2015.04.01    

第18章―3 隠蔽(いんぺい)されたガン治療法の数々 その3

こちらアメリカの昼ドラはソープオペラ(Soap Opera)と呼ばれ、おそらく日本と同じように昼間の視聴率が比較的低い時間帯のテレビドラマで、低予算の恋愛ドラマが多く放送されています。今はそんなことはないんでしょうが、かつてはアメリカの典型的な家庭では、ご主人は外で働き、奥さんが昼間、洗濯など家事の合間に昼ドラを見る、その奥さんをターゲットにして、洗剤(ソープ)メーカーが昼ドラに盛んにコマーシャルを流したため、ソープオペラと呼ばれるようになったようです。

このソープオペラ、あるいは日本の昼ドラで、ひたすら真面目に生きてきた主人公がガンにかかってしまい、それを見ている人が同情して涙を流したとしても、それは脚本家が作った架空の話であり、シナリオ(脚本)がある、と私たちは知っています。その役者さんがガンではなく、台本に従って演技しているだけだ、と分かっていますので、それを見ている私たちは涙を流しても深刻にはならないし、役者さんが気落ちして非常に深刻に見えるのは演技がうまいからであり、実際に深刻なわけではありませんよね。

ところが、実際にお医者さんのところでガンだ、と宣告された場合は、ドラマを見ているようにはいかないでしょう。ガンはかつては死の病と呼ばれ、ガンと宣告されたら死刑宣告されたようなもので、本人は奈落の底、家族も友人もみんな相当深刻になったものです。

今はその深刻さがまったく消えてはいないにしても、三人に一人はガンにかかる時代と言われるほど周りや知り合いにガン経験者が何人もいて、自分一人だけではないという安心感があり、しかも早期発見早期治療すれば助かる、という考えも広がってきました。また、本人に告知するようにもなってオープンになったせいか、ガンのイメージは以前ほどは暗くなくなったようです。深刻さはだいぶ和らいでいるかもしれません。

でも、やはり再発した場合とか、第3期、第4期(末期)と病状が進むと、本人も周りも穏やかではいられませんよね。本人はある程度、死というものに向き合わなければならなくなる。ガンにかかった連れ添いを健気(けなげ)に支える妻、または夫が登場する。家族には不安な空気が漂う。親戚から同情が寄せられる。ガン経験者の友人からは、励ましの声がかけられる。

末期ともなるとお医者さんは、余命はあと6ヶ月だとか宣告したりして、まるでガンにかかった人の命は自分が握っている、患者の寿命を決めるのは患者自身ではなく医師である、といった重厚な存在感のある役割を果たし始めます。こうしていろいろな人たちが次々と参加、登場し、大掛かりなガンのドラマが展開します。主要な登場人物はだれも、真剣どころか深刻です。

ガンの腫瘍は硬いしこりですが、この硬いしこりが内臓ではなくて頭の額にでき、しかもそのしこりが、その額の部分を机の角に強烈にぶつけた直後だったりすると、それはたんこぶと呼ばれます。たんこぶは、ガンの時のような深刻さは全くありません。

ガンの腫瘍は切り取られ、切り取るのが難しい場所だと放射線で焼き切られ、その後は抗ガン剤を点滴などで何日間か投与されるのが一般的なパターンだと思います。それに対し、たんこぶは切り取られることはまずありませんし、その後、抗ガン剤じゃなかった、抗たんこぶ剤を打ち込まれるなんてこと聞いたことがありません。

最近の神経質な親なら、たんこぶくらいでお医者さんのところに連れて行くこともあるでしょうが、私たちの子供のころは、せいぜいお母さんがふーふーと息を吹きかけてくれて、2、3日もすれば引っ込むから大丈夫、と言われておしまいでした。そういえば、額のところにたんこぶが出っ放しのおじさんもいましたが、そのたんこぶで死んだなんて見たことも聞いたこともありません。こんなですから、ガンのような大ドラマにはなりそうもありません。

原因が机の角にぶつけたことだとはっきり分かっていて、しかも額などの体の外の部分にできるしこりだったら、ドラマとして成り立たないどころか、お母さん以外にはほとんどの人に無視されておしまいです。それに対して、原因がはっきりとせずに内臓などにできるしこりは多くの場合、生死の大ドラマが展開します。

たんこぶとガン腫瘍は一体どこが違うのか。そんなことを言ったら、何を言うんだ、全然違うじゃないか、とお叱りを受けそうです。でも私には、この主な違いのひとつは、たんこぶとガンがそれぞれ持っているシナリオ(脚本)の違いではないか、と思えます。

たんこぶは、ダメージを受けたところを修復するために起こる体の反応だ、というシナリオをみんな知っているでしょうから、誰もあわてません。それに対してガン腫瘍は、たんこぶのようにダメージか何かに対応する体の反応、とはガンドラマのシナリオはなっていません。特に進行の早いガン腫瘍は、体を蝕(むしば)んで死に至らしめる悪魔のようなしこり、というシナリオですから、ガンにかかったと診断されて、平気でいられる人はほとんどいないでしょう。

