2014.03.31

第14章 ガンの政治学

リネット•ブレイクは2011年の8月、最後のだめ押し検査を受けた。マンモグラフィー(乳房X線撮影)と超音波、全身PETスキャンにCTスキャンという相当念入りな検査でも、ガンは体のどこにも、みじんも発見されなかった。彼女のように末期がんが完治するケースは、決して珍しくない。彼女のケースが特異なのは、いわゆるガンの専門家に頼らず、自力で治したことだ。人工の抗ガン剤、放射線、手術のいわゆる通常療法を主力としないで、あるいは通常療法を全く使わないでガンを治療する医師は、私の知るかぎり、アメリカ合衆国、メキシコ、ドイツなどのヨーロッパ、そして日本にも、かなりの数がいる。しかも、通常療法を主力とする主流の医師に比べて、治る確率も高いようだ。

こうした非主流の医師のところに行く人は、通常療法の医師に匙を投げられるか、自分が通常療法に匙を投げた、というのが大半だ。もし、主流の医師のところで通常療法の治療を受けないで、最初から自分のところで治療していれば、治る確率はさらに高まる、と非通常療法の医師たちは口を揃える。いずれにせよ、非主流派は一般にはあまり知られていないから、治療に来る人は口コミが多い。

ここで大きな疑問が生じないだろうか。なぜ、ガンをもっと治すと見られる医師たちが非主流で、ガンを治す確率の低そうな医師が主流なのか。なぜ、ガンの治療法は通常療法以外にたくさんあるのに、一般にはあまり知られていないのか。

米国オハイオ州のワシントン•コート•ハウスという田舎町で、主に家庭医をしていたフィリップ•ビンゼル医学博士(Philip E. Binzel, Jr.)のところに1977年の12月、ロバート•ブラッドフォード(Robert W. Bradford)という人から電話が入った。ブラッドフォードはガン治療に関する選択の自由委員会(<補足14-1>)という組織の会長で、連邦裁判所で行われる公聴会に、ビンゼル博士が証人として立ってほしい、という依頼だった。米国の政府組織であるFDA(食料医薬品局、<補足14-2>)がレートリルの輸入を禁じる訴訟を起こした、というのだ。

レートリルは、いわゆるビタミンB17と呼ばれるアミグダリン(<補足14-3>)のことで、ビンゼル博士はガンを患っている人への治療の一環として使っていた。ロバート•ブラッドフォードはすでに、人体に対する毒物の研究で著名なブルース•ホルステッド医学博士(Bruce W. Halstead)と、FDAの訴訟に対抗する証人になってもらうことで同意していた。レートリルは毒物で危険であることを訴訟の理由にしているFDAに対し、実際は人体に無害であることを、毒物専門家の立場から、そしてそれを治療に使っている医師の立場から証言してほしかったわけだ。

ビンゼル博士は家庭医、日本的に言うと町医者だ。町医者が、ガンを患っている人に治療行為をすることは、アメリカでも、日本でもまずないだろう。ガンだと判断したら、ガンの専門医を紹介するだけだ。と言ってもビンゼル博士がやっていることは、ガンの治療行為というより、食事とサプリメントの指導だ。しかも、本来は家庭医だから、この栄養素指導はどちらかというと、本業の合間の時間を利用してやっていた。これを始めるきっかけは選択の自由委員会から、ガンに対する栄養素療法の情報を与えられたことだ。ビンゼル博士は証人の依頼をすぐに引き受けた。

FDAが起こした訴訟の発端は、ニューヨークに住んでいる女の子が数ヶ月ほど前、その父親が持っていたレートリルの錠剤を飲んでしまったことだ。その子は病院に連れて行かれ、2日間にわたって血液検査などをしたが、毒物の症状などは現れなかった。ところが、3日目に医師がどういうわけか、シアン化物に対する解毒剤をその子に与えた。その次の日、その子は亡くなった。これはレートリルの毒が原因だから、この輸入を禁止しよう、というのがFDAの言い分だ。レートリルのサプリメントは当時、メキシコから輸入されていた。これに対し、ガン治療の選択の自由委員会がレートリルの弁護に回ったわけだ。

オクラホマ•シティーの連邦裁判所で行われた公聴会は、裁判長がルーサー•ボーアナン(Luther Bohanon)。弁護側はホルステッド博士、ビンゼル博士、弁護士のケン•コー(Ken Coe)の三人で臨んだ。まず弁護側はビンゼル博士が証人として、今まで3年あまり、ガンを患っている人にレートリルを使用したが、毒物的な反応は誰一人として現れなかったことを訴えた。次に証言台に立ったホルステッド博士は、どんなもの、たとえ体にいいとされている栄養素でも、過剰に摂取したら毒になる。レートリルが毒というのなら、ガンの治療に通常使われる抗ガン剤の方がはるかに毒性が高い、と証言した。

