2015.04.27   

第18章―4 隠蔽(いんぺい)されたガン治療法の数々 その4

私はアメリカ在住がけっこう長いですので、日本のテレビドラマはあまり見なくなりましたが、それでもいくつか見た中で一番好きなのは、「古畑任三郎」です。好きだったのはどうやら私だけではないようで、視聴率は第2シーズン以降はどの回もすべて20%以上、最高が34.4%という、高視聴率ドラマでした。

この人気ドラマの決め手のひとつは、主演の古畑任三郎役の田村正和さんですよね。田村さんじゃない古畑任三郎なんて考えられませんが、古畑任三郎は架空の刑事であり、実際は田村さんが脚本(シナリオ)に基づいて演技をしていたことは、見ていた人なら誰も知っています。

前回に述べさせていただいた、ガンなど病気にはシナリオがあって、それに従って私たちは演技をしている、あるいは演技させられているのではないか、ということの根拠のひとつは、ガンにかかると、ほとんどの人が同じパターンの行動をとるからです。

ほとんど誰もがお医者さんのところへ行く。相当具合が悪くなるまで我慢して、それでも医者のところへは行かない、という人でも、結局は家族に連れられてお医者さんのところへ行く。そのお医者さんのところでガンの疑いがあると言われ、病院の検査でガンと確定されようが、定期検診でガン腫瘍が見つかろうが、その後の治療もほとんどパターンが決まっています。

ガンは進行によってだいたいは4段階に分けられます。第1期、2期の比較的初期の段階で、最初にガンが発生したところから他の臓器など別な場所に転移していないと診断された場合は、手術で切り取るか、場所によっては放射線で焼き切り、その後は抗ガン剤治療が続きます。

第3期以降へと症状が進み、特に第4期で転移が何箇所にもあるという状態になると、全身にガンの芽が広がっていると判断され、手術、放射線では手の施しようがなく、抗ガン剤で何とかしのごうとします。この段階では、統計的には助かる見込みが非常に低くて、余命何ヶ月と告げられ、まるで死刑宣告のようなことまでされます。

ガン腫瘍の発生する場所、進行が早いとか遅いとか腫瘍の性質に応じて、治療パターンはけっして単純ではなく、かなり複雑かもしれません。でも、コンピューターのプログラム化ができそうなパターンです。ガンと診断されると、まるでそのコンピュータープログラムが作動して、それをディスプレイの画面で見ているような。シナリオがあって、それに従って演技をしているような。

これと同じようにプログラム化できる気がするのは例えば、お子さんを有名校に入学させようとする親御さんたちの行動パターンです。塾に入れて家庭教師をつけて、とにかくお子さんを勉強させるため、人出もお金も相当かけている。お子さんが勉強をサボっていると、がんばらないとダメじゃないか、と言ったりなど、励ましたり脅したり。

こうした受験生の子を抱えていない家庭の中でも、お父さんという役を、あるいはお母さんという役を演じていませんか。さらに、夫という役、妻という役を演じていませんか。そして会社では、社長、あるいは上司、または部下という役割を演じていませんか。

そしてさらに、あなたは、自分を演技をしている、と感じたことがありませんか。古畑任三郎を田村正和さんが演じているような。自分だと思っているものは、実は古畑任三郎のように作られたキャラクターで、そのキャラクターにふさわしいシナリオに基づいて演技をしている。

シナリオに従った演技だとは気づいていないと、むしろシナリオにコントロールされて、演技させられている、と言ったほうがいいかもしれません。特に、自分はこういう人だとか、こんなことは自分はできないとかいう場合です。

私たちの人生にはいろんなことが起こります。そのうちのいくつもが不測の事態です。私たちは超能力者じゃないんだから、そんなこと予測できるはずがない。だから、人生にシナリオなんてあるわけはない。演技なんて、できるわけないじゃないか。あなたはおそらくそう言うでしょう。

また、あなたはこうも言うかもしれません。自分のキャラクターはそもそも、いろんなことが起きて、いろんな体験をして、作られたものだ。最初からあったんじゃない。キャラクターが生きていくうちにだんだん作られていき、人生が不測の事態の連続だったら、父とか母、夫とか妻、親とか子、という役割があるにしても、演技なんかできない。ましてや、自分というキャラクターが最初のころからあって、それを演じている、なんていうのは全くの詭弁(きべん、こじつけ、へ理屈)じゃないか。

