2007/05/14  

7話 北新地へ〜思いは現実を引き寄せる〜

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る…(省略)

              サミエル・ウルマン『青春』

 

 

 1989年8月、ハンガリー・オーストリア国境地帯でのピクニック事件を引き金に起きたベルリンの壁崩壊は、東欧に民主化の波を起こしました。同じ頃、日本ではバブル経済で、多くの人たちは「株だ」の「土地だ」の「ジャパン・アズ・No.1」だの言っては浮かれているような様相でした。そして、1990年、東欧の民主化の波は、ソ連の連邦制システムをぐらつかせることとなりました。

 

 そのような激動の時代、世の中の今後の流れに関心の強かった僕は単に生活のためだけに水商売をしていたわけではありませんでした。人間の心が開放される飲み屋の環境で、様々な人々の心や生き様に触れさせていただき、人間とは何なのか?人生とは何なのか?を学び、より良き社会の創造に向けての将来の糧にしたかったのです。

 

 

 激動の東欧とは裏腹に日本は相変わらず平和でバブル経済は人々の欲望の種に火をつけていました。海外にまでブランド物を買い漁りに行き、使いもしない不動産を買い漁り、応援する気持ちもない企業の株を買う…。ただただ欲望を満たすためだけの消費活動がそこにはありました。

 

 水商売の世界、夜の世界も異常でした。男たちは自分の力を物や金で誇示し、女たちは煌びやかに着飾り、外見を装うことに躍起になっていたかのようでした。

ミナミのパブもまた、バブルの影響を受け、そんな人たちが毎日のように自分の欲望を満たそうと、連日連夜、たくさんの人で賑わうようになりました。

平日でも予約をしないと入れないほど流行りの店となり、芸能人も遊びに来るほどで、当時の道頓堀界隈では、そこそこ名の知れたお店となりました。

売上げもドンドン伸び、お陰様で、学生の身分では有り得ないほどのお給料を頂くことができ、学費や生活費を支払い、親への仕送りを増やしても、十分過ぎるほどのお金が残りました。経済的にゆとりのあった僕は、それらのほとんどを国際政治や世界経済の予測・調査のための書籍代や勉強代などに充てました。

貪るように本を読みましたが、知識(information)だけではもの足りず、諜報員ではないけれど、実際に、世の中を動かしている人たちがどんな人たちなのか、また、その人たちの生の声やメディアには出てこない情報(intelligence)を収集したいと強く感じていました。

「秘密結社」が国際情勢やバブル経済をコントロールしていると考えていた僕は、「秘密結社」の意図を知ることが世界と日本の次の時流を読む手がかりになると考えていましたし、また、「秘密結社」の考える世界戦略をより深く知るために、この学生時代の間に実際に「秘密結社」傘下にある企業家やビジネスマンとのご縁を持ちたいと考えていました。

 

 

すると、思いは現実を引き寄せるのでしょうか?ある日、常連の女の子が自分の働く大阪・北新地のラウンジのオーナーママさんを連れて、僕の働くお店に飲みに来ました。

そのママさんは20年以上も大阪の北新地で働いてきた方で、強いオーラを感じさせる方でした。女性としての美しさや品格だけでなく、男っぽい強さや情に厚い包容力をも兼ね備えた昔堅気の方でした。

 

その日を境に、時々、僕のお店を覗いてくれるようになりました。時には大企業の重役や、経営者など、いろんな方を連れてきては、僕に紹介してくださいました。普通の学生の身分では出会えないような方々と出会うことができ、いろんなおじさん方から、いろんなことを学ぶ機会を得ることができました。また、僕自身も若輩者の不躾な意見として「バブル経済が崩壊する」ことなどについて、意見したりしていたものでした。

 

そして、そのママさんが来るようになってしばらくして、「お店に飲みに来なさい」とママさんから言われ、飲みに行くことになりました。

 生まれて初めての北新地体験でした。そのママさんのお店はそんなに広いお店ではなかったけれど、一目で高価とわかるゴージャスなインテリアが配置された綺麗なお店でした。

時はバブルということもあって、お店はたくさんのビジネスマンの方々で盛り上がっていました。時折、漏れてくる大人たちの会話に耳を澄ましていましたが、そこには僕の知らないまた別の世界がありました。

 

 結局、その日はお店の終了時間まで居ることになって、最後はママさんとお話することになったのです。そして、ママさんは僕に言いました。「あなたは後1年ほどで大学を卒業するんだし、社会人になった時のことを考えて、将来の人脈つくりのために、このお店で働いたらどう?」と提案してくださったのです。

 パブのお店は軌道に乗っていたし、ママさんの言われることは、僕の望んでいることでもあったので、二言返事で、そのオファーを受けることにしたのです。

 

 そして僕は、大阪・北新地で働くこととなったのです…。

 

 

 欲望と嫉妬が渦巻く夜の世界は、現代社会の雛型とも言えますが、その世界にも、かすかに見える一厘の光があったのです。僕はそれにもまた世界平和へのヒントがあるように感じたのでした。

 

一厘の光の話は次回に続く…。

 

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