2011.11.22      

5話 『ネオ・ジャポニズム』

19世紀後半から20世紀初頭に西欧でジャポニズムという芸術運動が起きました。

 それまでもエキゾティックな物への関心から、異国趣味としての日本美術の受容はジャポネズリーと呼ばれていましたが、ジャポニズムは、芸術家の人生にも影響を与え、人々の日常にも影響を与える社会現象となりました。

「ムーランルージュ」の洒脱なポスターで知られるロートレックは、当初、ボナやコルモンに絵を学んでいましたが、それらの技法を捨てて浮世絵と言う新しい絵画に魅了され、そこから新しい画風を生みだしました。また、浮世絵の模写をしたゴッホや、その技法を取り入れたマネは、あまりにも有名です。

このジャポニズムは、美術だけではなく西欧社会の日常生活にも大きな影響を与えました。

 着物に影響を受けたガウン、花や鳥などのモチーフを取り入れた食器、ティファニーの朝顔のデザインを取り入れたワイングラスなど、芸術運動を超えて日常生活にも浸透するようになりました。

このような日本美術の西欧社会への影響は、単に美術品のデザインや技法が受け入れられたのではなく、その背景にある日本の文化や日本精神が、西欧の人たちの魂に触れたのだと思います。

 この日本文化や日本精神への憧れや尊敬は、今もなお続いています。

一方、日本の場合、明治維新以降の西欧文明の輸入によって、植民地化の危機を脱して西欧列強に伍すようになりましたが、逆に、日本文化は軽視されるようになり、敗戦後は、日本文化への関心がますます薄れて、現在に至っています。

私は、21世紀初頭は、日本人によって日本の芸術文化、思想、精神を見直すことが大切だと思っています。これは、「ネオ・ジャポニズム」運動ともいうべきものだと思います。

欧米の経済的没落と、中国やインドを代表とするアジア諸国の台頭によって、これまでの個人主義的、資本主義的な西洋的価値観が揺らぎ始めています。私たちは、西洋的価値観に変る新しい指針を必要としています。

日本には、西洋的価値観とは対照的な、和の精神や自然との共生の思想が、いまも息づいています。日本人の日本文化や日本精神に対する関心は薄らいでいたとしても、日常の中に、無意識のうちに表現され、地下水脈のように存在しています。

 私たちは、日常生活の中にある「おもてなし」に光りを当たることによって、日本の文化や本精神の地下水脈に触れ、閉塞した日常を、感動を持って非日常にできる可能性を持っています。

私は、多くの人たちが、日常で一碗のお茶を点てることで、人々の心の中に眠る日本の精神を奮い起こすことができると本気で思っています。

かつて西洋で、日本の文化が驚嘆を持って受け入れられるジャポニズムが生まれたように、今度は、私たちの手で、日本の文化と日本精神を再び日常に取り戻すネオ・ジャポニズムをやっていきたいのです。

一人でも多くの人たちに、お茶というおもてなしを通して、日本の素晴らしさに触れて頂き、毎日の生活を素敵な非日常にして頂きたいと想っています。

では、日常にお茶を通しておもてなしをするとはどういうことなのでしょうか。

私たちの暮らしは、すでに欧米の生活様式が浸透しています。かつて、畳に座って、ちゃぶ台を囲んで食事をしていた日本人が、テーブルを前にイスに座り、ハンバーグやパン、チョコレートケーキを食べています。毎日、押し入れから布団を出し入れしていましたが、ベッドで寝ています。着物から洋服にとって代わり、今では着物の着方を知らない人がほとんどです。もちろん、ほとんどの人が長く正座をすることもできません。

また、交通手段が発達し、ほとんどの人たちが海内外を問わず、自由に行き来するようになっています。昔なら遠方の人たちと何度もあうことなど夢のまた夢、一期一会が実感を持って日常に存在していたのです。

ライフスタイルや時間の使い方が変化した現代において、伝統的な日本の生活スタイルを再び始める事ができるでしょうか。もしできないとするなら、西欧化した私たちは、日本の伝統を失った根なし草なのでしょうか。畳のお茶室で正座をしないとお茶は楽しめないのでしょうか?着物を着ないとお点前ができないのでしょうか?

私はそうは思いません。

西欧化した生活の中に、地下水脈のように眠っている日本のすばらしさを「いま」に表現することで、豊かなライフスタイルを築けると思うのです。

私は、この11月から仕事場や日常生活の場に、お茶でおもてなしをできるようにする「おもてなし講座」に取り組んでいます。最初は、経営者や自営業の人たちが中心です。なぜなら日々多くの人たちとふれあい、その出会いを大切にすることが、目に見える形で仕事の成果につながるからです。

この講座では、正座も、正式のお点前も、着物も必要ありません。ただ、おいしいお茶をオフィスで点てることに特化しています。そのための最小限の道具(茶碗、なつめ、茶杓、茶筅)を入れた茶箱セットも、私の友人でデザイナーの関さんと共に開発しました。

オフィスを訪問したとき、お茶やコーヒー・紅茶は当たり前に出てきます。お抹茶が出てきたら、驚きではないでしょうか。茶道の持つ普遍性や伝統美は、日本のみならず世界の人たちが知っています。日本人なら、もしできるなら、お抹茶でおもてなしをしたいと思うのは、自然のことではないでしょうか。そして、お抹茶がでてきたら本当にお客さまに喜んで頂けます。これはすでに実証済みです。

小京都と呼ばれる金沢や島根では、お客様が訪問されたとき、お抹茶を出す習慣がいまだにあります。このような文化はしだいに滅びつつあるのです。

日本人は危機のたびに、強い意志と創意工夫、協力と思いやりで乗り越えてきました。そのエネルギーこそが、私たちの心の奥底に眠っている日本の伝統であり日本精神だと思っています。 日常のたった一服のお茶のおもてなしが、日常のくらしを非日常にする可能性を秘めています。
 
 日本人が当たり前にお抹茶を差し上げることはできると思います。

皆さん、私たちと、この草の根のネオ・ジャポニズムを一緒にやって頂けませんか。

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