2016.04.12    

第18章―13 隠蔽(いんぺい)されたガン治療法の数々 その12

天才が自分の世界に入ると、持って生まれた能力の他に、恐ろしいほどの集中力、吸収力を発揮し、それはまさに命がけとしか表現のしようがないほどです。”火事場のばか力”と言って、人は命がかかると信じられないような力を発揮しますよね。だからこれは、天才と呼ばれる人たちだけのことではありません。誰だって本当は、命をかけるときがあるはずだし、命をかけたくなること(それを仕事と言おうが、あるいは遊びと呼ぼうが何であれ)が誰にもあるはずだ、と私は思います。

この命がけのときこそ、生命が現れる。つまり、生きている。また、それだけの能力、集中力、吸収力といった力を命がけで発揮できる情熱こそが、出口光メキキの会代表のおっしゃる”志”なのではないか、と私は思います。

ですから、フィギアスケートの羽生結弦選手が、命がけで4回転サルコーに打ち込む時こそ、羽生選手は最も生きている(この前の世界選手権ではほとんど誰もが優勝すると思っていましたが、完璧が大きく崩れ、銀メダルでした。世界最高得点を出したときよりさらに難易度を上げたようですが、世界最高得点のときに”完璧”であるかのような評価を与えられ、それ以上のことを目指すことが非常に困難で、まるで神に試練を与えられたように感じる、とインタビューで話していました)。

ベートーベンが命をかけて不滅の大傑作、交響曲第5番の作曲に耽(ふけ)る時こそ、ベートーベンは最大に生きている(もちろん、不滅の大傑作はこの5番だけではありません) 。親が命がけで子育てに励む時、つまり最も愛する相手に愛(命)を注ぐ時、最大限に生きている。命がけでそうじ、片づけに取り組む時、つまりその空間に美(命)を注ぎ込む時、最も生きている。

私は、こうした命があふれている作品や空間、命がこもっている表現や演技に感動すると、”悟り”のような境地に到達します。それは、差のない、切れ目や境界がない、肉体など物質性のあるものは一切ない、”私”というものでさえそこにいない、怒りや憎しみ、もしかしたらポジティブもネガティブも全てのものを溶かして無にしたような、ものすごくまぶしい光に包まれたように鮮明で強烈なものしかない、それでいて全く静かな、完璧で完全な世界です。これが、科学者で哲学者のデヴィッド・ボーム(David J. Bohm)などが「ホール(WholeあるいはWholeness)」と呼ぶものではないか、と私は考えています。

命がかかればかかるほど、作品や空間、演技にこのホールが現れる。ホールが現れるほど、現れるホールがよりホールであるほど、人々に深い感動を与える。健康の英語、Healthの語源はWholeのようですが、生きていればいるほど、命を表現すればするほど、その人にホールが現れ、その人は健康である、と言えないでしょうか。

そもそも、完璧で完全な”悟り”に入ったとき、体の具合が悪いとか、調子が思わしくないとか、かゆい、痛い、機嫌が悪い、不愉快だ、頭にくるといった、どこか満たされていなくて欠けているような、不完全な状態は起こりようがない、としか私には思えません。そこは、喜びで満たされています。

私はこれに”永遠”というものを感じるのですが、ともかく、私たちが現実と思っているものは、実は移ろいやすい、その時だけの現象であり、このホールこそが正真正銘の真実だとしたら、この真実には不健康はないし、病気とか、病的なものが存在するとはとても思えません。

ところが、明確な志がある天才の体が、必ずしも健康であるとは限らないようです。その代表はベートーベンで、ずいぶんと若いころからずっと体の調子が悪かったうえに、耳がだんだん聞こえなくなってきて、あの歴史的な大名作のダイク(交響曲第9番)を作曲したころは、全く聞こえなくなっていたようです。

