存知、筆をとった次第です。

 

では、次回はつたない回顧録の続きを話させていただこうと思います。

 

続く・・・