2009.01.05  

第27話「観の眼と見の眼」
2 絵空事から現実の「技化」へ

太古のエネルギー

そもそも日本人は古事記に記されていますように「まずこの世の最初に一つ神様があって、一つの神様の中には二つの神様が存在する」という神道の考え方が根底にあります。それは言霊学という古来の思想に基づいています。

簡単に言えば、言霊学は『万物すべてのものには「火(霊)」と「水(体)」の二極のエネルギーが同時に存在し形作られる』という古代のエネルギー理論で、それは古代の学者たちによって明確に図式化され今日に残っています。

私たち日本武道を学ぶ者は、その理論を単に絵空事とせず、実際の動きとして「技化(わざか)」させることに成功しています。太古の洗練された精神性に基づいた高度で、かつ現実的な技の保有〜これこそ、武道が世界に誇る霊的文化遺産と言われる由縁です。

言霊の図式化とは、先に申し上げたように相対する体的なものと、霊的なものの二極の代表的な存在を「火」と「水」に分けることから始まります。

古代の者たちは、霊的なものを「火」、体的なものを「水」と定義しました。そして火を「・」、水を「○」と言う風に図式化しました。この図形の中にある「○」に「・」の図が、宇宙を創造した最高神の姿であるとされています。

火は「カ」、水は「ミ」と読みます。
神とはプラスとマイナスなど、相反する力が融合したエネルギーの存在を指しています。

私たちの祖先はこの図形から様々な思想を見出しました。その考え方のいくつかを羅列してみます。私はこれを「言霊の法則」と申し上げています。

言霊の法則

まず「・」は火と称えます。これは霊魂で、万物の中心であり軸であると定義しています。そして、「・」を囲う「○」は水と称え、水は物質の代表的元素です。この場合、すべての水(物質)の中には、火(霊魂)が存在すると言うことです。

水は火によって動かされ、火は水の存在あってこそ力を発揮します。つまり、人間という存在で説明すれば「肉体は心があってこそ動き、心は肉体の存在あってこそ力が発揮できる」ということです。

ちなみに、わが国の国旗を「日の丸」と言いますが、これは「霊の丸」(「・」の「○」)ということです。これもこの図から生まれた思想です。日の丸は、霊主体従(れいしゅたいじゅう)を表します。心を大切にし、物質はそれに従うものであるということです。元来、精神尊重主義と言われる日本人の思想は、この言霊の教えからきているものなのです。

さらに、この言霊の法則は様々な日本人の考え方を形成してきました。「・」は瞬間、「○」は永遠を意味し、瞬間と永遠が同時に存在することを感じることが大切であると教えます。瞬間と永遠の狭間に生きるのが我々人間であり、今と言う時を一生懸命生き切ることの大切さを言霊は説いてます。

点と円

さて、私たち武道家は、視覚についてこの法則を当てはめて稽古をしています。
「・」は集中、「○」は拡散です。一点に集中しつつ、周囲すべてを把握するという見方をするのです。

私たちは稽古において先人たちより、この目付けについて、ことに厳しく指導されてきました。

「一点をとらえつつ、周囲すべてを見なさい」これは一見矛盾した考え方といわれるかもしれません。一箇所を見つめていたら回りが見えなくなってしまいます。逆に周囲に気をとられると相手が繰り出す瞬間の技が察知できません。

しかし、先人たちはこれを同時に存在させることを要求します。確かに一点を見ると回りが見えなくなり、周りを見ると集中力に欠けます。でもそういった肉体的な機能にばかり気を取られず、もう一つの精神的な機能を使えばいいのだと先人は教えます。

これが、先に申し上げた「一つの中には二つの相反するエネルギーが存在する」という考え方なのです。視覚で言えば「肉体の眼と、心の眼を同時に働かせよ」ということです。

肉体の眼は、実際に存在する物質の反射する光をとらえます。これは眼を開けて確認しながらおこなう作業です。しかし、心の眼は物質の中に存在する「火」、つまり心を見る眼です。これは眼を開けないほうが良く見えます。

第28話 「観の眼と見の眼」3 腰と腹に続く・・・

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