弁護側の証言が終わった後、ボーアナン裁判長はFDAが雇った三人の弁護士に、「さあ、今度はあなた方の証人から証言を聞き、証拠を見せていただく番ですよ」と知らせた。それに対しFDAの弁護士の一人は、「裁判長、私たちは証人も証拠も持っていません」と答えた。その後の裁判長とFDAの弁護士とのやり取りはこうだ。

「あなた方は、レートリルは毒であるとあなた方が起こしたこの訴訟に、そのための一人の証人も、訴訟を裏付ける証拠も全く持っていない、と言うのですか。」
「その通りです、裁判長。」
「では、何故この訴訟を起こしたのですか。」
「裁判長、それはレートリルが危険である可能性があるからです。」
「誰にとって危険なのですか。」
「連邦政府にとって危険なのです、裁判長。」
「一体、どういう理由でレートリルが連邦政府にとって危険だというのですか。」
「それは、裁判長、連邦政府がコントロールを失う可能性があるからです。」

ボーアナン裁判長は明らかに苛立っていた。終了の鐘を鳴らし、「この訴訟は無効とする」と宣言した。

以上はビンゼル博士の回想だ(<補足14-4>)。だから、FDA弁護士のこの滑稽(こっけい)な対応は、どこまで正確かは分からない。公聴会だから公式の記録も残っていないだろう。しかし、同じ時期、このボーアナン裁判長は、レートリルのアメリカ国内での使用を妨害しようとする政府、FDAに対し、その妨害活動を停止し、レートリルの使用を認める法的な決定を下している。これは公式な記録として残っている(<補足14-5>)。これに至った経緯も、FDAの滑稽さが露呈する。

1977年の最初のころ、オクラホマ•シティーのグレン•ラザフォード(Glen L. Rutherford)はガンにかかり、メキシコに行って、レートリルを使用する栄養素療法の治療を受けた。2週間ほどで一通りのプログラムを終え、自宅で自力で治療を続けるため、レートリルなどを購入してメキシコの病院を出発した。ところがアメリカの国境をわたるとき、税関でレートリルが押収された。押収はアメリカ政府の命令だと知ったラザフォードは政府とFDAを相手に、連邦裁判所でレートリルを使用する権利を主張する訴訟を起こした。

裁判長はルーサー•ボーアナンだ。裁判は数週間かかり、FDAの弁護士は毎日のように、何百もの研究が、レートリルはガンの治療に効果がないことを証明している、と主張し続けた。裁判が終盤に差し掛かったころ、ボーアナン裁判長はFDAの弁護士に、「明日、この裁判所に来るときに、レートリルに関するその研究資料を全部、証拠として持ってきてください」と依頼した。

次の日の裁判が始まると、ボーアナン裁判長は早速FDAの弁護士に、研究資料を提出するよう求めた。その弁護士は、「裁判長、私たちは研究資料を持ってきていません。研究は非常に科学的で専門的ですので、お見せしても理解できないと思うからです」と答えた。もちろん、これでは裁判長は納得できない。ボーアナン裁判長は、次の日の裁判が始まったときには、それらの資料はこの裁判所に揃っていなくてはならない、と命じた。

次の日も資料は用意されてなかった。裁判長が理由を尋ねると、FDAの弁護士は、資料の量が多すぎて、裁判所の建物に収まり切らないから、と言い逃れた。ボーアナン裁判長は、裁判所の中にあるものをすべて処分してでも、十分な場所を用意するから、次の日は必ず資料を持ってくるよう命じた。次の日も、相変わらず資料は持ち込まれなかった。何故だ、と問いつめる裁判長に、FDAの弁護士は、「裁判長、それは研究は全くされていないからです」と答えた。

弁護士は毎日、ワシントンのFDA本部に、資料を用意するよう連絡していたようだ。その都度、本部からは資料を用意して、オクラホマの裁判所に届ける、と返事が来た。最後に弁護士が裁判長のように、ワシントン本部に問いつめると、実はレートリルに関する研究は全くやっていない、と返事をしたそうだ。これによってボーアナン裁判長は、レートリルに関する行政公聴会(Administrative Hearing)を開くことを決定する。

この公聴会にも、ビンゼル博士は出席し、証言している。博士の見たところ、公聴会に来た人はほとんどが、レートリルを支持する人たちだった。これに混じって、FDAを支持する研究者が、「液体のレートリルの瓶を空けるときは、広い部屋で、窓を開けていないと、その毒が空気中に放出されて、部屋にいる人は全員中毒症状を起こす」という、まったく馬鹿げた証言をしていたようだ。この公聴会の証言、提出された証拠はすべてボーアナン裁判長に送られ、1977年12月5日、裁判長の最終決定が下される。