“独創的”という言葉はこの人のためにあるのではと思えるほど全く独特の曲を作り続け、次々と傑作が生まれるのでノーベル賞作家のロマン・ロランから”傑作の森”と絶賛され、当時のヨーロッパで主流だった音楽(クラシック音楽)を完全に変革してしまった、自他ともに誰もが認める大天才であり、これほど明確で強い志があって、200年以上も人々を感動させ続けているベートーベンでさえ、32歳のころには自殺も考えるほどだったようです。

これをどう考えるか。まっしぐらに志を果たし、ホールを表現し続けているんだから、体が不健康なんて、おかしいじゃないか。WholeがHealthの語源だからといって、言葉の遊びなだけで、実際の健康と関係がないのではないか。

私は、創作の喜びと志が、自殺まで考えたベートーベンを救ったのでは、と考えています。モーツアルトやベートーベンの曲がもし、自分の中から湧き起こってきたら、その喜びはどれだけ大きいか。自分の外から聞いただけでも、あれだけ感動するのに、それが自分の中から湧き上がってきたら、その喜びを想像するだけで私は涙が出てきそうになります。

そのためか、ベートーベンの交響曲第5番の最後は苦境と葛藤を乗り越えた喜びであり、第6番の最後は夕方の嵐が明けた後に雲の間から陽の光が差し込む喜び(感動)で、第9番の最後は喜びの歌(Ode to Joy)であり、ピアノ協奏曲とバイオリン協奏曲合わせて全6曲の少なくとも5曲の最後は、明らかに喜びの表現です(全て私の解釈です)。

ベートーベンは25歳のころに本格的に作曲を始めてから徐々に難聴が悪化し、28歳のころには最高度難聴者になっていたようです。32歳の時に弟あてに送った手紙には、聞こえなくなるのは音楽家としては致命的であり、その絶望感から自殺したい気持ちと、芸術家としての運命を全うしなければならない使命感が描かれているようです。

その前後には、最も人気が高い曲のひとつのピアノソナタ第8番(悲愴、29歳のとき)、歴史的大名曲のピアノソナタ第14番(月光、31歳)、ハイドンが確立したスタイルを根底から覆してしまった交響曲第3番(エロイカ、35歳)などが作曲されています。

これだけの曲を次々と作るわけですから、その志は誰の目にも明らかです。実際、作品の素晴らしさ、斬新さはすでに、多くの人から認められていました。ですから、体も苦しく、相当苦悩していたかもしれませんが、自殺している場合ではありません(これと対照的と思われるのがゴッホで、生きている間に才能をあまり認められず、作品もこれといった評価を受けずに、最後は銃で自殺した、と考えられています)。

哲学者のウォルター・ラッセル(Walter Russell)によれば、宇宙は完全に均衡が取れているホールであり、現れたものは必ず消える。そうでないと、完全で完璧な均衡は保てない。だから宇宙には、現れる動き(力)と、それが消える(現れたものを消去する)動き(力)の二つがある。

この二つの力は波動となって現れる。つまり、波動が生まれ、必ずその波動を打ち消す反対の波動が生じて、相殺され、作用反作用のように波動は消滅する。この二種類の波動によって、宇宙のあらゆる物質、現象は構成されている(この二種類の波動しかない)。この点は、量子物理学と矛盾はないと思われます(量子物理学の最大の論点のひとつは、何がこの波動を生じさせているかで、それにはスーパーストリング理論などいろいろな説があるようです)。

人間も含めてあらゆる生物は、生まれては死ぬ。つまり現れては消えます。いわゆる生物に限らず、水素、酸素、炭素、あるいは鉄、金などの元素から、地球や太陽などの天体といったあらゆる物質は、生じては(誕生しては)、超新星(Supernova)などでいずれは消滅する(死ぬ)運命です。ですから、宇宙の現象の根本は、誕生と消滅と言えそうです。