メキキの会代表の出口光さんは、ガンにかかって余命6ヶ月と宣告されたときの話をたまになさいます。死に直面し、6ヶ月しかない命だったら、自分がやるべきことをやろうと決心された。そうしたら、志の気脈をつないで良い世の中を創ろう、という志が現れ、それを実現するためにメキキの会を創設された。そして、6ヶ月だったはずの余命は、少なくとも20年以上は伸びています。

こう解釈はできないでしょうか。死に直面することで出口さんは、自分という演技をやめてしまった(注:これは、過去を消すということとは全く違います)。そうしたら、出口さんそのもの、自分そのものになった。すると、自分の本当の志が現れた。出口さんはそれを、「天命」と呼んでいらっしゃいます。

「天命」が本当の自分、正真正銘の自分がやることだとしたら、そして、それまで自分だと思っていたものは、作った、あるいは作られた自分で、本当の自分ではなかったとしたら、その作られたものに従って演技をしている限り、「天命」を全うすることはかなり難しそうです。

私は、メキキの会が主催する「個の花道場」に参加したことがあります。そこで私が最も感銘を受けたのは、2日間の道場が進んで行くうちに、参加者の何かがその人の表に出てきたことです。そうなると、その参加者の表情が明らかに変わる。そして、その人がとても光り輝く。私にはそう見えました。参加者の全員がそうなったのではなかったかもしれないけれど、少なくとも何人かはそうなりました。

その何かが、本当の自分、正真正銘の自分だ、と言ってしまったら、それは私の自分勝手な解釈ですし、本当の自分、にせものの自分という区切りをつけてしまうのは、正確な表現ではない、と私も思います。でもその何かは、「天命」と関係がある。出口さんと何人かの方が始めた「個の花道場」と、出口さんがおっしゃっている「天命」とは、決して無関係ではない、むしろ深い関係がある、と私は思います。

出口さんのことに話を戻しましょう。第4期の末期ガンで余命を言い渡された時、悲観してしまう人が圧倒的に多いように思いますが、出口さんは正反対に、「天命」に邁進することでガンのことは気にならなくなった。そのため、ガンの演技もやめてしまった。そうしたら、ガンが治ってしまった。

これも私の解釈です。しかし、もしそうだとしたら、死に直面するのは決して悪いことではありませんよね。でも、死に直面するというような究極な体験をしないと、「天命」には到達できないのでしょうか。演技をやめて、本当の自分そのものにはなれないのでしょうか。

また前置きが長くなりましたので、この前置きの続きは次回にさせていただいて、本題の「ガンを死滅させる方法」に入りたいと思います。

(3) アーテスネイト

中国では2千年以上前から、皮膚病やマラリアなどの治療に、薬草の青蒿(チンハオ、日本語ではクソニンジン)が使われてきました。1972年、その有効成分が特定され、アーテミシニン(Artemisinin)と名付けられました。アーテミシニンは構造が非常に不安定なため、抽出すると分解して有効ではなくなってしまいやすいのが難点でしたが、化学処理をすることによって安定化させ、薬品として製品化されました。この天然の成分を基にした半合成の薬品は、アーテスネイト(Artesunate)と名付けられ、マラリヤの一番の特効薬として今でも使われています。

最近、このアーテスネイトが、ガンに効くという研究結果が次々と発表され、メキシコ・ティワナの医師たちが積極的にガン治療に採用し始めているほか、日本にもアーテスネイトをガン治療の一環として使っている医師がいます。

アーテミシニンはペルオキシド(Peroxide、過酸化物)を内部に持っているのですが、このペルオキシドはアーテミシニンから分離しやすく、分離するとフリーラジカル(活性酸素)になります。アーテミシニン、その化合品のアーテスネイトは、高濃度の鉄イオンが溶けている溶液の中では非常に不安定となって、反応性がさらに高いフリーラジカルを発生する、と見られています。

ガン細胞は普通の細胞より、はるかに多くの鉄イオンを吸収しているのが特色で、アーテスネイトを投与すると、ガン細胞の中で反応性の高いフリーラジカルが一気に発生します。このフリーラジカルが、ガン細胞自体を傷つけるほか、ガン細胞の血管新生も阻害してしまうようです。

ガン細胞の生存には、普通の細胞よりブドウ糖などの栄養素が多く必要ですから、栄養素を取り込む血管を作るのが阻害されると、ガンにとっては大きなダメージとなります。アーテスネイトが効くのは、こうした作用によってガンを弱体化し、ガン腫瘍の成長を阻害するからだ、と考えられています。アーテスネイトが単独でガン治療に使われることはまずなく、ほかの治療法と並行して投与されています。

なお、アーテスネイトがマラリアの治療に有効なのも、ガン細胞のときと同じようなメカニズムが働くのではないか、と考えられています。
(続く)

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