2007/11/19    

2 序章:魂とこころと身体一体の医療を目指して その2

第1話では、「今のままでいいのか?」、「ほんとうになりたい医師の姿は何か?」という「内なる声」に促されて始まった自問の中で、初めに現代西洋医学の疑問と限界を感じたことをお話しました。

 

 今回は、その疑問と限界を、外来の患者さんたちを通して感じたエピソードから始めていきます。

 

医学部卒業後、内科医として出発した僕は、途中画像診断に興味を持ち、放射線科に専門の科を移しました。しかし、内科医としても継続して仕事をしていたいという気持ちから、相変わらず内科外来の仕事は続けていました。

 

ある日、40代のうつ症状を訴えていた男性の患者さんが外来に来ました。

「先生、なるほどお薬でうつ症状は軽くなりましたが、なんだか頭からヘルメットをかぶされてロボットになったようで、何も考えられません」

 

表情を失った顔つきとなっている患者さんのこの言葉に、僕はドキッとしました。

「僕はこれでほんとうに治療していると言えるのだろうか?」

「人間本来の自由に考えられる状態になってこそ、治療したと言えるのではないか?」

「このまま薬の投与を継続していいのだろうか?」

僕には大きな疑問でした。

 

また別の日、30代の女性患者さんが外来を訪れました。

「何年も前から頭痛が続いているのです。でも、別の病院では異常がない、と言うのでこの病院に来たのです」

 

いろいろと調べてみましたが、結局当院での血液検査や頭部CT、MRI検査においても他院と同様、原因とおもわれる異常所見は見つかりませんでした。

 

その間、対処的に鎮痛薬を処方しましたが、効果は一時的で、症状は相変わらず続いていました。検査で器質的な異常が発見できなかったので、結局精神的原因であろうとして、安定剤などを出して経過観察としてしまいました。

 

 「やっぱり原因がわからないのですね〜」

「ここの病院でもダメか」、という落胆した患者さんの表情がうかがわれました。

 

いくら検査で異常がない、精神的な原因であろうと医師に言われようとも、患者さんは現に苦しんでおり、とにかくその苦痛を取って欲しいのです。症状には原因が必ずあるはずなのです。現代西洋医学のレベルがもっと向上すればその原因が突き止められるのか?それとも唯物的観点のみからの現代西洋医学ではその原因が見つけられないだけなのか?

 

僕は、患者さんの痛みの原因を見つけられず、またその痛みさえも取ってあげられない自分に、医師としての限界と苛立ちを感じました。

 

こうした外来患者さんたちの声を通して感じてきた、現代西洋医学の疑問と限界に、「内なる声」に促されて自問を始めた僕は、次第に挑戦をしたくなってきたのです。

 

何か別の観点があるはずである。新しいアプローチがあるはずであると。

それも「人間は永遠なるこころをもった神聖な存在である」という観点をもった自分にこそできる何かがあると。

 

こうしてさらに自問を深める中で、「統合医療」に出会い、そして自分が望む将来の医師像としてついに現れてきたのは、「全人的に癒す医師」という姿だったのです。

それはまさに、「ホリスティック医学」と呼ぶものでした。

 

現在先進国諸国では、まさに現代西洋医学が医療における主流のアプローチとなっていますが、この現代西洋医学以外の治療的アプローチは、総称して「補完代替医療」と呼ばれています。

 

この補完代替医療には、伝統的な鍼・灸・気孔・漢方・ヨガやアーユルヴェーダ。さらには波動療法・催眠療法・瞑想療法・栄養療法・絶食療法・イメージ療法・バッチフラワー療法・ホメオパシー・アロマセラピー・カイロプラクティック・音楽療法・音響療法そしてソウル・セラピーなどのスピリチュアリティなどなど、実に多くのものがあり、それぞれに治療効果を持っています。

 