ですから、ガンと診断されたら、切り取れるものなら手術で切り取る、そうでなければ放射線で焼き切る。それでもガン細胞が残っているかもしれないですから(医学会ではおそらく、手術ではガンは全滅しない、と考えられています)、それを壊滅するために抗ガン剤がしばらくの間、打ち込まれます。最初から抗ガン剤、という治療法もあるかもしれません。

こうした一連の治療が終わると、ガンは全滅した、つまり治ったと一旦はみなされますが、その何年か後に、ガンが再発するケースが少なくありません。再発の場合はだいたい、ガンは第3期、第4期まで進んでいますので、手術、あるいは放射線の後に処方される抗ガン剤は、前の時よりずっと強い薬です。

10年ほど前の2004年に発表されたイギリスの医学雑誌の論文によれば、それまでの統計を分析すると、第4期、つまり末期ガンが抗ガン剤で治る確率(5年間の生存率)はアメリカ合衆国で2.3%、オーストラリアでは2.7%だそうです。このアメリカのデータは、アメリカ国立衛生研究所(National Institute of Health)の大掛かりな統計を分析したものです。これを見る限り、ガンが第4期の末期まで進んでしまうと、ほぼ助からない。末期はかなり死刑宣告に近い、ということになります。

以上が、ガンと診断された場合の、一般的なドラマの流れです。これは実際の話であり、テレビのドラマではありませんから、書かれたシナリオがあるわけではもちろんありません。しかし、ドラマの時のような台本としては書かれていなくとも、いかにもシナリオが存在しているかのように私には見えます。そして、私たちはその書かれてはいない幻(まぼろし)のシナリオに沿って演技しているように私には思えます。

野球、特にプロ野球では、ヒットを打って出塁する率、つまり打率が3割(30%)を超えているイチローなどの選手は、いい打者(バッター)だと評価されます。その打率が2.3%という、30%どころか3%にも達していないバッターはおそらく本番の試合では使えない、プロとしては失格だとみなされるに違いありません。

ましてや、ここぞの時、例えばこの一打で優勝が確定するといった、大きなプレッシャーがかかり、極度に緊張する場面になると、チャンスにヒットを打つ打率が2.3%のバッターはまず引っ込められて、ベンチに座っていた控えの選手が代打で起用されるはずです。そんな選手よりは、控えの選手の方がまだ期待できるかもしれないからです。もし監督がこうした場面で、チャンスのときの打率が2.3%の選手をわざわざ起用し、その試合に負けたことが知れたら、この監督がたとえ温情の星野仙一楽天監督だったとしても、球団からもファンからも袋叩きですよね。

私は車のことは全く詳しくありませんが、もしトヨタなどの自動車メーカーで、車が激突した時の安全装置(エアバッグなど)を試験するとき、ドライバーや同乗者が助かる見込みが2.3%の安全装置はまず採用されませんよね。もし2.3%の安全装置を採用したことが知れたら、誰もトヨタ車を買わなくなり、トヨタは存亡の危機に立たされるかもしれません。

ところが医療・薬品業界では、ガンの最後の段階、これ以上進んだら命が危ないという末期のいざという時に、助かる見込みが2.3%の方法にもう何十年も、もしかしたら100年近くも固執し続けています。それで生死の試合は負け続けています。

2.3%はアメリカの統計であり、日本は違う、という人がいるかもしれません。でも、日本は過去50年以上、ガンにかかる人も、ガンで亡くなる人も増え続け(前年より減った年がひとつもない)、2012年の統計では、年齢が40代、50代、60代、70代、80代の死因のトップはガンで、30代は2位(1位は自殺)、10代と20代は3位(1位は自殺、2位は不慮の事故)と、あらゆる年齢にガンが広がっていて、アメリカと大差はなさそうです。

寺山心一翁(しんいちおう)さんは腎臓がんを患い、摘出手術の後に抗ガン剤、放射線という治療を受けたのにガンが肺や直腸に転移、末期ガンで余命は1年以内と宣告されました。ここまではごく一般的なガンのドラマがシナリオ通りに進んでいました。

ところがここで、死を覚悟して治療を断念し、退院して家に帰ったときに、ガンを作ったのは自分ではないか、とふと気づいたことによって寺山さんのガンのドラマは一変してしまいました。その後は毎日、自ら弾くチェロの音色でガンを癒すとともに、自分のガンも含めてあらゆるものに愛の波動を送り、感動し、感謝することを心がけて続けたら、いつの間にかガンは治っていました。

そんな馬鹿な、とあなたは信じられないかもしれません。そんなんで治ったら、医者なんかいらねーよ、と怒り出すかもしれせん。でも、末期ガンとなって、お医者さんのところで助かる見込みが2.3%だったら、もしかしたら、寺山さんのようにしたほうが、むしろ治る確率は高いのでは、とも思えてきます。

