2007/01/22 
2007/01/24一部修正  

第7話「真似のできない方法〜オリジナルの世界〜」

トレーニングを継続してくると、身体のどの部位が疲労して、どのように変わってきたかがだんだん実感できるようになってきます。今までなんとなく筋肉痛になって、「ああ、効いていたんだ」と感じていたセンスが鋭くなって、身体のある特定の部位が局所的に筋肉痛になり、自分で自在にトレーニングをやりこなせるようになってきます。動作スキルを身につけたと言ってもいいと思いますし、専門的にいうとその部位の神経伝達の促通が行われたと言えます。

 

普段、私達は、ものごとを誰かに伝えるとき、自分の意図していることが正確に、敏速に、わかりやすく伝わるよう、言葉を駆使して話をします。言葉の使い方に習熟している人は身体の使い方を知るコツを自然と身につけているのかな・・・と感じた出来事がありました。

 

カリスマ予備校講師といわれ、受験生では知らない人はいないという、お客様の話です。

 

<創造する人のコツのつかみ方>

 

その方は、言葉を論理的に使えるようにするため、日本の教育を根底から変えようと、20年以上予備校講師を勤め、ご自身で予備校も創り、出版社も立ち上げた人です。現代国語の分野で「論理エンジン」という手法で普段使う言葉に、新しい思考方法を提案しているのです。

実は私も大学受験のときお世話になった参考書の著者がその先生で、10年以上たってからトレーニングのクライアントとしてお会いできるとは思ってもいませんでした。

 

学生の頃、「尊敬できる大人」として一番最初に接するのは、教え方の上手い講師ではないかと思います。今度はいち社会人として尊敬できるかつての先生と仕事上のつながりを持てるということは、言葉では表現できないうれしさがありました。

先生との出会いは、私をワクワクさせました。

 

その先生とのトレーニングは、一言でいうと、「じっくり」です。

 

一つのトレーニングを行うとき、使いたい筋肉に効果的に刺激がいくよう、フォームや速度、力の入れ方はとても重要です。使っている場所を意識しながら行うと、本当に効果的に刺激が伝わるようになるのです。特にトレーニング初期は、勢いや反動をつけたり、回数だけをただやみくもに追っているようでは効果は低いのです。

 

先生は、私の説明をじっくり聞いて、デモンストレーションをじっくり見て、実際ご自分で行うときは、これまたじっくり行います。

 

その行為は、まるで身体と会話しているかのようです。

1対1で静かな環境の中、話ができるのは、お互いの想いをしっかり受け取り、伝えるキャッチボールができます。大人数の中、ワイワイやりながら話す時間の流れとは質が違います。一つのことを理解するという上では、じっくりやった方が効果的なのです。

 

<伝える力>

 

トレーナーはいかに「意識」してもらうか、「実感」してもらうかに心を砕きます。分かりにくい背中まわりの筋肉などは、時には拳でトントンたたいて体に一定の刺激を与え続けたり、動作の途中で動きをキープしてもらい、そのかかっている負荷を身体で覚えてもらったり、身体をストレッチしてどれくらい硬縮していたかを実感して頂いたり・・・その手法はさまざまです。そうして、自分の身体をぼんやり使っていたところから抜け出し、徐々に特定の部位を意識して身体を使いこなすようになってゆくのです。

 

先生は言葉の使い方について、ご自身の著書「論理エンジンが学力を劇的にかえる」の中でこうおっしゃいます。

 

「言葉とは、じつに不思議である。例えば『暑い』という言葉を使わないで『暑い』と感じることができるだろうか。正確にいえば『暑い』と感じるのは皮膚であり、神経である。だが、言葉がなければ、それを暑いと認識することはできない。言葉を使わないで『分からない』と思うこともできない。『眠い』も『甘い』も同じ事である。そうやって、人間は言葉で世界を切り取り、認識し、整理していく」

 

そして、言葉を使わないで何かを感じたり、考えようとする状態をカオス(混沌)というそうです。

 

「おそらくまだ言葉が生まれていないころ、空は空ではなく、大地は大地ではなくカオスだったのだ。私たちが『空』『大地』という言葉をはじめてもった瞬間、世界は空と大地にわかれたのだ。言葉が『空』をうみ『大地』を生んだのだ」

 

国語はセンスで解くもの―そんな意識を変えたい―とおっしゃる先生は、世の中を言葉を使って整理するように、身体を筋肉を使って整えるのでしょうか。

ご自分なりの視座でものごとを観て伝えたものは、誰にも真似ができません。

 

<混沌から明確へ>

 

スポーツ科学が今ほど研究されていない時代、いわゆる「スポーツ根性」を鍛えることを重視していた時代、「水を飲むな」とか「できるまで帰るな」と同じくらい言われていたことの中に、このようなセリフはありませんでしたか?

 

「身体で覚えろ」

 

子供の頃から活発に外で遊びまわって、色んな種類の運動をしてきた子には自然と神経促通がおこなわれており、脳の運動野では過去の情報がつながって動作スキルが優れているのです。つまり、運動神経がいいのですが、そのような経験が少ない子には、どのようにその動作を行えばよいのかわからないのです。脳の中で神経のネットワークが少ししか繋がっていないのです。まさにカオスの状態なのです。

 

作る番組が高視聴率をおさめる人気放送作家の秋元康さんが、ある著書の中で頭のいい人について触れていました。

「頭のいい人というのは理解力のある人のことだと思う」

そして、いくつか頭のいい要素について触れ、その中に応用力がある事をあげていました。「きっと世の中というのは、いくつかのシンプルなことで成り立っているのだろう。一見複雑に見える何かも、その基本の応用であることが多い。言い方を変えれば、ものを一方向からではなく、色々な角度からみることが大事なのだ」

 

カオスの中から自分なりの法則を見出し、区切って、整理して、細分化しながら深みをまし、そうして体系化した「自分ルール」は執着するほど専門性を増してゆくでしょう。それがいつしか志となり、創造すればするほど、その道のリーダーとなってゆくような気がします。そして、一つの独自性のある専門分野を極めるほど、ほかの分野への尊敬と理解力が生まれるような気がします。

 

尊敬する先生が、今では素晴らしいフォームでトレーニングしてくださるのは、混沌から明確への、自分なりの道を切り開いたリーダーだからでしょう。

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