2010.05.10  

第45話 「奥伝〜黒帯の思い出」

奥伝取得は、世間でいえば黒帯獲得者です。道場に黒帯の方が登場しますと、よい緊迫感に満ち足ります。空手道場なら、黒帯の先輩が道場の玄関を入りますと稽古生たちは一斉に立ち上がって直立不動となり両手で十字を切り「押忍!(オスッ)」と挨拶をするところです。それほどに、尊敬される存在が黒帯なのです。

黒帯本人たちにも、自分が黒帯であることを自覚し、一層他の範となって稽古に精進し、礼節においてもお手本的存在となります。また上を敬い下をかわいがる心強い、兄貴と姉貴となります。そういった意味で、このたび奥伝が誕生いたしましたのは、まことに嬉しい出来事です。

しかも、節分が過ぎて春の訪れを感じる今日、第一回の奥伝稽古会を開催出来ましたことは、本当に幸先のよいことだと存じています。このたびは関東や九州からも稽古に出向いていただき、いま無事稽古を終えて帰宅し、神様に感謝の祝詞を奏上しました。

さて、このたびの奥伝取得者の皆さんには、その印として何を身につけていただこうかと思案しました。腕章、色違いの袴、稽古着に代わる着物・・・いろいろと和良久らしさを考えましたが、ここはいっそのこと世間の慣例に習い黒帯を締めていただこうと決意しました。

黒帯・・・思えば、私が空手を始めた時に、黒帯をしめるということは夢でした。稽古で必死になって向かっていっても弾き飛ばされる山のような黒帯の先輩たちの存在はまさしく超人で、まったく手の届かない存在だったのです。その先輩を教える師匠の存在は神そのものでした。師のためなら死ねるとさえ思っていたのですから。

黒帯の先輩のような超人になりたい・・・その思いを胸に入門以来、一生懸命修練を積んだものでした。そして迎えた黒帯の審査会の日。

審査は、基本技、応用技、型、筋力、スピードのテストをはじめとして様々な方面から黒帯として適正か否かを見られました。そして、何より重きを置かれたのが組手という戦いで優劣を競う審査でした。

1級の先が初段です。その時私は2級でした。組手の相手は別の支部道場の1級の先輩でした。体格も技術も優れ、道場で頭角を現している猛者です。

(私はそれまでの審査で一回目でいきなり4級を習得、二回目で2級を取得しました。通常は8級からはじまり、徐々にのし上がっていくものですが、私の場合異例の出世でした。それで稽古仲間からの妬みも多くずいぶん苦労しました。もっとも芦原門下となるまでに私は長い修業年数を経ていましたし、他の道場で初段ももっていました。しかし、この芦原道場はレベルが全く違いました)

さて試合がはじまり、私は不退転の決意で相手を押しまくり勝利しました。優勢勝ちというやつです。しかし、私の気持ちは暗いものでした。倒せなかった、つまり相手をノックダウン出来なかった自分が許せなかったのです。

試合後「ああ、私は先生の期待を裏切ってしまった・・・」勝手ながらそんな悔悟の念でいっぱになり落胆していました。当時、先生は私のことをあらゆるところで宣伝していました。芦原先生は滅多にほめる人ではありませんでしたが「俺のところの前田は凄いんだ。うちの秘密兵器だよ」いつも、そう憚ることなく自慢をしていたのです。

芦原英幸の秘密兵器とまで言われた私は、余計に期待にお答えしなくてはと常からプレッシャーを感じていました。だから、この審査もきれいに相手を仕留めることが私に課せられた、当然の任務だったのでした。また、そのような先生からの期待の視線を感じていただけにダウン出来なかったことは心から悔しかったのです。

