2014.03.03

第12章 物語の始まり

これは、米国フロリダ州に住むリネット•ブレイク(Lynnette Blake)に実際起こった話だ。

私の名前はリネット•ブレイク。2007年の10月、子宮頸(けい)ガンと通告されました。抗ガン剤の投与が始まったのはその年のクリスマスの週で、2ヶ月続きました。それが終わると今度は新しいタイプの抗ガン剤が2週間。そこで様々な検査をして、次は抗ガン剤と放射線の組み合わせ療法が始まりました。放射線の治療は10回受けましたが、新しい抗ガン剤の投与される量と言ったら、私はそのときの体験を決して忘れることができません。

一晩の半分くらいを夫のジェイソンと浴室で過ごしたこともあります。ジェイソンが、シャワーを浴びながら、もう死にたいと泣きはらしている私を見つけました。全身のあらゆるところが痛み、これほどまで具合いが悪く、体が弱くなるのが同時に起こるとは、全く想像もできませんでした。これだけの痛みと何もできなくなってしまった無力感で、生きていくことに価値があるとは思えず、私は本当に死ぬことを考えました。ジェイソンはシャワー室の横に座り、どれだけ私のことを愛しているか訴え、私に服を着せて、ベッドに戻してくれました。

また、子供たちが家にいたときのことです。長女のマッケイラが浴室で、具合いが悪くてもどしている私のことを見つけました。彼女は床から私を助け起こし、カウチまで連れて行ってくれました。そして、弟と妹に食事を作り、2人を寝かせつけました。こうして自分の家族を助けることが、どれだけ自分を成長させるか、彼女自身はまだ気がついていないでしょう。母親として申し分のないくらい下の子たちに愛を与え、面倒を見るのは、彼女のよい特質です。

抗ガン剤の投薬はクリスマスから次の年の5月まで続きました。3月と4月が一番悪戦苦闘しました。生活と対面するのが最も困難なときでした。私なしで子供たちはどのようにやっていくのか、ジェイソンと私は当惑しました。マッケイラの初めてのデート、高校の卒業式を、私が見届けることができない、という考えが浮かぶのを抑えつけることができませんでした。勇敢な息子のオースティン、まだ幼いアビゲイルにも同じ考えが浮かびました。私のここでの仕事はまだ終わっていない、と感じました。ましてや、ほかの女の人がこの3人の子たちを楽しませ、育てるなんて、全く嫌なことでした。この子たちを育てるのは私の重要な仕事です……………………。

以上はリネット•ブレイクの自筆の本(<補足12-1>)からの抜粋だ。この後、抗ガン剤と放射線の長いセッションは一通り終え、2008年の5月にガンの専門医を訪ねて検査してもらうのだが、家族の愛に支えられ、ガンの薬と放射線の過酷な副作用に耐えて、いよいよガンは退散する、というストーリーをだいたいの人は思い浮かべるだろう。ところが、現実は逆に彼女に重くのしかかる。検査によって判明したのは、状態が全く改善していないどころか、むしろガンはさらに進行していた、ということだ。

彼女のガンは、最初は2006年9月、子宮頸ガンの第2ステージと診断され、抗ガン剤によって退いたように見えた。ところが2007年10月にガンは再発、このときの検査では子宮から膀胱と腎臓、リンパ腺に転移をし、第4ステージだった。今の医学界はガンの進行を基本的に4段階に区分している。第4ステージはガンの末期と呼ばれ、ここであと何ヶ月の命、と余命を医師に言い渡される。つまり、末期は死の宣告に近い。

2007年のクリスマスの週から半年ほどの治療は、病状の改善には全く役に立たなかったわけだ。ここで医師は彼女に、命が助かるには、さらに強力な抗ガン剤と放射線の治療をしなくてはならない、と告げる。しかし、それでも助かる見込みは非常に低い。しかも、副作用はさらに過酷さを増す。彼女の話を続けよう。

私の肩に山がのしかかり、その重さに耐えながら、次に何をするのか模索せざるを得ない、と言う感じでした。死を考えたとき、なぜ私のような若者がこの怪物と戦わなければならないのか、という疑問をもたないわけにはいきませんでした。なんで私に、そしてなぜ私の家族がこんな苦しみを味わなければいけないのか。私はここで何かを証明してみせなければならないのか。それともガンという悪魔に取り付かれてしまったのか。ガンが勝利しつつあるかに見えました………………。

クリスチャンであるリネット•ブレイクは教会の仲間から、友人、近所の人たちから食料、お金の援助、多くの励ましを受ける。姉は公園で資金集めの食事会を開催し、それが成功してかなりのお金が集まった。母と義理の父は家族全員に、医療からの休養が必要だと、故郷のオハイオに帰る旅費を出して、招いてくれた。たくさんの人の励ましによって、2008年5月の終わりに、彼女は決心する。

何度もお祈りをした後、今、目を覚ますときで、ポジティブになり、死ぬことを心配するのは止めよう、と決心しました。............すべての道を神が導いてくださり、私の決断を助けてくださっている、と私は感じました。これがどういうことかと言ったら、最初、私はこの本を、大切なお友達のブラッドのために書こうかと思いました。彼は私に、全くの自然な生き方について話し、説明し、そこに導いてくれたからです。通常療法だけをただ受け入れ、そのまま死を待つことはない、と彼は言いました。自然が恵んでくれた治癒の方法がたくさんあるはずだ。彼がくれた情報をもとに、私の調査が始まりました。

<補足12-1>Lynnette Blake著「The Heavenly Cure for Cancer - Is There One?

 

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