もし、この2.3%の方法しかないのだったら、ここぞの時にほかの控え選手がいなかったら、その2.3%のバッターを採用するしか仕方ありません。でも、この連載でも紹介し始めているように、ほかの方法は50も100も開発されているわけです。これらの方法を単独で処方していることはほとんどなく、この中のいくつかの方法を組み合わせて治療しているのですが、こうしたやり方は、末期ガンでも2.3%という低い打率ではなく、もっと高い成功率を上げているようです。

何でこんなことになっているのか。スポーツや自動車などほかの業界では、2.3%なんていう低い打率の選手、方法はさっさと見限り、ほかの選手、方法を必死で探すのに、なぜ医療・薬品業界は何十年もの長い間、成功率2.3%の方法を使い続けているのか。おそらくほとんどのお医者さん、薬剤師の人たちは決して手を抜いているわけではなく、ガンを治そうと、一生懸命やっていると思います。それでも何で、ずっとこのとても低い成功率の方法にこだわり続けているのか。

私はそれは、ガンという確立したシナリオがあり、お医者さんも薬剤師の方々も、ガンにかかる方も家族など周りの方々も、みんなこのシナリオに乗って演技をするからだ、と考えています。

ガンは早期発見して早期治療すれば治る確率が高いが、そうでなければかなりの難病で、第4期に達すると助かる見込みは非常に低くなり、医師からあと何年と余命が宣告される、というようなシナリオが、もちろん文面としてはどこにも書かれていませんが、多くの人の意識の中に書き込まれている。難病なんだから、末期からの生還率が2.3%でも仕方がない。むしろそれが当然だ。それが3%や4%になったらすごい。でも、それが一気に10%にも20%にもなるなんて、そんなのどこか怪しい、といったところでしょうか。

シナリオに乗って演技をしている、という発想はもちろん誰にもありません。演技という言葉がふさわしくなければ、行動という言葉に置き換えてもいいかもしれません。シナリオに乗っているなんて思ってはいないですから、演技しているというより、演技させられている、あるいは行動させられている、と言ったほうがいいかもしれません。

このシナリオは、ある程度事実に基づいて作られていますから、全くのうそではないでしょうが、事実そのものだとも言い難い。ともかく、このシナリオがあるために、それに縛られて演技、あるいは行動させられている。そこに気がつかないために、そのシナリオに動かされ、シナリオが実現するように行動している、と言ったほうがいいかもしれません。

ですから、情報操作とか、洗脳とかは、シナリオを信じ込み、シナリオを実現する方向に行動しがちな私たちの習性を利用しているのではないか、と私には思えます。比較的最近の世界的な情報操作、非常に大規模な大衆の洗脳の成功例は、地球温暖化だと私は考えているのですが、アメリカの医療・薬品業界でも特にガン治療では長いこと、この情報操作、大衆(一般のお医者さん、薬剤師の方々も含む)の洗脳がなされてきたと思われます。それが成功し、50も100もある治療法のうち、一般に広まりそうになった療法はこれまで、アメリカから追い出され続けてきたようです。

この情報操作、洗脳の手口の一つは、そんなにガンに効果がある方法なんて怪しい、というFDA(アメリカ食品医薬品局)やAMA(アメリカ医療協会)の宣伝に乗って、大手メディアがインチキ(Quack)だと書き立てることです。FDAやAMAを操っているのは、一般のお医者さんや薬剤師の方々ではもちろんなく、医薬品に莫大なお金を投資している裏の勢力だ、と私は聞いています。

ここで勘違いしていただきたくないのは、シナリオを変えたらガンが治る、と言っているのではない、ということです。また、2.3%の治療法が、必ずしも悪い方法である、と言っているのではありません。シナリオが悪いと言っているのでもありません。私が言いたいことは、シナリオに縛られていて、それに沿った演技をしている、あるいは行動させられていることに気づいて演技をやめれば、シナリオに縛られない道が開けるかもしれない、ということです。

また、ガンと宣告されたからといって、深刻に演技する必要は全くない、と私は思います。とても具合が悪い場合は難しいかもしれませんが、ガンがあっても、人生は十分に楽しめるかもしれません。

ただ、自分が主役である場合、主役がいきなり演技をやめたら、演技を続けている周りはおそらく大あわてです。ですから例えば、寺山心一翁さんのようにする場合は覚悟が必要でしょうし、もしかしたら最初のうちは演技を続けているふりをしたほうがいいかもしれません。

今回は50も100もあるうちの一つ、アーテスネイト(Artesunate)をご紹介するつもりでしたが、前置きがあまりに長くなりすぎましたので(申し訳ありません)、次回に延期させていただきます。また、私たちはガンなどの病気以外でも、仕事や特に人間関係などで、だいたいはシナリオに縛られて演技をしている、あるいは演技させられているように私には見受けられます。だとしたら、そんなシナリオに従わない生き方もあるはずですので、そのことにも次回は触れさせていただきたいと思います。その生き方はもしかしたら、メキキの会代表の出口光さんがおっしゃっている「天命」につながるかもしれません。
(続く)

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