その審査で私は1級を飛び越え、晴れて黒帯を許されました。

認定状と黒帯を拝受したその夜、内弟子の寮で行われた私の黒帯祝賀会の席上で私は挨拶を述べることになりました。まず謝辞とお礼を述べました。目は涙であふれていました。

そしてあろうことか私は懐に隠したで短刀を抜いて「不甲斐ない黒帯で申し訳ありません。どうか許してください」と叫びつつ、その短刀を左腕に突き立てました。

血は飛び、畳にこぼれおちました。血を流しつつ私はそのまま何度も「申し訳ありません」と繰り返して頭を下げました。驚いた寮生や先輩たちは「大丈夫ですから、放っておいてください」と言う私を無理やり抑え込み、病院へ運びこみました。数針縫う大怪我でしたが、その傷の痛みよりも、期待に答えきれなかった気持ちの痛みのほうが私にとってずっと痛かったのでした。

自分ではけじめをつけるつもりの行為でしたが、今思えば本当に浅薄で馬鹿なことをしたものです。まるでヤクザ映画の世界です。これを書いていましても苦笑いしきりです。

空手戦国時代と言われたせいもあってか、当時漫画のようなことをやった変な奴もけっこう各地にいて、こんな私の行為も決して珍しくない時代背景でした。

勝手な思い込みと自分自身への妙な買いかぶりとしか言いようがありません。私は大いに落ちこんでいました。しかし人生とは皮肉なものです。あいつは命を賭けているという気迫が一気に皆に伝わり、逆にますます周囲を期待させる結果になったのです。

私にとっての黒帯の思い出は、そんな、思い切り痛くて馬鹿な思い出なのです。黒帯は私にとって嬉しいというより複雑な思い出そのものです。今も残る左腕の傷跡を見るたびに若い日の愚かで浅薄な自分を省みます。

この黒帯は大いなる反省心をもたらし、同時に心身ともに新たなる自分へのチェンジを促したターニングポイントでした。

黒帯取得後は、全日本選手にも選抜され、また指導員として各地を指導してまわるなど確かに大きく世界も広がってはいきましたが、反面ますますの稽古の過酷さと計り知れない困難の襲来で何度くじけたか知れません。

あの人は黒帯をしめた人だという世間からの尊敬の念と、逆に黒帯のくせにあの程度かという落胆の思いが、いつも私の中に同時に存在していました。

当時の極真は10人入れば三日後には9人やめていくといった荒行で知られていました。また極真の初段は他流の4段以上の実力があると恐れられていました。道場の黒帯たちは、週刊誌やテレビ、映画にも取り上げられ一世を風靡していました。

そんなことでしたから、おのずとわが流儀の段位のハードルもあげられ、黒帯取得というのは本当に困難極まりない時代でした。世間からは、大学で言えば東大をトップで合格するより難しい確率だと噂されたほどのブラックベルトの値打ちでした。

とくに私の場合、当時地上最強の空手と謳われた極真会館の黒帯の一人であり、しかも極真最強の師範、芦原英幸の道場の指導員というネオンサイン付きのような看板がいつも背中で輝いていました。そのプレッシャーは尋常ではありませんでした。

黒帯取得者の大半が、黒帯取得に挫折をして道場を去っていきました。私は数え切れないほどの寂しい後ろ姿を見てきました。同じ釜の飯を食った仲間が去るのは切ないものです。その挫折のほとんどの原因は、力関係の圧力に耐えかねてプライドを保てなくなってしまうということからでした。

つまりこういうことです。強いといわれる道場には、尋常ではない驚くべき能力を持つ有段者が君臨してその一つかみの者たちが大会で活躍をします。黒帯になれば、そんなものすごい実力をもつ連中の稽古の中に対等に入っていかなくてはなりません。もう後輩として扱ってはくれずライバルとして見られるのです。当然手加減などしてくれず、試合本番を想定して思い切って突いて蹴ってきます。

金槌のようなパンチに、斧のような蹴りが体に放り込まれるからたまったものではありません。楽しかった道場が黒帯となってから虎の穴に入るかのような恐怖に変わります。そのストレスはかなりのものです。また、下方からは続々と入門してくる無数の後輩たちからは羨望の目とともに、先輩を追い越せ追いつけという絶好の標的ともなるのです。

