2010.05.31  

第46話 「和良久の稽古着姿」

私たちがなぜあのような稽古着に袴姿になるのかといいますと、これにはちゃんとした意味があってのことなのです。まず稽古とは何か?それは「いにしえ」を思うことです。いにしえとは私たち和良久を行う者にとっては神代のことであります。神代とは「火水与」ということです。

与と書いて組むと読む・・・と古文書に記されています。神代とは火と水が組まれるということ、すなわち、プラスとマイナスの力が組まれることでエネルギーが充足充満している場という意味です。火は「・」と書き、水は「○」と書きます。これを「ス」の印といいます。稽古とは、この○に・(点)を思うことなのです。よってまことの稽古をするには、姿も「丸に点」の姿になります。

ではこの丸に点の姿とは一体どんなものでしょう?それは私たちの目に見える形で存在いたします。そう、あの富士山です。富士山は上からみたら丸に点、すなわち「ス」の印であるといわれています。これは天と地、また火と水を表しています。

富士は永遠の命、高い志という意味があります。また富士は父と子ということで、「父音と子音」という意味をもちます。つまり神の権威である言霊の力が秘められた山ということです。白い稽古着に青い袴姿は、日本の象徴富士の姿であり、宇宙そのものを表現しています。

藍(青)の色は万物を生み出す命の元である海の神秘を表現しています。命を生む根源の力は愛です。藍は愛の言霊に通じます。上部の白い稽古着は、意識は清く潔白に保ち、下部の青い袴は大地の大半を占める大海を表し、強く根を張った足腰と海のように波立って移動する様を表しています。

袴をはくことによって、上がりがちな意識は下方に鎮められ、分散しがちなエネルギーが地に降り立ち、山のような重厚さを醸し出します。この袴をつけるだけで、体だけではなく気持ちも地に落ち着き、安定してきます。ズボンだけで動くのと、袴をはくのとで実際に比べてみたら一目瞭然です。

また稽古着の帯を締め、袴の紐を結ぶことで骨盤が固定され、腹にあるエネルギーポイント「丹田」に力が入ります。帯を締め、袴をつけることで武道を行うにもっとも大事な腰と腹を練ることができるのです。袴の着用は重心を落とし腰の安定に役立ちます。

そして、足袋のこともお話せねばなりません。足袋を履くのは決して足の保護や稽古場を汚さないというだけのものではありません。裸足は五本の指で大地をつかまえるようにして立ちます。指は呼吸を取り入れる際のリズムをつかさどります。この指が解放されることにより野性的な感性が呼びさまされます。

しかし、裸足は野にある如くの振る舞いになりがちで人間的な礼節に欠けます。逆に靴下をはくと、五本の指がひとつに束ねられ野性的な機能を消し去ります。野性から文明化への移行です。靴などをはいて完全に指の動きを制してしまうと地の呼吸がキャッチできなくなります。それは自然からの逆行といえます。

裸足は野性。靴下は文明。このどちらにも偏らないのが足袋姿なのです。足袋は、一本の親指と四本の指とに分けます。親指を独立させることにより、親指に意識を集め、軸足としての機能が発揮されます。それは腰と連動し、安定した体さばきが生まれます。

胸元には、大事な命のリズムを刻む心臓を守るように四代様のご染筆「和良久」の文字を刺繍しています。手には天之沼矛(アマノヌホコ)なる、佐々木小次郎師から継承するツルギをもち、口には75声の言霊を唱え、心は常に神代にあります。

言霊を発し、剱が動けば、そこには八力の神々が顕現し大宇宙の営みを見せてくれます。あらためて思いますと、なんてすごいものを稽古しているのかと体が震えます。

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