残念ながら今までは、現代西洋医学と補完代替医療はお互いに相容れることなく並存した状態で来ました。しかし、ここにきて両者を統合して治療するという、まさに「統合医療」の流れが医療界に起き、欧米ではすでに多くの医療機関で実践されています。また国内でも様々な研究会や学会も立ち上がり、これに共感を覚える医師たちも、今確実に増えてきています。

 

「ホリスティック医学」とは、この統合医療と似た概念ですが、単に現代西洋医学に補完代替医療を加えるといったものではなく、より全人的なアプローチのスタンスを取ることに特徴があります。

 

「ホリスティック:Holistic」という言葉は、ギリシャ語の「ホロス:holos」を語源とし、これは「全体」を意味します。つまり「ホリスティック医学」は、患者さんを、現代西洋医学的に臓器といった部分的な観点から診るのではなく、こころと身体そして魂をもった全体的な存在としての観点から診ます。そして、人間本来がもつ自然治癒力を癒しの原点に置き、その自然治癒力を高め、増強することを治療の基本とするものです。

 

 僕は、これから自分のクリニックで、補完代替医療として、「栄養療法」、「音響療法」そして「波動療法」を取り入れながら、この「ホリスティック医学」に基づく医療を始めていきます。そして、患者さんのこころと身体それに魂までもひとつにして診て癒すことの出来る医師、すなわち全人的に癒せる医師を目指します。

 

私たち人間は、この世に肉体という身体をもって今生きています。しかし生きているということは、こころがあって始めて感じられるものであり、肉体だけが動いているということではないはずです。

 

そして私たちには必ず、肉体としての死が訪れます。このことは誰も否定することも逃れることもできない、厳然とした事実です。

肉体の死は、すべての終わりでしょうか?

こころも、肉体の死とともに、雲散霧消してしまうのでしょうか?

 

私たちは、数十年の人生の中で、多くの人たちとの出会いと別れを経験し、そこには、いくつもの悲しみ、嘆き、怒り、笑い、そして感動があるはずです。そういった出来事も、肉体の死とともにすべて跡形もなく消えてしまうのでしょうか?

 

もし消えてしまうとしたら、生きている間にこころに刻まれたこれらの体験は、いったいなんだったのでしょうか?

何の意味もないことなのでしょうか?

 

僕には、どうしてもそう思えないのです。

 

この世で経験したすべてには、意味があり学びがあると、僕は思うのです。

様々な経験を通して、こころは成長していくと、思えるのです。

そして、それは今世だけでのことではなく、遠い過去からの連続であり、未来にも続いていくと信じています。

 

僕はそこに、こころの永遠性を感じるのです。

それは、「魂」というものではないでしょうか?

そして、その魂は神聖なものではないでしょうか?

 

現代西洋医学の優れた点を取入れ、同時に、全人的な立場で患者さんを癒す。そのときこそ、患者さんのこころと身体そして魂はひとつに調和し、本当に元気に、健康になるでしょう。

 

そして元気に、健康になった患者さんが、自分の志に目覚め、まわりのひとたちをしあわせにしていく。その健康でしあわせの輪が、水の波紋のように多くのひとたちに広がっていく。

 

これが、ぼくが理想とする医療です。

 

今はまだ、目指す医療の発展途上段階で、まさに試行錯誤中でありますが、ぜひともそんな医師を目指していこうと思っています。

 

以上が、

「これでいいのか?!」

「おまえのほんとうになりたい医師としてのすがたは何なのか?!」

という「内なる声」に対して出した今の僕の答えです。

 

次の章から、今こうして全人的に癒せる医師を志すに至った僕の人生の経緯を、子供時代から語っていきたいと思います。そしてそのことで、志をもったリーダーである皆さんに何かヒントを与えることができれば幸いです。

 

ぼくの人生の経緯を語る前に、まず始めに僕を生み育ててくれた両親のことを話していきたいと思います。それは、父母の生き方が、知らないうちに僕の人生に大きな影響を与えていたことに気付いたからです。

 

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