2008/05/06  

14話 書生

「書生」今や死語になりつつあるこの言葉。ご存知ですか?

ちなみに手元の辞書を引いてみると「勉学中の青年。他家の家の家事を手伝い、食べさせてもらいながら勉強する人。」とあります。

長男浩太郎は、一昨年に書生になったのですが、通いということで家から先生宅や先生が出向かれる舞台へお供として行っていました。それがこの四月から先生のお宅に住み込みということで、文字通り書生になりました。

元々この世界では書生というのは住み込みだったのですが、最近では住み込みは少なくなっており京都では今は浩太郎だけのようです。

一昨年先生のお宅へご挨拶に伺ったとき、内心もしかしたら住み込みになるかもと思ったことがありました。「お布団やお茶碗おはしも用意してくださいね」と言われたので、一旦は覚悟をしていました。しかし、先生のご都合で、1年延び、今年の4月から住み込みになったという事情があります。住み込みですから家に帰るのは所謂盆暮れだけという感覚です。

荷物を運んでご挨拶を済ませ、さすがに少し感傷的になりましたが、大変なんは本人や引き受けてくださった先生やしと思いお宅を後にしました。

住み込みになったことを先輩の先生方に報告すると、「それはおめでとうございます。」と異口同音にしかもちょっとうれしそうに挨拶されました。

皆さんから「通いと住み込みでは違う」と以前から言われていたのですが、この言葉で同じ釜の飯を食った仲間という意識や周囲の見る目がまず違うのだと気づきました。

書生ってどんなことするの?と思われるとおもいます。先生のお宅の日常生活の様々の雑用や事務。お稽古の日はお茶を沸かすことから始まります。お稽古中はもちろん正座で先生のお稽古を見聞きします。仕舞であれば地謡を謡ったり、先生のお供で会に出かけるときは、先生の荷物を持ったり、先生の身の回りのお世話をするわけです。能があるときは装束の用意、後片付け、作り物があれば前日までに作っておく等です。

先生自身もお社中の方への稽古、地方稽古、様々な会があり多忙な日々をすごしていらしゃいます。そんな中で先生に稽古をして頂くことはもとより、先生が社中の方に稽古しておられるのを見聞きするのも大切なことです。玄人と素人の稽古の違い。そして本人の到達しようとする目標目的により教え方も大きく変わります。

将来、自分も人を教える立場になる訳ですから、先生が稽古をされているのを見聞きしながら、節や謡い方や仕舞の型を学ぶだけでなく、教え方も、稽古の仕方、され方までも学ぶというのが自然と身に付くわけです。人との付き合い方や距離感等々までが肥やしになるのです。「学ぶ」という言葉が「真似る」からきたというのは、謡や仕舞の稽古をみるとよくわかります。

   

書生というのはどこの会へ行っても一番下っ端です。

何が大事かというと、それは心配りです。楽屋で先生方の動きを見ていて、今、そして次に何をすればよいかを常に心に留めておかなければなりません。

例えば、装束を着ける時、いちいち「糸針」と言われなくとも、もうすぐ肩上げされると思ったら、さっと差し出すのです。邪魔にならずに、そして、でしゃばりすぎずに、次ぎの一手を考え用意する心配りが重要なのです。見えるだけでない見えない心配りも大事です。

以前、ホールで能をした折、楽屋からスリッパで移動した時、他の先生方のスリッパを浩太郎がきちんとそろえていたのを見た時はうれしかったです。

また書生は皆、楽屋で食事をするのがすごく早くなります。というのも空いている時間にとにかく食べておかなければいつ食べられるかわからないからです。と言う訳で能楽師はたいてい早食いの方が多いのです。

 