この決定は、政府とFDAはレートリル(アミグダリン)の個人的、そして商業的な輸入、輸送を妨害、干渉してはならない。また政府とFDAは、ガンを患っている、あるいは患っていると思っている人に、その治療の一環としてレートリルを使用することを妨害してはいけないし、免許を持った医師がそれを使用することも妨害してはならない、と明言している。つまり、レートリルは売買も、ガン治療に使うことも、法的に認められた、ということだ。

この決定によって、レートリルの売買に宣誓供述書システム(Affidavit System)というのが生み出された。この辺りが非常にお役所的なのだが、レートリルをほしい人、つまりガンを患っている人と、そのレートリルを治療に使う医師の2人が、レートリルを購入する、という宣誓供述書に、公証人の立ち会いのもとで署名して、薬剤師を通してFDAに提出する。その供述書をもとにFDAがメキシコに注文をいれ、仕入れ、そのほしい人に送る、というシステムだ。

これでは、法的に認められたとはいえ、完全に自由化されたとは言いがたい。実際、注文してからなかなか本人のところに届かず、薬剤師に苦情が殺到した。FDAのオフィスに商品が何日も置き去りにされていたためだ。薬剤師がいくら催促しても、薬剤師に対して強い立場にあるFDAはなかなか動こうとしない。結局、この苦情はボーアナン裁判長のオフィスに殺到し、裁判長がFDAに対して、速やかに注文して本人に届けるよう、異例の通達を出した。これで当初のFDAののらりくらり戦術は回避された。

FDAがレートリルの研究や調査をしていないとはとても思えない。当時すでにメキシコでは、アーネスト•コントレラス医学博士(Ernesto Contreras)が中心となって、ガン治療にレートリルが盛んに使われていた。研究や調査をすればするほど、レートリルが抗ガン剤として有効であること、人体に対する毒性はほとんどないことが分かっただろう。レートリルの有効性が知れ渡ったら、FDAの支持基盤である薬品業界は大損害を被る。いったい、どれだけの資金が人工の抗ガン剤の研究に費やされたか。この抗ガン剤の収益でどれだけ製薬会社や医師の収入が支えられているか。様々な食物の中に天然に存在するレートリル、つまりアミグダリンがこの人工抗ガン剤に勝るものだと一般に知れたら、薬品業界、FDAにとっては損害どころではすまされない。

ガンをこの世から撲滅する、なんていう呑気(のんき)なことを言っている場合ではない。裁判で研究資料など出せるわけがない。やっていることがいくら滑稽に映っても、格好なんか気にしていられない。幸い、一般大衆はこのことをほとんど気づいていない。医師でさえ、知らない人が圧倒的に多い。裁判になって、”科学的”な証拠を出されたら勝ち目はない。だからこの1977年を境に、FDAのレートリル撲滅戦略が変化する。

これまでは、どちらかというと、レートリルはガンに対して無効であるという論調を展開していた。ニューヨークの女の子が亡くなった事件辺りから、レートリルは毒で人体に危険だ、という論調になった。レートリルの構成要素の一つはシアン基、つまり青酸だ。青酸が強い毒であることは、多くの人が知っているから、これは非常にいいアピールとなる。1978年、1979年ころFDAは、様々な大学キャンパスに講師を送り、学生を集めてレートリルの毒性を訴える講演をさせた。

そもそも、証拠も証人もなしに訴訟を起こしたのは、そうすればメディアが報道し、レートリルは悪いものだという強い印象を人々に与えられるからだ。裁判が終わって結果が出る頃にはメディアの熱が冷めて、一般の人々の関心も薄らいでいるから、ニュースのサイズは大幅に縮小する。ニュースの印象は出だしが圧倒的に強い。だから、FDAが裁判で目指していることは、勝つことよりも、時間稼ぎだ。また、裁判所でそのまま採決されるより、行政公聴会でその後裁判長の決定が下った方が、ニュースの印象がはるかに弱いから、FDAにとっては非常に都合がいいだろう。

全く無知なメディアは、FDAのキャンペーンに乗って、大々的に報じ、書き立てた。それから40年以上もたった現在では、レートリルのことは一般にはあまり話題にはならないが、いまだにメディアはレートリルはインチキで、それを使う医師はいかさまだ、という論調を続けている。インターネットの百科事典、ウィキペディア(Wikipedia.org)でさえ、そういった論調だ。FDAの執拗なキャンペーンは功を奏し、ボーアナン裁判長の決定と、それによる宣誓供述書システムはついに1989年2月に覆(くつがえ)される。