根本現象としての誕生は言い方を換えれば生成、創造であり、消滅は分解、破壊、または死とも呼べそうです。つまり、この宇宙に登場してきた生物、物質には、常に生成と消滅(分解)の二つの動き(力)が作用している。生まれた瞬間から死が始まっているとも言えるし、消滅する(死ぬ)直前まで誕生(生成あるいは創造)する力も備えている、とも言えそうです。実際、生物の最小単位である細胞は、常に細胞分裂で新しい細胞を生成し続けているし、同時に古い細胞は死滅し続けています。

ごく単純に考えると、この生成、想像する力を活性化したら、あるいは活性化できたら、より生命が現れるのではないか。より生きていることになるのではないか。これを一番活性化するのが、志に命をかけることだし、あとは喜ぶこと、愛を体感すること、感動することなども生成する力を活性化する、と私は考えているわけです。

私は個人的に、末期(第4期)ガンがすっかり治った人を5人知っています。本か何かを読んで間接的に知っているというのではなく、会おうと思えば、都合が合えばいつでも会って話ができる間柄です。

3人は私が健康やガンについて勉強していたために知り合ったと言える人たちで、うち1人は治療中に、2人は治って大分たってから知り合いました。そして、5人のうち残りの2人は、ガンとは全く関係なく知り合い、最初はガンにかかっていたことさえ知りませんでした。この1人は出口メキキの会代表です。

この5人に共通するのは、ある程度まで抗ガン剤治療をやっていて、抗ガン剤治療をやめて、しばらくしてからガンが治り始めた、ということです。4人は、抗ガン剤と放射線の治療をしている間にガンが進行して、末期に達しました。抗ガン剤・放射線が効かなかったのか、それとも抗ガン剤・放射線を投与したために末期まで行った(この治療をしなければ末期まで行かないですんだ)かは分かりませんが、4人とも担当の医師から余命はあと6か月あるいは1年と死の宣告を受けました(5人の治った経緯は、<補足1>参照)。

5人にもうひとつ共通するのは、明確な志がある、ということです(5人の志は<補足2>参照)。このうち2人は、医師の死の宣告によって志が強烈に芽生えた(目が覚めた)、と言えそうです。

そして、5人のうち2人は、ガンの治療をしているうちに、ガンを治すことそのものが志になった、と言えるかもしれません。残りの3人は、志に打ち込んでいるうちにガンは治ってしまった。ガンには関心がなくなった、というのは言い過ぎかもしれませんが、ガンを治すことは二の次になったら、いつの間にかガンは治っていた、とは言えそうです。

こうして志によって、生まれる(生成する)力が活性化されるとすれば当然、均衡を保つためには、それを打ち消す(死、分解する)力も活性化されるはずです。これまでを読むと、消去する死の力が病気を引き起こす、あるいは病気によって死の力が活性化される、と考えられる方がいらっしゃるかもしれませんが、それは違う、と私は思います。

私は、生成する動きは生命の現れの半分であり、これだけでは完全な生命とは呼べず、これと消去する動きがセットとなって初めて、ひとつの生命である、と考えています。
全部とは言いませんが多くの場合、生き生きとしている人は生成する力、消去する死の力はともに強く、生気がなくまるで死んでいるような人は両方の力ともに弱い、と思います。

ですから、消去する死の力が強いから病気になる、死の力が強いと病気になりやすい、というのはおかしい。死の力が強い人はむしろ、生成する力も同じように強く、生成する力と死の力がセットとなって完全なホールであり、このホールが強く表れているから、それだけ健康である、と私は考えています。

では、病気は一体何なのか、ということになるのですが、病気が何なのかについての私の考えは、機会があるときに、きちんと書かせていただきたいと思います。

基本的には、この世から消えること(つまり死)と、病気とは、ほとんどの場合、全く関係なく、関係あるように私たちが思い込んでいるだけであって、消え去る時、死ぬ時に病気になる必要も、必然性も全くない、と私は考えています。

