2007/02/5   

第9話 稽古のこと「年々稽古条々」

前回、息子のことを書きましたので彼を通して稽古ということを今回は書いてみたいと思います。

冒頭に書きました「年々稽古条々」という言葉は世阿弥の「風姿花伝」(以下、花伝)に出てくる言葉です。これは世阿弥が三十六歳の頃、つまり義満の寵愛を得、天下の名望をほしいままにしていた時期にあたります。父、観阿弥の教えを書き留めたものと思っていただいたらいいと思います。幼い頃から老年に至るまでの稽古の心構えを書いたものです。

この「年々稽古条々」の時代と今とは随分違いますが、基本的な姿勢というものは変わらないと思います。伝えるものは、本当は技術ではなく、そのことをやることで得る精神性。そのことこそが能が六百年もの長きにわたって続いてきている秘密みたいなものかもと私は思っています。

 

「年々稽古条々」には「この芸において 大方七歳をもて初めとす」とあります。

しかし、現在のこの世界では三歳頃というのが多いようです。「そんな小さい子どもに出来るの?」と思われるかも知れませんが、仕舞というのはとてもシンプルなので幼児でも七十歳の方でも出来るのです。

最初に覚えるのは舞うことや謡を謡うことではありません。手をついて大きな声でお稽古をしていただく方に「お願いいたします」「ありがとうございました」の挨拶をすることです。挨拶って何気ないことですが、人間関係のコミュニケーションの最初の一歩です。

 

息子のファーストステージは二歳十一ケ月。福岡の県立大濠能楽堂でした。

曲は「老松」。ほんの三分程の短い仕舞です。当日は五百席が満席。初舞台を期待したお客様がいっぱいです。ところが出番直前になり「いやや。でえへん。」と言うのです。私は子どもを抱っこし楽屋口から出ました。「おもちゃを買ってあげるし」等と取引を持ちかけましたが「いや」の一点張り。無理やりだそうと切り度口から出したのですが半泣き状態。  息子は仲良しの少し年上の従姉妹に手を引かれて半べそをかきながら「齢を授くるこの君の」とシテ謡を謡い、ともかく舞台を終えました。

  

「年々稽古条々」に「よき あしきなどは教ふべからず。あまりにいたく諌むれば 童は気をうしなひて能ものぐさになり立ちぬれば やがて能は止まる也」とあります。

 

このときも仕舞が終わり切り戸口から入ってきた息子を皆さんが「ようでけた。ようでけた。」と褒めてくださり、彼はステージ恐怖症にならずにすんだのです。

甘やかすとはちょっと違うと思うのですが、あれこれと批判するのではなく、とにかく面白い、楽しいと思わせることが肝要です。人間誰しも褒められると悪い気はしませんが、子どもならなおさらです。「泣きながらでも最後までやったんはえらい」と偉い先生方が褒めてくださいました。大先輩からの暖かいファーストエールでした。

またこの半べその初舞台がよっぽどお客様の印象に残っていたのか、数年たってからでも「あぁあのときの坊や」と覚えてくださっていました。ご贔屓のお客様にとっての楽しみ方のひとつです。

「花筐」という曲で子方の折、付けていただいた烏帽子の紐が顔や首に食い込み、子ども心にも声を出して泣くわけにも行かないと思ったのか、涙が頬を伝うのを見たお客様が「なんて可愛そうな」と事務所まで言いに来てくださったり、「自然居士」の人買いに買われる少女の役のときも「あんな可愛そうな」と見ず知らずの方からご褒美を頂いたりしました。

一見失敗と思えることでも考えよう受け取り方で全く違う風に変化させることは大事なことです。舞台上の失敗は付き物です。失敗はすることも必要です。しかしその失敗を受け止めカバーしていく。次に繋げる。そしてこのことは逆の立場になったとき、生の舞台の上でどれだけ他の方のカバーができるかということでもあるのです。

最近の風潮を見ていると失敗させないよう、挫折させないようとばかり親がしているような気もします。

「子どもの舞台は失敗してもいい。のびのびやらんとあかん。」主人がよくいっていました。世阿弥いわく「さのみに、よしあしきとは教ふべからず。余りにいたく諌むれば 童は気を失ひて能ものぐさくなり立ちぬれば やがて能は止まる也」です。

子どもの稽古は、稽古中は厳しさも必要ですが、楽しさ面白さを経験させることが周囲の役目だと思っていました。稽古、舞台上のことには私は一切口を挟まないようにしました。主人が稽古しているのですから、私がいらんことを言って、子どもを混乱させたりするのはよくないし、習うということは父親であっても先生ですから。その関係を大事にしたいと思っていました。

 

最初私はやる以上、上手にと思っていたのですが、主人は「子方はあんまり上手すぎてもあかん。さわれば、ほろほろとというようなはかなげ、たよりなげさがいいんや」とよく言っていました。「大人の真似をしたようなあまりにしっかりしすぎている子方より見ていてはらはらするような子方もいいんや」とも。

 小さな子どもは舞台に出てくるだけでぱつと花が咲いたようになります。

時分の花といいますが、其の時、その瞬間しかない花を咲かせる。それを見ると言う喜び。甘やかすというのではなく見守るということ。子方の稽古はこれに尽きるように思います。

 

子どもは のびのびとすごさせたいと思っていましたが、ちょうど京阪神に同じ年頃の子方が少なく、息子は三歳一ヶ月の「鞍馬天狗」の花見の子方から十四歳のヨーロッパ公演の新作能の子方まで二二四番の子方を勤めました。この数字は私の周囲では群を抜いて多いのです。

曲も違えば出演する場所も違います。連休等は毎日どこかの舞台。

京都、大阪、神戸、名古屋、福岡、和歌山、敦賀、福井いろいろな地方へ子どもと行きましたが、知っているのは駅と楽屋だけという生活。

また、お稽古、申し合わせ、舞台当日と学校を早退、欠席することが多く、先生がクラスの子どもたちに「河村君はお能の稽古のために早引けします。」と説明されていたようです。ある日、クラスのお母様から「河村さんのお宅は山林関係?」と尋ねられよくよくお聞きすると 息子さんが「河村君は斧の稽古を家でしてはるし、きこりの仕事や」という笑い話もありました。

 

このような能中心の生活が 私共には当たり前のように思っていたのですが、子どもの成長を考えると かなりストレスの多い生活だったと後々思うことになりました。

次回は「時分の花」ということをお話したいと思います。

 

志あるリー ダーのための「寺子屋」塾トップページへ