2008/06/09 
2008.12.15  

第25話「技はお点前のように」

武道は、天地自然の理を身に付けるための学びです。

 一人一人が天地自然の理を身につけ、神と通じる道に生きることが、この日本に生まれた私たちの義務です。

 また、人生のあらゆるシーンにおいて鎮魂帰神をもって乗り切ることは、私たち先祖からの伝統であり、これこそ神道といわれる国の醍醐味ではないかと思います。

 一般の武術では相手を投げ飛ばし、地面に叩きつけて痛めつけるなど、いくら理念で崇高なことを説いても、いまだおこなっている技が殺傷の域をまったく抜けません。これを「殺人刀(せつにんとう)」と言います。こういう稽古では神の道に近づくどころか遠ざかるばかりです。

 和良久はツルギの技で「活人剱(かつじんけん)」を行うものです。活人剱とは相手を殺すのではなく生かす技を言います。

 活人剱は、死人(しびと)をも蘇らせる神明の剱です。死人とは、夢を失った者、生きがいを見いだせない者、光を避け闇に生きる者をいいます。

 ツルギ(日本武道)の使命は、どう痛めつけるのかではなく、どう癒すのかです。どう壊すのかではなく、どう創るのかが基本になっています。

 さて、このような信念のもと「和良久之手(素手の投げ技)」で行う稽古では、活人剱を実践するために、茶道で器を扱う以上に、人の体を大切に扱う心得をもって技を行います。例えば、茶道で茶碗を扱うように、相手の身体という大切な器を扱います。

 両手で丁寧に、そっと右から左へ、上から下へ、前から後ろへ・・・、息を凝らしてゆっくり確実に相手の体を移動させるのです。荒く扱えば茶碗が割れ、お茶がこぼれるごとく、人の身体も「投げ飛ばせば」壊れます。

 茶碗は割れたら替えはありますが、身体は替えはありません。世界にたった一つしかないまったくオリジナルなものなのです。
 人体は、神が創造した最高にして完全な芸術作品であり、かけがえのない至高の逸品です。決して暴力的になったり、粗野に振る舞ったりすることなく、静寂の中、相手に対する感謝と尊敬の念をもって稽古をすることが大切です。

 思えば、技はまるで茶道のお点前そのものです。礼儀正しく動くことは「技が利く」ということにつながります。その無駄のない動作は、隙をつくらず、思考にまとまりをもたせます。

 強いということは、イコール「礼儀正しい」のです。逆にいえば、礼儀正しいものこそ強い力が発揮できます。

 かって、茶道の世界に侍たちが中心となって稽古に励んだことは、思えば当然の成り行きなのかも知れません。茶道の洗練された無駄のない起居動作は、武道の動作をもって構成されているのも自然な成り行きでしょう。 武士のたしなみとして発達した歴史を彷彿とさせます。

 稽古は型の習得からはじまります。決められた型を何度も繰り返して身につけ、それをいかなるときにも、すっと行えるようにします。たとえ、環境が変わっても、時が移っても、同じことを寸分の狂いなく行えるように稽古を積むことです。

 北でやったことを南でも出来、西で思ったことを東に行っても心変えることなく持続します。何があっても変わらない心を養うこと、それによりあらゆる事象に対応できる状態をつくりだすこができます。北と南、西と東など、相対するものが同時に存在してこそ万物はバランスを保つことができます。

 対称するものが同時に存在していることを「ツルギ」と言います。その、ツルギの感覚を大切にしながら、何があろうと、どういう事態になろうとすべて型どおりおこなって、かけ離れた二つを同時に存在させ、すべてを良い方向にもっていきます。

 技というのは相手によって変化をしません。自分の思う通りの動きを、予定通りまったく変化せず終了させます。

正しいものが、正しい思いと確かな技術をもって、相手を正しい方向に導いていくのです。相手の正義ではない行いに屈することがあってはなりません。

 無謀な力を正当な力に変換するのが技と言えます。

以上、とりとめもなく思ったことを書き連ね、ちょっと分かりにくくなったような気がします。以下にまとめます。

1、素手の技を修めることは、剱の力を一層高めるのに役立ちます。

2、茶道の作法のように、武道においても、人という言うかけがえの無い器を壊さないように慎重に扱うことが大切です。

(注〜武道は日本で最も古い日本独自の伝統文化です。茶道は中国から渡来した文化で、元来、いまのような起居動作はありませんでした。日本の武道(侍社会)の作法を取り入れて現在の茶道の作法が成立しました。本来は茶道が武道を取り入れたのです)

3、素手で投げるのにも、投げ飛ばすのではなく、相手の体をしかるべきところへ移動するという感覚で技をしかけることです。

4、同じ技がどの方向へ向いても変化することなく行使できる信念をもつことです。右でやったことが左でも出来るように稽古してください。対称するものが同時に存在させてこそツルギです。

5、剱の動きも素手の動きも腰を中心として動くことを忘れないことです。

続く・・・

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