2016.11.15

第158話 「真似る」

私は勉学は苦手で学校でも常に末席を汚す存在でした。

いまなお学問はさっぱりです。

しかし、空手の世界に入った折には何故か技の吸収は人一倍で、内弟子として入門した時も若輩の私が猛者の居並ぶ先輩たちを一気に抜いて黒帯を締め、あげくに全日本選手にも抜擢されました。

頭の悪い私が、こと武道の技に関してだけは覚えがよかったのはなぜか。

思うに真似が上手かったからとしか言いようがありません。

私は学識がないので自分で工夫をするということを知りません。いえ出来ません。

尊敬する先生がこうだと言ったら、なんでも「はい」と言ってそのようにまるっぽ真似をすることしかできませんでした。

それは道場の中の先生だけではなく、普段の先生の言葉遣いや歩き方や癖までも含めて全部真似をしたのでした。しまいには「前田、おまえは後ろから見たら先生みたいやな」と皆に笑われたくらいです。

私は先生を心から信頼し神様のように尊敬していました。

それでその憧れが「俺は先生の分身、いや先生そのものなのだ」という観念になったのかもしれません。

当然のこと誰も先生に敵う人はいません。

「俺は誰もかなわない先生の技が出来るんだ」という気持ちが、同輩たちは言うもさら、先輩らを追い抜いていけた要因なのだと思います。王様の真似をしたら気持ちまで王様になったのと同じだと思います。

もちろん神技をこなす先生の真似をするのは容易ではありませんが、それは部分のところだけ真似るからいけないのです。さっき申し上げたように先生の普段の何気ない仕草や癖を含めて、なんでもかんでも無条件に師を受け入れれば容易に真似ることができます。

真似ること。これは一種の鎮魂ではないかと思います。

鎮魂は神様の霊魂を腹中におさめる術ですが、この場合、先生の霊を自分にのりうつらせる感じです。

それほど先生という存在が大きく憧れであったということです。

神様に対する信頼と憧れは鎮魂において不可欠な要素です。

          

テレビをみるとよく芸人さんが物まねをされているのを見かけます。

有名な歌手や俳優さんに成りきって、歌や演技を見事に演じておられる様子に思わず拍手喝采してしまいます。

なぜ人は真似をするのか。また真似が出来るのか。

それはその人に心から憧れ、自分がその人に成り代わりたいくらいに好きだからでしょう。

当然のこと、その人自身にはなりきれるものではありませんが、真似ている間は本人は自分を忘れて憧れの人そのものになりきっています。それはきっとその人にとって至福の時なのだと思います。

真似るときにはその人の癖や特徴をじっくり研究をします。

心までその人になりきらねばそっくりな真似は出来ません。

戦国時代の昔、影武者という存在がありました。

影武者は顔の似ているのは言うもさら、声色や行動や癖もそっくりそのまま似るように努力し、また本物の殿に仕えた近習のものたちからも日常の振る舞いや、武家におけるしきたりなどの詳細な教育を受けます。

それは近親者や味方もあざむくほどのコピーに仕上げるためです。

味方を欺かねば間者の多かった当時はすぐ敵陣営に知られてしまうからです。

かの武田信玄の影武者は有名で、信玄の遺言に従い、死後三年間も影武者が敵を欺き続けたと言われます。

不思議なもので、真似を続けるうちに真似る本人はいつしか真似ではなくなり、本人同様の言葉遣いや仕草となってまいります。心が体に染み入って同化するのです。

          

話は変わりますが、明治25年の節分の夜、突然大本開祖の出口直に国祖の神がかかり、開祖の口や手を借りて警告を発し始めました。

開祖も勝手に口や手が動いて、いきなり大声で怒鳴ったりすることにずいぶん困惑されたようです。

しかし、晩年の開祖は言います。

「近頃は神様もかかってこられなくなった」

その時の開祖様の立ち居振る舞いはすでに神様そのものとなられていました。

これはもう改めて神様がかからずとも、神様と同体となられた証拠です。

これも同体と化した一例です。

          

このように真似ばかりではなく同体となり本来の姿に立ち返らねば、霊に体を貸し続けるのと同じで、いつしか自分自身ではないというジレンマに襲われ、心身に支障をきたすことになります。

やはり自分は自分です。

人は誰しも自分にしかできない力と使命をもって生まれきています。

それを押し殺すことは神様に対して申し訳ないことであり、なにより自分のすべてを消すことは天則違反の大罪となります。

真似は先生のもつ高いレベルに早く達するためのひとつの手段です。

「学ぶ」とは「真似る」という言霊から転じたといわれます。

先生を真似ると、例えば先生が30年の歳月を経て得た境地に一気にタイムスリップできるのです。

先生が30年かかったからと言っても弟子も30年をかける必要はありません。

先生の30年の歳月を一気に飛び越して、その30年を超えるもっと上の境地に進んでいくのです。

師もそれを望んでいます。その時こそ本当に自分に帰れた時です。

武道では型に入って型を破ると言います。まず徹底的に自分を型にはめ込み修練を積んでいきますと、いつしか型がはずれる時期がきます。しかし、型をはずしても結局何をしても型に違うことなく行動をしている自分を知ります。

型は真髄そのものです。技のエッセンスなのです。

型に創始者が伝えたかった心と技が詰まっています。

          

いくら教えても「いや自分ならこうする」「自分は自分だから」と自分の工夫を加えて理解していこうという人は

少なくともこういった古来の芸事の世界には向いていません。

我を張っている間は本当の技も心も入ってきません。

「稽古人は、いかに自分を空しくすることができるかが大事だ」

私はそう教えられました。

まず自分を消し「完全に軍門に下ること」

民主主義が叫ばれる昨今ではそんなことはあり得ないことなのかも知れません。

私が軍門に下れたのも、やはり頭が悪かったのが幸いしたと言えます。

天津宮言の表は、神様の姿(天津金木)、神様の動き(天津菅曾)、神様の声(天津祝詞)がどのようなものであったのかを詳細に書いています。すなわちこれで神様の真似が出来るのです。

本当に真似をしたいのなら、あとはどれだけ神様が好きで神様に憧れているかに尽きます。

          

私はまだまだ未熟です。それは自分でもはっきり認めています。

何とか上手に神様の真似が出来ぬものかと切望しています。

今日も木剱をかかえ、天津宮言の表とにらめっこし神様のことを考えています。

悩みます。しかしこれは幸福な悩みだと思っています。

大好きな神様のことを恋い慕うゆえのことですから。

今の家内と一緒になりたいと思い煩った、あの若い日の胸が焦げるような恋煩いにも似た感情です。

いえ、家内には悪いのですが、今はそれ以上の大恋愛の最中です。

私はもっと恋する神を知りたい、そしていつまでも一緒に過ごしたいと願っています。