先輩諸氏に書生時代の話を伺うと、今なら笑い話ですがという話がてんこ盛りです。

当時は、書生はお風呂屋さんに行くのですが、先生と大奥様が入られる内風呂の湯加減は書生の仕事です。今のようにお風呂に自動温度設定のない時代ですから、先生がお風呂に入られそうやと思ったら、大急ぎで湯加減を確かめるわけですが、これでよしと思ったら、熱めの湯加減がお好みの大奥様が先に入られるということがわかり「しばらくお待ちください」と、またお風呂を沸かしたという具合だったのだそうです。

先生が外出される時は洋服の場合はスーツの色を見てお好みと思われる靴を用意し磨いておく等々。

先日も知り合いの方が、ほうきを手に掃除をしている浩太郎を見かけたと言われました。ちゃんとやっているのかと不安でしたが少し安心しました。

昨年末も大掃除で窓を拭くのでと言っていたことや先生のお墓の大掃除をするといっていたのを思い出し、親がやりなさいといってもなかなかやらないことをさせて頂き本当に感謝しています。

テレビのない中でどんな生活をしているのか、足袋の洗濯はどうしてるのかしら、肌襦袢のアイロンは・・・などと思っていました。父に書生時代のことを聞いたら「私の時代はお風呂の巻き割りからしていました。」と言われてしまいました。とるに足らない母親の取り越し苦労と納得しました。

溢れんばかりのものや情報に囲まれた今の時代、なかなかこんな経験はできません。チャンスというと息子に怒られそうですがいい経験だと思います。そして何より大変なのは預かっていただく先生や奥様だと思います。至りませんがよろしくお願いいたします。

 

能というのはご存知のように見えにくい面をつけ、動きにくい装束をつけて舞います。

つまり非常に制約が多いということです。

しかし制約の多い中でこそ自分がよく見えるということでもあるのです。

面をつけると息苦しく声も出にくいのです。しかしその中で鍛錬工夫しながら舞うことで内なる自分のようなものをいつも見ることになります。小さな目の穴から見るのは観客ではなく自分自身なのです。面をつけると自分が見えます。未熟な自分、至らない自分に出会うことでまた稽古する。

舞台の上で出会うのは誰か?自分なのです。

書生というある一定の期間制約の多い生活をすることは必ずプラスになるはずです。

 

自由ってなんでしょぅか、私にもよくわかりませんが不自由であることがわかって初めて自由という意味がわかるのではないでしょうか。

子供たちは二人とも制服もない、厳しい校則もない、高校は塀もないという同じ中学高校へ通いました。自由ということを先生方はよく言われていましたが私自身はこれ以上自由にしてどうするのかしらとよく思っていました。

 

息子には不自由さの中での自由、ちょっとしんどい時も自分を笑い飛ばすゆとりを持ってほしいです。しかも以前修行をされた先生方に比べれば今はずっと自由がありそうです。

先日あるお店でご主人の修行時代のお話を伺いました。

住み込みでの先輩からのいじめ、朝は5時起きでねるのは夜中1時頃。

冬の寒い中、台所のたたきを掃除してたら水をかけられ、素手で掃除しろと言われたこと等、50代の方ですので時代は違いますが本当に大変な修行時代だったようです。

考えてみたら今でも職人と言われる職業の方は多かれ少なかれ内弟子修行はつきものでしょう。

只、能楽師が他の世界と違うのは、一度師匠と弟子の関係になれば一生ということです。

先生と気が合わへんからという理由で師匠を変えることは許されません。

先生自身の在り方や稽古される姿を見て学ぶこともたくさんあるでしょう。

一度頂いた縁を大切にし育んでいく。そして内弟子の修行が終わっても能の道の修行というのは終わりがないのです。

世阿弥のいう「稽古は強かれ、情識は無かれ」です。

つまり稽古は厳しくしっかりとし何事も謙虚に学び取る姿勢を失ってはならないということです。先生や周囲の方々に支えられ彼の花がいつか咲くように私も見守りたい。そして彼氏自身に何かを期待するということより発酵することを待っていたいと今静かに思っています。

待つ人がいるということは幸せなこと。そう思っています。

                               続く

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