このように常に上から押さえつけられ、下からは際限もなく突き上げられます。道場以外にも良きにつけ悪しきにつけ「おまえは黒帯のくせに」ということを言われます。最初は嬉しくて鼻高々で自慢の種だった黒帯も、時間が経つと自分の実力のなさに嫌気がさし、しまいには黒帯であることを隠すようになります。

さあ、これから人間は道が二分されます。気持も新たに頑張ろうという人間と、もう限界だ、これ以上背伸びができないから逃げようという人間です。こんな状態で生き残った人間は、やはり先に言ったように尋常ではない力の持ち主に成長していきます。私も気がついたとき、いつしか憧れの存在となる立場に逆転していました。

このように、私にとって喜びの黒帯取得は「苦労帯び」のはじまりでした。しかし得難い体験をし広い世界を見聞出来たのも黒帯を締めているからこそでした。このような経験があるものですから、私にとりましてこのたびの奥伝審査は灌漑深いものがあります。

黒い帯をしめていただくことで、一層、技術の向上はもとより、奥伝者としての自覚と品格を兼ね備えていただければ幸いと存じています。和良久において、私が経験した空手時代の血なまぐさいプレッシャーはないにせよ、いくばくかの精神的負担もあろうかと存じますが、ぜひ踏ん張っていただきたいものです。

私は今日の奥伝者たちとの稽古を振り返って思います。やっとここまで来てくれたという嬉しさより、ようやくスタートラインに立ってくれたという気持ちです。和良久本来の稽古は奥伝から始まります。いままでは準備期間でした。スタートラインに向かって歩いた日々でした。

そして、奥伝の皆さま。こう考えてみてください。「長い年月の修練によって帯が垢で黒くなってしまった。これは、良いことや良くないことが身についた色だ。これから先、奥伝2や3と進むにつれ、一層、その黒さを増してくるだろう。だから今度は帯が白くなるよう身も心も綺麗に磨いていこう」

和良久の最高位は黒帯ではなく白帯です。しかし、白から黒を経ての白です。ここを勘違いしないでください。新しい方は「白が最高なら、私はこのままでいよう」などと怠け心を持たないでください。白からはじまっていったん黒となり、そして白に帰っていくのです。無は有を知ってこそ理解できます。有は無を知ってこそ理解できます。

白帯の方は一生懸命頑張って黒帯を目指してください。そして黒帯の方は今度は白帯を目指してください。何もないところから何もかも得てゆき、そして何もかも捨ててもとに戻ります。元に戻ったときには身も心も真っ白な状態です。その時はきっと動きも言葉も無意識にして理に適った状態となっていることでしょう。無意識の中の意識です。何もないということは何でもあるということです。これ実は兵法における極意です。

「新陰流兵法家伝書」にもあります。私の好きな文章です。幾度も味わって読んでみてください。きっとその本意が理解できます。

「よく習をつくせば、ならいの数々胸になく成りて、何心もなき所、物(こと)を格(つく)すの心也。様々の習をつくして、習稽古の修行、功つもりぬれば、手足身に所作はありて心になくなり、習をはなれて習にたがわず、何事もするわざ自由也。
此時は、わが心いずくにあるともしれず、天魔外道もわが心をうかがひ得ざる也。
此位にいたらん為の習也。ならひ得たれば、又習はなく成る也。これが諸道の極意向上也。
ならひをわすれ、心をすてきって、一向に我もしらずしてかなふ所が、道の至極也。
此一段は、習より入りてならひなきにいたる者也」

たとえば最初は銃弾をどうしてよけるかということに必死になります。しかし、最後は銃弾をよけるまでもなくなります。銃弾が当たらない自分になるのです。

災難にあわない自分づくり。
 病気にならない自分づくり。

それは周囲を明るく幸せにする存在への移行です。

ただ、その人がいるだけでいい。
 ただ、あなたがいるだけでいい。

本当に自分は神と等しい存在なのだ。そう本気で自覚することに尽きます。

神人合一して無限の権力を発揮す。この言葉の意味を認識し確信することこそ稽古なのです。

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