2008.12.15   

第19話  医学部での学生生活

前話までは、医学部の学生時代から夢中になって真理を探究し、法華経と新約聖書から何を私が学んだかのお話でした。少し堅いお話が続きましたので、今回はあまり知ることのない医学部での学生生活を語りたいと思います。もう20数年前の話となりますので、現在の医学部の学生生活とは違うところもあると思いますが、医師となるための学生生活ですので、基本的にはあまり変わらないのではないか、と思います。

医学部6年間の生活において、初めの2年間は教養学部での勉強、そして後半の4年間は、医学部においてひとりの医師を育てるための専門の勉強となります。つまり大学3年生で専門の医学部に移行するわけです。医学部生活6年間の中でも、特に勉強が忙しく大変と言われているのが、医師としての専門の勉強が始まった医学部1年生(大学3年生)。それと、大学病院での臨床実習、卒業試験そして国家試験と続く、最終学年である医学部4年生(大学6年生)です。

医学部1年では、まず徹底して人の身体の正常の構造を学びます。マクロ的には「解剖学」において人体の構造、つまり各部位の骨や筋肉そして神経や血管の走行などを、献体(死後、解剖学実習のためにご遺体を提供して下さること)してくださった方の本物の人体を用いて、4人一組となり、実際に神経や筋肉などの各部位を同定し、スケッチをしながら学んでいきます。人体は左右ほぼ対象の構造となっているので、各2人ずつが人体の左右に分かれて解剖を進めていきます。

 初めての解剖の日は、今も忘れません。その日はこれからいよいよ人体解剖が始まるということで、かなり緊張していました。ある先輩からは、「解剖学実習中に気持ちが悪くなって吐き気をもよおして倒れそうになった」、またある先輩からは「自習中は食事が喉を通らなかった」、などと聞いていたからです。いざ解剖学実習室に入ると、そこには白い麻のような布で包まれた、30体程の献体されたご遺体が、解剖台の上に整然と置かれていました。襟を正すような厳かな、そして不思議なほど静寂な雰囲気を感じました。

またこの解剖学実習室は、献体の防腐をするために施された、いわゆるホルマリンの強烈な匂いが立ち込めていました。人の嗅覚はすぐに鈍感となります。実習室での実習が始まりしばらくすると、ほとんどこのきつい匂いは気にならなくなりますが、一歩実習室から出て上級生に会ったりすると、上級生に私たちが解剖実習をしていたことがすぐにわかるほど、私たちの衣服にその強烈な臭いは染み付いていました。

半年近くかかってまさに身体の隅々まで解剖をしながら人体構造を学んでいくわけですが、名も知らぬ我々学生に、将来の医師を育てるためにと、ご自分の死後、その身体を医学部に提供して下さった方々の尊い意思に報いるためにも、私はこれからもひとりでも多くの患者さんを癒していきます。ここで改めて、献体をして下さった方々に、感謝と敬意を表します。「我々医学生のために献体して下さり、こころより感謝いたします」

解剖学実習中に感じたことは、解剖をしているご遺体とそれに対面している私たちは、まったく同じ肉体構造をもっているということです。しかし、ここに「生」と「死」という厳然な違いがあります。その違いは何か?幽体離脱の経験をしていた私には、そこに「魂の存在」を感じざるを得ませんでした。つまりこの肉体という身体に魂が宿っているかいないか、その違いこそがまさにこの世での生と死の違いと感じたのでした。

解剖学においては、上記の実習と同時に、全身の筋肉や骨そして神経・血管の走行などをすべて暗記していきます。解剖学名は、日本語名と同時にラテン語名も暗記していきます。

例えば、左右の頚を斜め上下に走行する筋肉に、「胸鎖乳突筋」というのがあります。この筋肉の起始部は胸骨部と鎖骨部の2部からなり、付着部は後頭部の耳の後ろにある乳様突起というところを結びつける筋肉になります。この筋肉の神経支配は副神経外枝と頚神経枝が支配し、そしてそのラテン語名は「Musculus sternocleidomastoideus」と言います。

