2009.07.14
第10話 歌舞伎町への手紙
今回は、以前に歌舞伎町の俳句についてテレビ番組の取材を受けた時に自分用の台本としてしたためた文章を公開させていただきます。
歌舞伎町への手紙
新宿には幼い頃の私と遊んでくれるおじさんやおねえさんがいつもいました。私の両親の営む食堂は彼らでいっぱいでした。
しかし彼らがまるで良くない大人の見本のようだと教えてくれたのは実に新宿の外の大人たちだったのです。
「ハンザイシャ、バイシュンフ、フロウシャ・・・」これらは全て学校やテレビ、新聞、書物を通して教育的な大人たちから教えられた呼び方なのです。
そのお陰で私も冷たい世間の眼で新宿の街を見るようにならされていったのは言うまでもありません。
大人になるにつれて、自分までもがそんな眼になっていたことが親不孝をしていたかのように恥ずかしく思えてきました。
この人たちが両親の食堂に安いご飯を食べに来てくれたお陰でこそ、自分は高い教育を受けて好きなことを自由にすることができる少女時代を過ごさせてもらったのだから。
二十歳になってから両親の商売を手伝うようになりました。
ネクタイを締めた善良な紳士たちがこの街にきてどんなことをしていくのかを見せつけられたのもこの頃でした。
街頭に立って身売りする東南アジアや南米の女の子たちが日本社会で被害のどん底に沈んでいた光景はとくに脳裏に焼きついて離れません。
一般社会や家庭に持ち込まれてはならないものを引き受けるという街の存在理由を私もだんだんに了解していきました。
それらを引き受ける役を担っている新宿の人たちもまた一人ひとりが社会や家庭には戻れない重たい理由を人生に背負っていることに気付きました。
新宿の人たちはカラオケで故郷の唄を歌い、人生の過ちを語ってくれました。
十数年も服役したこと、人を殺さなければならない怨みがあること、人をさんざん泣かせてきたこと・・・。
ある意味、赦しを懇願されているようにも感じました。
冷たい世間の眼にさらされ続け、自分で自分を責め続けてきた人生を一瞬でもいいから赦してくれと。
新宿の人は新宿の人を責めたりはできません。ここに裏街の連帯感というものがあるのです。
治安の悪い地域ほど人々は互いの生命を案じ合いながら暮らしている、そんなものなのです。
ドライな現代日本でも、決して消えていないものがあります。しかも都会の隅っこでいきいきと生き続けているものです。
この何ものかを世の中に訴えることが、自分の人生で果たすべきことのように思います。
自分用の台本は、以上です。
私は、社会に見捨てられ都会に踏みにじられた人たちの声にならない魂の叫びを詩の言葉でしたためるようになっていきました。
最初に俳句として新宿の街と人をスケッチし、十二年間にわたり飲食店の壁をギャラリーとして展示したものを街のあらゆる人に読まれて句に魂が入りました。
その作品群の中の一番の代表句は、最後に記します「泥の中から〜」という蓮の句です。
泥の中から立ち上がる蓮(はす)の姿は、万人に共通する人生の法則のように思えます。
どんな人であろうと、この法則から逃れることは出来ないのではないでしょうか。
根っこが養分の多い泥の中を耐え忍んだあかつきにこそ、朝の光をいっぱいに含んでまぶしく輝く蓮の花を咲かせることができるからです。
折しも日本の旧暦では、ちょうど今頃から蓮の花が咲き始めるのだとされています。
泥の中から立ち上がれ蓮の花