2006/12/18
2006/12/22修正
2007/02/05再修正
2008.8.25
第9話 魂のチェック方法
魂に毎日光を入れることができるようになれば、魂のケアは万全と言えるでしょうか?私の答えは、Yesでもあり、Noでもあります。
「Yesでもある」と答えたのは、光が入ることで魂は活性化されていくからです。神の光を入れる習慣がつけば、魂の中に神の光が宿るようになり、私たちの魂は益々活性化していきます。
では、何故「Noでもある」と答えたかと言うと、私たち人間は、きちんと神の光を入れているつもりでも、違うものを光だと認識してしまうことがあるのです。また、それによって、ふとした瞬間に魔が差すことがあるため、自分自身を霊的な面からでなく、きちんと現実の面からもチェックする必要があるのです。
「神の光」とそれ以外のもの
まず、何が「神の光」で、何が「違うもの」なのかを少しご説明しましょう。
ここで言う「神の光」とは、この宇宙を作った至高存在の光のことです。光を言葉で表現することは難しいですが、強いて言うならば、明るく穏やかで静かで暖かく包み込まれるような光という感じでしょうか。
そういう「神の光」に対して、この「至高存在である神」以外の分霊やその他の存在の「光」や「エネルギー」もこの世には沢山あります。そして、動物霊と呼ばれている低級霊やその他のエネルギーによって、私たちが誤った方向に動いてしまうことはよくあることなのです。自分は神の光やエネルギーを頂いていると言いながら、実は、動物霊に支配されていたり、その他の存在からのエネルギーを受けてしまっている人たちも多いのです。
残念ながら、このことは誰にでも起こりうることです。光を魂に取り入れる動機が自分の利益や欲望のためであったり、日々の自分の姿勢に少しでも傲慢さがあったり、一見良いことをしているようでもそこに「愛」が伴っていなかったりすると、本当の光は入ってこれません。そして、違うものを光だと認識して取り込んでしまうのです。
ですから、魂を磨くために日々光を取り入れるときは、私利私欲を捨て、大いなるものへの尊敬と謙虚さを身にまとって、光を取り入れることを心掛けてください。
ただ、たとえ一時的に低いエネルギーに支配されてしまったとしても、あとから自分を振り返ってみると、そこから何らかの気づきを得ていると思うのです。その気づきは、あなたが感じている以上に大きなものとなっています。スピリチュアルの世界は、想念の世界ですから、少しの気づきが大きく作用するのです。
支配されてしまったことがあったとしても、そこから気づきを得ることができれば、それはその時のあなたに必要なことだったとも言えるのです。ですから、こういうことをむやみに恐れるのではなく、私たちはいつでも過ちを犯す存在であることを認識し、謙虚に生きることが大切なのではないでしょうか。
それから、「神の光」以外の人やものに「すごい!!」と心酔してしまうと、これも至高存在からの光を取り込むことが難しくなってしまいます。人を尊敬したり、憧れたり、賞賛することはすばらしいことですが、神そのもののように崇めてしまうと、誤まった方向にいくことになってしまうのです。
「神の光」と「それ以外のもの」の違いをしっかり認識していれば、魂も混乱することは少ないのですが、その認識がはっきりできていないと、魂がきちんと機能するために必要な「神の光」を取り入れずに、その他のもので代替しようとしてしまうため、魂の機能が正常に働かなくなってしまうのです。
仮に、ある人があなたの性格や生活習慣、過去などをズバリ言い当てたとしても、それほど不思議なことではないのです。目に見えない世界は想念の世界ですから、あなたの想念を感じることで、あなたが何を考えているのかを言い当てることはそれほど難しくはないのです。そういう人に対して、あなたが「それほど珍しいことではないんだ」と思うことができると、魂に混乱を起こすことも、魂が受ける影響も少なくてすみます。
また、人間の五感(視覚や聴覚や嗅覚など)を使って伝達される情報は人間に近い感覚を使うため、どちらかというと質が荒く、「神の光」から遠いものだと言われています。例えば、映像で見えたり、声が聞こえてきたりするのはその典型例です。私たちは、そのようなことに慣れていないために、映像が見えたり、声が聞こえることを凄い能力だと思ってしまいます。しかし、見えたり聞こえたりする情報は低級霊の影響を受けやすいため、霊的に成長してくると、見えたり聞こえたりしていた人も、次第にそういう力に重きを置かなくなり、自然とそういった力が消えていくことは多いのです。
魂の機能を活性化するのに必要なのは、「神の光」だけです。それ以外のものは、「神の光」の代わりにはならないということを知った上で、楽しんだり、参考にしたりするようにしてもらえればと思います。
「魂」チェック