 初めのMusculusは「筋肉」という意味で、後半部分が「胸鎖乳突」という意味をなし、合計30個のアルファベットが並びます。骨の場合は「Os」が付き、例えば骨盤の側壁と前壁をなす寛骨は「Os coxae」と言い、この寛骨の尖った部分や曲面など、それぞれに何十と言う名称が付けられています。こういった各骨の名称を日本語とラテン語名で何百と覚えていくわけです。

一度に数百の解剖名を暗記しなくてはならないのでかなり大変です。ある朝、解剖学の試験が始まる直前に、同級生と学部棟の前で会ったので、「おはよう!」と、彼の肩を軽く叩くと、「頼むから叩かないでくれ、覚えたばかりの解剖名が頭からこぼれる!」と、真顔でその彼が僕に言ったことが思い出されます。

さらに人体を学ぶにあたって、ミクロ的には「組織学」があります。これは、顕微鏡を用いて各臓器の細胞レベルの構造を、これもまた何百枚というスケッチと暗記をしながら学んでいきます。また分子レベルの基本的な科目として、人体の代謝を学ぶ「生化学」においても、例えば糖からエネルギーの基となるATP;アデノシン三リン酸が生み出される何十という代謝過程を、関係する酵素も含めて、そのすべてを化学構造式まで含めて暗記していかなければなりません。とにかくひたすら、まずは人体に関する基礎知識を、マクロとミクロの両面から丸暗記していく、これが医学部1年生の義務となります。

医学部2年生そして3年生になると、1年生のときのような膨大な暗記を要する科目はなくなりましたが、内科学や外科学などといった本格的な臨床講義が始まり、少しずつ医師に向かっていると感じられる期間となりました。医師となるときは、内科医や外科医、産婦人科医などといった自分の将来の専門を選択しますが、医学部においては、その他放射線科も皮膚科なども含め、すべての科を学びます。

そして医学部3年生の後半になると、6人くらいのグループに分かれて大学病院の各科をまわる臨床実習(通称ポリクリ)が始まります。この臨床実習が始まった先輩たちが、実習で担当した患者さんのことや治療の話などをしている白衣姿を見ていると、すっかり医師になってきたと思え、憧れを感じました。

このポリクリは、映画やドラマで有名となった「白い巨塔」などでご存知のとおりです。週1回の教授回診では、研修医や指導医をしている医局員、そしてわれわれ医学部生も混じっての大名行列のような回診が行われます。そこで研修医などが担当患者のベッドサイドで、教授に病状説明や治療計画などを伝えていく現場に立会い、医師としての仕事を垣間見ることになります。

こうして基礎から始まった医学部での講義は、大学病院での臨床実習を最後に、私たち医学部4年生(大学6年生)は、臨床科目すべての卒業試験そして医師国家試験に向けての生活と入っていきます。約半年続くこの試験だけの期間は、今まで毎日朝から夜まで実習で行動をともにしてきた仲間たちとも別れ、各人が孤独な受験生活となります。

そんな医学部での学生生活の合間にも、法華経などの仏典や新約聖書を読んで感動した一節に出会ったり、また思索した思いを伝えたくて、真夜中誰の足跡もついていない、しんしんと降る雪の中を歩いて、親友のKさんやIさんのいる下宿を訪ね、時を忘れて語り合ったりもしました。ときには、医学部の駐車場で、2時間近くも真理について立ったまま話し続けたこともありました。今も忘れることのない、掛け替えのない、貴重な時間でした。

さて、次回は、私が医師となり、専門医としての仕事をどのようにして学び実践してきたか、もうひとつの専門資格であるCFP_(ファイナンシャルプランナー)についても併せ、志ある若きリーダーの方たちに少しでも参考になればという思いで、お話します。

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