2007/12/10 
2008.11.17  

第21話「修行記録に見る心の変遷」

ノートの話をしましたので、今回もそのまま続きでまいります。

 

ノートには私の武道の稽古における様々な記録が書かれています。いまは歳のせいか、ノートに向うことも億劫になってしまい、時折何かが閃いたときぐらいにしか記録しませんが、若いときは何かにつけ克明にメモをとったものでした。

 

もちろん未熟な時期ゆえ、いまノートを開くと「なんてくだらないことを・・・」と思えるようなことも必死で書いていることを発見します。それは楽しいときの記録ではなく、苦悶の時を刻んだ記録です。 

 

当然、人に見せるために書いたものではなく、100パーセント自分のために書いたものです。ここで公表できるものもあれば出来ないものもあります。これを見るとき思いますのは、せつない現実の自分の姿の、その情けなさです。もっと強くなりたい、もっと凄くなりたい・・・いつも願い事はその繰り返しでした。

 

ノートは空手時代から和良久への変遷が克明に描かれています。

まず空手の選手時代、その初期の記録は純粋な空手の技に徹していました。

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達人、芦原英幸の一言一句を漏らさずノートに記録し、自分の稽古や試合の反省も加えました。倒した時の嬉しさ、倒された時の悔しさもそこには書いています。筆使いを見ればそのときの感情が分かります。書き捨てるように書いていたり、じっくり丁寧に書いていたり、また「今日覚えたことを早く書き残さなくては忘れそうになる」とばかりにあせって筆を走らせたのもあります。

 空手時代は若さの燃え滾った時代でした。灼熱のような時期であったと思います。こんな頃を経験できて私は幸せだったと今は思えます。

次は空手の指導員時代。これはどうやって自分は技をものにしたのかとか、どのようにしたらこの自分の技を伝えることが出来るかの苦悶です。伝えることの難しさがノートから伝わってきます。当時何千人という後進を育成していた私です。無論、無報酬で、いわば内弟子の奉公返しの時代でした。

極貧の中でしたが、気持ちは貴公子そのものでした。何も怖くない時代でした。それこそ、鉄砲もミサイルも、と言えば言い過ぎですが、それくらい自分が頼もしく強く、そして気高く思えた時代でした。「圧倒的強さ」と言う皆にないものをもった誇りでしょうか。怖いのは芦原先生だけと思っていました。この強さをくれたのは他ならぬこの先生なのですから。この先生を越えることのみに焦慮していた時代でした。

このノートには、見えにくいですが「人の上に立つという人間は、人の二倍も三倍も努力しなければいけない。今のうちに苦しみを自分から進んで味わっていくべきだ。力不足のために苦労するのは自分本人である。どこへ行っても恥ずかしくないよう、芦原先生の代理がりっぱにつとまるよう、いまから苦しみを味わわなければならない。苦があるから楽があるのである」と言った内容が記されています。

 

次は師範の時代です。

 

指導員は私以外にも何人か居ました。何人もと言っても何千人に一人の割合でした。しかし、師範となると何万人に一人です。生徒のみならず、指導員をも指導する立場ですから責任はけっこう重いものがありました。ただ強いだけでは駄目な立場です。物凄く強くなければなりませんでした。それで既成の空手の技を超えたものを求めました。

空手から格闘への変遷の時期です。これはただ自分自身の技術の向上のみならず、組織そのもののグレードをアップしていかなければという責任感からです。ノートを見ると突きや蹴りだけでなく、打撃を加えた後に、逆をとって投げたり、倒して絞めたりなど総合格闘技的なものを模索した記録が見られます。

 

例えば当時のノートには相手を倒して急所を踏み潰し、顔面を蹴りおろすような恐ろしい技が記録されています。

しかし、その後強さを追求してもっと先を見たときに見えたものは、そういった殺人技的なものではなく、もっと透明な何かでした。そう、肉体を強くするにはまず心を強くするという簡単な法則の発見でした。

やがてノートには完全に空手の技ではない神秘的とも言える記録が始まります。技の強さのみならず人間の心に関して疑問をもちかけた時期でした。人は力だけではついてこないことをそろそろ知りかけた時期といえましょう。

 心理学や宗教にも興味を持ち始めました。武道以外に眼を向けなかった私が武道以外の専門家に教えを乞いに出かけたりしましたのもこの時期でした。

 けっこう私なりに納得いくまで肉体の鍛錬をやってきたつもりでしたが、心の問題は単に肉体の鍛錬ではどうしようもない分野でした。心を探求していくと、その先にあるものは魂の世界でした。

それで瞑想も行い、また本格的に禅の修業にも精を出しました。山に入って滝にも打たれることもよく行いました。

何かにすがりたい気持ちでいっぱいでした。何かかが待っているような予感もありました。心の叫びが天に届けよと祈りました。でもいくら心で叫んでも答えが返ってこないジレンマに大いに苦しみました。

 

たった一つの光だけが私を導いていました。

 

暗闇の中に差し込む一条の細い小さい光の筋でしたが、その時の私の唯一の頼みの綱でした。こんな苦しいことはもうやめようと何度も思いましたが、もう少しもう少しと思い、這いつくばって光の発する先に向って頑張ってきました。そうするとどうでしょう。その光の先あったものは眼を開けて見られないほど眩しい光の塊のような世界でした。ノートには奇妙な絵や図形が書かれています。

このように、最初の頃のノートには、前回にも紹介しましたように人の絵で技の解説をしたものが多かったのですが、後半になりますと、図形を挟んで、ほとんど文章のみか、または短歌形式で書かれるようになります。

 

迷いに迷い続ける自分がそこに描かれています。やがて神と言う存在を知るきっかけに遭遇します。これはごく自然な形で行われます。しかし、神を知ったからとて苦悶から逃れられる訳ではありません。もっと別の次元の苦しみとの遭遇が始まるのです。しかしいままでとは違った願ってもない苦しみとの遭遇です。

ノートにはこう書かれています。「相手の体を相手にするのではない。相手の心を相手にするのだ。どんな強大なる相手も心を動かされてはどうしようもない。なぜなら体を動かすのは心であるからである」

 続く

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