ビンゼル博士は政府、FDAと直接対決したわけではない。そもそも家庭医で、その合間にガンの治療をしていただけだ。博士に直接対決を挑んできたのは、オハイオ州の医師協会の役員会(The Medical Board of the State of Ohio)だ。レートリルの使用を非難する公聴会に呼び出されたり、患者の名簿を提出することを強要され、医師免許を剥奪するという脅しを受けるなど、博士はさんざんな嫌がらせをされている。博士は何度か裁判に立ち会った経験と人脈を生かして、この役員会の執拗な攻勢を何とかかわしていた。最終的には、オハイオ州の下院議員、ジョー•ヘインズ(Joseph E. Haines)と知り合い、彼に事情を説明すると、それ以降、医師協会からの攻勢はぴたりと止まってしまった。

ビンゼル博士より、レートリルなどを使った栄養素療法でガンの治療を積極的にしていたジョン•リチャードソン医学博士は、政府とFDA、医学•薬品業界と壮絶なバトルを繰り広げた(<補足14-6>)。こうした状況で、いくら新しい療法のことを知っても、あえてそれを試す医師が何人いるだろう。そもそも医学学校では栄養のことを十分には教えていないようだ。医学学校で、薬品業界が開発した医薬品の知識ばかりを叩き込まれる医師に、自然な物質を使った療法を知ることを、期待する方が無理かもしれない。

FDA、医療•薬品業界の押さえ込みの対象は、医師や薬剤師だけではない。非主流の方法でガンを治した人にも目を光らせる。自力でガンを治したリネット•ブレイクのところにも、製薬会社が接触してきたそうだ。抗ガン剤と放射線が全く効かず、レートリルなど自然な“薬”で治ってしまったのだから、製薬会社が慌てるのも無理はない。これらのことをメディアに対して黙っていてくれたら、今まで治療にかかった経費をすべて負担する、と提案してきた。リネット•ブレイクはその提案を受け入れ、経費をすべて払ってもらったそうだ(<補足14-7>)。

<補足14-1>The Committee for Freedom of Choice in Cancer Therapy。後に名称をThe Committee for Freedom Choice in Medicineに変更。

<補足14-2>Food and Drug Administration。日本では労働厚生省に当たる。

<補足14-3>Laetrile(レートリル)は本来は、半合成の工業製品でパテントがあり、アミグダリンと分子構造は似ているが、違うものだった。しかし、メキシコを中心にガン治療で使用されているのは、天然のアミグダリンだが、一般的にレートリルと呼ばれている。だから、本書に登場するレートリルは、本来の半工業製品ではなく、天然のアミグダリンのことだ。

<補足14-4>Philip E. Binzel, Jr.著「Alive and Well」(American Media出版)より。

<補足14-5>この決定の記録は、The United States District Court for the Western District of Oklahoma, No. CIV-75-0218-B。

<補足14-6>John A. Richardson、Patricia Irving Griffin共著「Laetrile Case Histories」(American Media出版)や、G. Edward Griffin著「World Without Cancer」(American Media出版)など参照

<補足14-7>ところがリネット•ブレイクは、そのままただ黙ってはいなかった。ガンが治った後、自分の体験を本にも書いたし(自費出版、<補足12-1>)、講演などでも話している。また、自宅学習によって、自然療法協会(The Pastoral Medical Association)から自然療法医(Naturopathic Doctor)の資格も取った。デボラ•デマルタ医学博士(Deborah DeMarta)と共同で、バック•トゥー•エデン•ウェルネスセンター(Back to Eden Wellness Center、フロリダ州スチュアート)というクリニックも設立した。自分が治した方法で少しでも多くの人を救おう、というのがリネット•ブレイクのライフワークになったようだ。しかし、フロリダ州では自然療法医の資格で治療行為をするのは違反であるとして、2013年8月、フロリダ州マーティン群の群警察に逮捕され、クリニックには群警察と群衛生局が押し入り、医療機器やサプリメントはすべて押収され、クリニックは封鎖された。このときにクリニックに歯のホワイトニングをする機械が置いてあり、このために歯科医の無免許の罪も着せられたそうだ。デボラ•デマルタ博士が診断と治療で、リネットは食事とサプリメントの指導と役割を分けていたのだが、リネットの栄養素指導は、患者にやると治療行為だ、という警察の判断でお縄となった。栄養指導とはいえ、患者に対しては、いわゆる医師、つまり医学博士でないとだめだ、ということだ。しかし、患者に対してできないのなら、自然療法医の資格は意味をなさないだろう。カリフォルニア州で通常療法以外の自然療法などを合法にしようとロビー活動をしているフランク•クーニー(Frank Cuny)によると、カリフォルニア州でも自然療法医が合法となったのは5年前で、それまではリネットのようなケースが起こりうる状況だったという。ともかく、非主流派の医師や研究者で目立ったことをする人たちの多くは、こうやって逮捕されている。詳しくは次の第15章を参照。

 

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