「自分で自分の魂の状態をチェックする」ということは、実は、生きていく上で決して怠ってはならない、一番大切なことだとも言えます。
「魂がきちんと正常に機能しているかどうか」
ここがずれてしまうということは、あなたの土台がずれているということなのです。それは、あなたの志も歪んでいくことを意味します。あなたの志をしっかりと確固たるものにするためには、基礎固めをきちんとして、土台を安定させる必要があるのです。
そこで、「魂がきちんと機能しているかどうかをチェックするには具体的にどうすればいいのか」ということを今度は見ていきましょう。
魂と心と体(現実)は、前回、図4で説明したように、因果関係でつながっています。
あなたの魂が機能していないために、心身のトラブルや人間関係のトラブルなどが起こるとも言えるのですが、反対に、現実に体の不調や仕事のトラブルが起きたときは、あなたの魂がきちんと機能していないと見ることもできるのです。
私がよく使う「魂チェック方法」を3つご紹介しましょう。
1つ目は、簡単なので一番よく使っているのですが、鏡で自分の目を見ることです。「目は心の窓」と言いますが、実は心の奥底にある魂の窓にもなっています。目を見ると、自分の状態が大体わかるのです。目が生き生きしているか、それともうつろな目になっていないか、目の輝きが消えていないか、毎日、鏡を見るたびに目を見て、魂チェックをしています。
2つ目のチェック方法は、部屋がきれいに整えられているかどうかです。自分の身辺がきちんと整理でき、清潔に保てているかどうかを見るようにしてください。部屋が散らかり出したら、あなたの心も魂も散らかっているはずです。心や魂がきちんと整っていると、自分の周りもきれいに整えたくなるものです。
3つ目のチェック方法は、自分の発する言葉です。怒りや不平や文句だらけになっているときも、魂の機能が狂ってしまっている可能性が大きいのです。魂がきちんと機能していると、喜びや感謝の言葉が口から出てくるようになります。自分が不平や不満を口にしていることに気づいたら、何よりもまず、口を閉ざすようにしてください。
それ以外でもどんなことでもいいのです。自分自身の生活を観察してみてください。そうすると、自分が少しずれてきた時に、その違いが分かるようになってきます。そして、少しでも「オカシイかもしれない」と感じたときは、たいていその勘は当たっています。
そういう時は、魂の機能が不調になっているのです。この「おかしい」に少しでも早く気づくことが大切です。そのうち、魂の機能がもっと大きく狂ってくると、その機能不全に陥った状態の魂を正しい状態だと認識するようになってしまい、自分ではもう気づくことができなくなってしまうのです。
これらの魂チェック事項は、山に篭もって一人で生活していると意外と簡単にクリアできてしまうものです。人と接することが少なければ、それだけ自分のペースで動けるため、心や魂が乱れることも少ないのです。ですから、目の輝きも消えにくいでしょうし、部屋も綺麗に保ちやすいし、不平や不満もあまり出てくることがないでしょう。
でも私たちは社会的な生活を大勢の人たちと営んでいるので、ただ一人で生活しているわけではありません。また、自分一人で判断していると、チェックの基準がいつの間にか甘くなってしまって「おかしい」ということに気づかず、間違った方向にいくことも実際には起きてしまいます。
したがって、間違った方向にいることを指摘してくれる友人関係を持つことは、とりわけ大切です。社会の眼が必要なのです。私たちは、人と接することで魂を磨き、成長していくだけではなく、魂の軌道を修正することができるのです。
人間とは、「人の間」と書きます。自分の家庭や職場などで人と接し、その交わりの中から、魂チェックがクリアできるかどうかも、大切なポイントなのです。
「魂チェック」で引っかかった時はどうするの?
では、「魂チェック」をして、「もしかしてオカシイかもしれない!?」と感じたときはどうすればいいのでしょうか。
もうわかった人もいるかもしれませんね。魂の機能が狂っているのですから、また、正常に機能させることができるように、心に愛をかけ、魂の正常な機能を呼び覚ますところから再度スタートです。「愛しているよ」と心を込めて自分の心に伝えてください。心や魂を覆った想念が溶けていき、次第に魂の機能が復活し、魂を活性化させるべく、神の光を入れることもできるようになります。
実際には、この繰り返しをしていくうちに、魂の機能が徐々にしっかりとしたものになるのです。それを「魂の成長」とここでは呼びたいと思います。
魂は成長するにつれて、更なる成長を目指すようになります。このように生きられると人生が充実し、満足感や人への感謝の気持ちがわいてくると思います。これは、素晴らしい生き方ではないでしょうか。
ところが、その魂の向上を阻止しようとする力も現れてきます。
私たちがより豊かで楽しい人生を送れるように、次回は、そのことについてお話しようと思います。