2009.09.07  

第34話 「神言」その1    

1、神言(かみごと)とは

 
神言、一般には大祓祝詞とも言われ、神道を代表する禊祓の祈願詞、つまり清めのための祝詞です。神道をされておられる方は常にこの祝詞を奏上しておられますが、一般にはあまりなじみがないことと思います。日本武道の本義は禊祓いです。和良久はこの神言の内容に准じて稽古を展開しています。
           
 いま世界は戦争、飢餓、災害、犯罪など数多くの問題を抱えています。神言はこのような由々しきことによって天地に発生する邪気を祓い、一身一家を清めるために唱えます。
   
 和良久の一般稽古人諸氏には、ぜひこの機会に神言を日夜奏上していただき、天地の水火を正す神業に参加し、ともにお仕えいただきたいと存じます。

 祝詞というものは意味を理解して奏上することが大切ですので、神言の詳しい内容につきましては出口王仁三郎聖師の「祝詞の解説」(天声社刊)を熟読いただきますれば有難う存じます。さて、長い神言を簡略にすることは、まことに恐れ多いことなのですが、あえて略解することをお許しいただければ以下のようになります。まず原文を載せねばならぬのですが、長文でもあり省略いたします。

2、神言の略解

 さてこの祝詞につきましての解説は多々ありますが、おおよそ以下のような意味になります。「私たちの住むこの世界は主神の命に従って、多くの神々がこの世を平安に導き守護するべくご日夜ご活動されています。しかし神の御心に従わない地上の人たちは天の規則と地の規則を破って多くの罪を生じさせ、天地の水火(イキ〜気、陰陽のエネルギー)を汚しています。

 それにより宇宙の秩序は乱れ、あらゆる病苦や災害が発生しています。このような事態が発生したならば、天津宮言(言霊の力)を用いなさい。その『方法』はこうです。

 『天津金木を本打切り末打断ちて、千座の置座に置足はして、天津菅曾を本刈断ち末刈切りて、八針に取裂きて、天津祝詞の太祝詞言を宣れ』(原文のまま記載)

 この「方法」を用いれば天の神々は天の岩戸を開いて大挙してご登場され、大いなる祓いの技を開始されます。そして天地の水火を整え、人々の罪や穢れを塵一つ残さず綺麗に清めていただくことが出来ます」 さて武道は古来より、神言に言われる祓いの技こそ武道本来の目的であり、日々の稽古法としてきました。しかし、世の既成武道のことごとくがその使命を忘れて戦うことを本義とし、まったく神意にはずれた方向に行きました。

 和良久はその「方法」を再現するべく起こった武道です。


3、神言の中核 〜その知られざる神秘な秘儀

 「天津宮言もて、天津金木を本打切り末打断ちて、千座の置座に置足はして、天津菅曾を本刈断ち末刈切りて、八針に取裂きて、天津祝詞の太祝詞言を宣れ・・・」  以上は、この祝詞の中核をなす部分で、非常に神秘かつ重要な部分です。

 これこそ日本神道の真髄というべきものと言っていいでしょう。

 ポイントは以下の三つです。これが世を清める方法といわれるものなのです。

■天津金木(あまつかなぎ)
■天津菅曾(あまつすがそ)
■天津祝詞(あまつのりと)
 

 天津金木も天津菅曾も、布斗麻邇(フトマニ)と言われる高度な神占の一種で、国の大事を占い、大いなる守護をお願いするときにのみ執り行われるものです。この行事は別々に行われるものではなく、同時に執行してこそ効力を発揮します。

 天津金木は、四分角、長さ二寸の桧材で32本用います。天津菅曾は、ミソハギという低木の植物の茎を75本、一尺ほどに切り揃えた筮竹のようなものです。この75本は言霊75声を表します。

 天津金木を千座の置座(ますみの鏡上)に置き並べることで、宇宙創造にさかのぼる事象を悟り、宇宙間のすべての神霊を引き寄せ、天地を動かすばかりの神秘力が発揚されると言われます。そして、その神秘力が現れる場で、天津菅曾を用います。

 いわば天津金木は、エネルギー発生器のようなものであり、天津菅曾は、そのエネルギーを活用する方法と言えます。天津金木が電気とすれば、天津菅曾はそれによって動くモーターや蛍光灯のようなものです。

 古文書にはこう記されています。

 天津金木は、宝珠の意義を保つ。
 天津菅曾は、宝剱の意義を保つ。
 天津祝詞は、宝鏡の意義を保つ。


 いわば神言という祝詞は「三種の神器」すなわち日本の姿を表す祝詞といってもいいと存じます。日本武道は三種の神器を身体に体現する習い事といわれています。当然、和良久はそれに忠実に従って稽古を進めます。つまり神言の実践こそ武道の稽古といえます。                      
                            その2に続く
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