2007/03/12  

第10話 折々の花

三月に入り 花の色も梅から桃に変わってきました。もうまもなく桜の花便りも聞かれる頃となります。三月から四月の初めまでの短い間にもこのように花は姿を変え私たちを楽しませてくれます。日本には四季の花々がありますが、何より好まれているのが桜でしょう。何故、桜がこのように好まれるのでしょうか?いろいろな理由があるとおもいますが、ひとつには桜がごく短い期間にしか咲かないということがあるでしょう。

 常夏の国に咲く花のように、いつも咲いていれば人はそれほどもてはやさなかったでしょう。

 

 世阿弥の著作には、風姿花伝、花鏡、至花道、五位、九位、六義、三道、申楽談義等二十余のものがあります。こられは600年以上前に書かれた作能論や演出論、演技論です。現在、英語、仏語、ドイツ語、スペイン語などに翻訳され、日本以外の国でも出版されています。しかし世阿弥は「家ノ大事。一代一人の相伝ナリ」と書いているように元々は非常に限られた人々のものであったものが、このように日本のみならず世界に広まっているのは何故でしょうか。

そこには普遍的なもの、現在の私たちにも通じるものが多く書かれているからです。ある人は教育書と言うでしょうし、別の人は戦う書、或いはリーダーシップ論というかと思います。芸術論ともいえますが、世阿弥の生きた時代を考えれば、能の世界で生き残っていくための極めて実践的なマニュアル本と言ってもいいと思います。    そして、すべてに共通している、貫ぬかれているテーマは「花」です。

世阿弥は手を変え品を変え花ということを述べています。では世阿弥のいう「花」とは何でしょうか。

 

「花」は簡単に言えば演者が観客に与える感動、魅力です。

 花は散るから珍しい。花と面白いと珍しいというのは同じ心です。

 花を如何に咲かせるか。花の種を数多く持ち、その時々に咲く花をどんな風に感じてもらえるか。それこそが、彼らが生きていく大きな秘密だったのです。

  

  世阿弥は「物数を極め尽くしたらん為手は、初春の梅より秋の菊の花の咲き果つるまで、一年中の花の種を持ちたらんがごとし。いづれの花なりとも、人の望み、時によりて取り出だすべし。」と言っています。なんだか難しく聞こえるかもしれませんが、今の芸能界でも同じです。

 一人の歌手がデビューしヒット曲が生まれると、似たような曲が作られ同じようなタレントがうまれます。しかし、しばらくすると彼らは飽きられます。そのときに別の種、つまり以前人々を感動させたものとは違うものを持って入れば、そしてその花の種を咲かせることが出来れば、そのタレントはスターになっていけます。たくさんの可能性のカードをどれだけ持っているかということです。

 ひと時の人気、これを世阿弥は「時分の花」と言っています。

 子方のときのかわいらしさ、はかなさ、たよりなさ。これらは「まことの花」ではないのです。芸の力ではなくあっという間に過ぎる「時分の花」です。

 或いは若さの花、人気絶頂の時の花でさえもそうです。しかし人はその中に在るとき、そのことになかなか気付きません。

 

 芸能の世界だけでなく、観客イコール消費者と置き換えればマーケットの世界も同じだと思います。観客を俯瞰的に見る、彼らより半歩先を想像する。

 消費者の心理なんて移ろいやすいものです。芸能者の人気はなおさらです。

 そのための花の種なのです。花の種をたくさん持ち、からさぬよう咲かせる為にはどうすればよいか。ひとつには先ほどから繰り返し言っているように花の種を持つこと。

 それにはどうすればよいか。

 そのことを世阿弥は「年来稽古条々」で年齢に応じた稽古、修行の仕方「物学条々」では、いわゆる物まね、演技論についてプロデューサーの視点からも述べています。「問答条々」では父の観阿弥との問答形式で述べています。

 私もなかなか読む機会は少ないのですが一度「花伝書」を手にとって見てください。

 

 義父は現在84歳です。もう数年前から能を舞うことはありませんが、仕舞は舞っています。日常生活は、84歳の年齢にふさわしい身体の動きになってきています。階段を下りるときはゆっくりですし、外出するときは杖を携行するようにもなりました。

 しかし舞台の上に立ったとき、これがあの義父かと思うほどの舞を舞うのです。

 世阿弥は「麒麟も老いては駑馬に劣ると申すことあり」と述べていますが、これは自身の老いへの戒めの言葉なのです。たった数分の仕舞、義父にとっては何百回も舞ったであろう曲を舞うときでも、必ず稽古をしている姿を見るとき、そして決して手抜きをしないその姿を見るとき、「まことの花」を私は見つけるのです。

 

 もう十数年前のことですが、義父を観世会館に送っていったことがありました。当日「吉野天人」の後見がついているということでした。この曲は初心者向きのどちらかといえば軽い曲です。しかもお役は後見。なのに義父は車中で私に謡本を見てほしい。と言って何度も確認させました。私は一瞬覚えてないのかと思いましたが、そうではなく義父にとっては当たり前のことだったのです。どんな曲でもどんなお役でも全力でやる。昨日より今日のほうが少しでもいいものをお客さまに見てもらう。その姿勢が84歳の義父の今に繋がっているのです。

 老年になった義父の仕舞を見るたびに、一期一会を思わずにはいられません。絵画などと違い今この瞬間しかないもの。でもその同じ場の空気を味わうとき私は無常の喜びを感じます。

 先日、甥や息子たちが「おじいちゃんは、化け物やで。僕らはあんなにはなれへんわぁ」と言ったとき、そこに同じ道に携わる者としての先輩への畏敬の念を感じ、とてもうれしかったです。舞台の上だけでない、彼らの祖父の稽古に対する姿勢、能というものへの志を感じたからだと思います。彼らが義父の年齢に達したとき、果たして祖父のように舞えるのか分りません。しかし私は今思うのは、能を通して伝えるのは技術ではなく、その精神性、自分自身の在り方ではないかと思うようになりました。

 能が600年以上続いている秘密は、そのへんにあるのかも知れませんね。

 

 

志あるリー ダーのための「寺子屋」塾トップページへ