また当然、生まれる動きが先行し、それを消去する動きが後に続きますから、この世から去る時は、誕生する(生成する)力の方が最初になくなり、消去する力が残って消え去り、消え去ると、消去する力も消える、と思われます。志に夢中で打ち込むことが生成する力を活性化させるとすれば、消え去る時、この強い活発な生成する力がなくなると、同じように強くて活発な消去する力が残るので、さっと消え去る。

ですから、オビ=ワン・ケノービがダース・ベーダーと最後の決戦の時、ルークたちが無事に脱出するのを見届けて、さっと消え去ったようにまではさすがにいかないと思いますが(映画スター・ウォーズのエピソード4より)、眠るように静かにさっと息を引き取った、などというようなことが健康なままで、誰にでも可能である、と私は思います。多くの人がこうならない要因は、病気が何かを私がどう考えているかを書かせていただくときに、十分に考察させていただきたいと思います。


(次回から、ガンを治す療法の紹介に戻りたいと思います)

<補足1> 5人がガンを治した経緯は、

(1) 抗ガン剤を止めてしばらくしてから、自力(独学)で、ゲルソン療法と呼ばれる栄養素・解毒療法で徹底的に解毒すると同時に、抗ガン作用があると言われているサプリメント(医薬品でない、植物から抽出した天然の化合物)を集中的に摂取し、3か月でガンは退縮し始め、6か月で消滅(3か月ごとにCTなどで検査)。その後約10年間、全く健康。

(2) 医師の死の宣告を受け、治療を断念して自宅に戻った時、ガンは自分で作った、という自覚が芽生え、その後はガンも含めてあらゆるものに愛の波動を送り、常に感動して生きることを目指すとともに、自我流でいわゆる自然療法をいろいろと取り入れているうちにガンは消滅。その後約30年間、全く健康で今年80歳。

(3) 出口代表。あと6か月の命と宣告を受けた時、抗ガン剤などの治療を中止し、死ぬまでに自分のやるべきことをやる、と決心して実行しているうちにガンは消滅。その後、これといった治療は受けていないで約20年間、全く健康。

(4) ガンと最初に診断された時、すでに第4期。済陽高穂医学博士に指導を受けながらゲルソン療法を基にした解毒・栄養素療法と抗ガン剤を併用し、約5年間は一進一退。抗ガン剤をやめ、解毒・食事療法に絞ってから約1年間でガンは消滅。その後半年間、全く健康で、ガン再発の兆しは今のところない。

(5) 1年ほど前に最後の抗ガン剤治療を終了してから、だいたい3か月ごとにガンの検査を受け、腫瘍が拡大したら抗ガン剤治療を再開する、というのが医師の方針でしたが、腫瘍は一向に拡大せず、逆に1年後の今年3月中旬の検査ではガンは消滅。信仰の厚い人で、死と直面し、大きな不安を抱えながらも、できるだけ何にでも感謝、特に毎日、生きていることに感謝するようにしていたら治った、そうです。

<補足2> あくまで私から見た5人の志は、

(1) 人々が健康な世の中を創る(ガンが治る療法を広げるため、自然療法士となり、クリニックも設立)。

(2) 愛で満ちた世の中を創る(愛の尊さ、重要性を伝えるために、日本全国ばかりか、海外までも公演し続けているうえ、著作もあります)。

(3) 誰もが”天命”(志)に打ち込んで幸せな世の中を創る(メキキの会での活動、著作、”志教育”の普及などがその現れです)。

(4) 人々が健康な世の中を創る(ご自身が治った体験を語る公演をしたり、済陽医博の栄養に関する執筆を手伝ったりなどされています)。

(5) 平和で感謝に満ちた世の中を創る(いくどかの大苦境を乗り越えるなど、今回の末期ガンもそのひとつと言えそうで、そのままドラマになりそうな人生です。乗り越えるたびに発揮する度胸、話力、学習力、統率力などの能力を活かして、自分のビジネスを成功させたほか、いろいろな人から人生相談を受けて的確なアドバイスを与え、うまくまとまらない組織をまとめたり、難解な交渉をまとめ上げたりなど、活躍されています)。


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