2013.6.25    

14話 茶事 ‐究極の和のおもてなし

「茶事」という言葉を聞いたことがありますか。

茶事とは、心と心、魂と魂の交流をするために用意された日本文化の粋を集めた究極のおもてなしです。亭主(ホスト)が一方的に客(ゲスト)にサービスするのではなく、主客一体となって「直心の交わり」を創りあげるプロセスが茶事の真骨頂です。

具体的には、茶事は、食事、炭手前、お菓子、濃茶、薄茶からなる一連のおもてなしです。どのように行われるのか、イメージが湧くように、古稀を迎えた私の先輩が開いた茶事のエピソードを通して、準備の段階から、当日の流れにそってお話ししたいと思います。

まず、誰を何のためにお招きするのか。これが一番大切です。

6月上旬に、古稀を迎えた先輩から一通の手紙が届きました。もちろん、事前にお客さまに趣旨を説明し、スケジュールを確認します。茶事の二週間前くらいにご招待の手紙を出します。

「淡々斎(大正時代の家元)の古希の折り、七十個造られた茶碗の一つが、この年に私の手元に届きました。これを愛でながらお茶一服を差し上げたく存じます・・・」

先輩は古稀のお祝いをするため、茶事のできる東京のある料亭に8名の客を招きました。その手紙にあるお客さまのリストには、私の知り合いが2人、初対面の人が6人いました。私は一番後ろの席(詰という)に座るようにと依頼がありました。

「こんな特別なお茶事に声をかけてもらえたの?しかも詰として!」と、大変だという想いと同時に、楽しみにして当日を迎えました。

会場に到着すると、初めて会う方々と軽く挨拶をしました。先輩をお祝いしようと集まった人たちは、私とは30歳以上も離れた70代の方々で、京都、奈良、三島、栃木、静岡、横浜とさまざまなところから来られていて、お茶の心得のある人たちばかりでした。

また、仕事は、書道家、陶芸家、茶道家、料理屋のオーナーなど、それぞれの道を貫き通してきた人たちとお見受けしました。
 
 先輩は、長年の人生の友だちに、お礼の気持ちを込めて、楽しいひと時を過ごしたいと思われたのです。そのとき、なぜ若輩の私が呼ばれたのかがわかりました。その意味は後でお話ししたいと思います。
 
 誰を何のためにお招きするのかが明確になれば、次には、当日のテーマを床(とこ)に掛ける軸で表します。

床には、「別是一家風(べつにこれいっかのふう)」の軸が掛かっていました。

これは、その道を成しえた人には自然に醸し出される独特の風情が備わるという意味だと思います。もし意味がわからなければ客同士で話し合うこともできるし、後の席で亭主に尋ねることもできます。

季節はさわやかな6月の初旬に行われる古稀のお祝いです。気温も暑くなく寒くなく、すがすがしくさわやかな時期です。そして、人生で貫き通してきたものを持つ人生の大先輩たちだからこそ備わる、年輪を重ねた風格とさわやかさが、この季節と相交わっていました。

今日のテーマは、一言でいえば、その道を成しえた人が醸し出す「春風駘蕩」であり、そのような場を皆で創ろうという意思を感じました。茶事は、主客一体となってかけがえのない場を創るところに、楽しみがあります。このような出会いが、一期一会ではないでしょうか。
 
 11時の席入りなので、昼食が準備されています。鯛の昆布しめや紅白なますなど、お祝いの雰囲気が伝わる上品な薄味の京懐石は、一口いただくたびに、亭主の心入れを感じました。季節の海の幸、山の幸の素材を生かして調理され、釜で炊いたご飯はキラキラと輝いています。自然の恵みをいただき生かされている、自然と一体となった存在を感じさせます。

お茶事では、亭主側が料理を作ることができれば良いのですが、忙しい今日、手がない場合には、料理人と打ち合わせることで、亭主の意向を表現することが大切だと思います。

隣同士の相客は、初めて会ったにも関わらず、先輩の話題をしながら、うまく自分の自己紹介をして、人間関係を深め食事をいただきます。

お酒も入り雰囲気も和んでくると、笑いが起こるほど皆さんのやわらかな場の作り方に、人間力と年輪を感じました。先輩は、料理を配膳しながら客の接待をし、料理や器の説明に加え、お客様の紹介をして、時には一緒にお酒を召し上がりながら和やかな雰囲気を創っていました。

食事の最後には、デザートとして和菓子が出ました。先輩は全長130センチほどある長い籠に蓼(たで)の葉を敷き詰め、笹の葉に包まれたお菓子を8個のせて「おっと、生きがいいわ〜」と、おどけて登場しました。

それは旬の魚である鮎を見立てて、笹の葉に葛が包まれたお菓子でした。鮎の旬は初夏で、精がつくといわれています。お菓子8ヶで末広がりですね。

すると客も負けていません。笹の葉をほどきながら「おっと、生きがいいから大変!」と、いってわざとお菓子を躍らせて口にお菓子を運ぶのです。

『なんて、息のあった亭主と客でしょう!』亭主と客が絶妙に粋な場を創っていきます。まさしく一座建立の場です。

ライブでこの受け答えができる70歳!かっこいい!

それぞれの分野で志を貫いてこられた友人と20年以上のお付き合いが古稀というタイミングで、今まさに花開いている。

「今までの感謝を、茶事を通して伝えておられるんだな。そして、こんなに楽しく軽やかにされている。素敵だな〜」末席に居た私は、みんなと一緒に居ながらも、70歳前後の皆さんの洗練された、しかも自由な姿にあこがれると同時に、30年後の目指す姿を見せて頂きました。

食事までの時間を「初座」といいます。ここで、一旦、客は茶室を退席して、亭主は、その間に茶室をお茶の時間の設えに変えます。後半のお茶の時間を「後座」といいます。

後座が茶事のメインになります。亭主も客も先ほどの和やかな雰囲気より、改まった様子で茶室に席入りします。

薄暗い茶室に席入りすると、竹の花入れに瑞々しいアジサイの花が一輪生けて有りました。さわやかな清涼感があります。

亭主が濃茶を練る間、客8人も無言でお茶碗を見つめています。主客が一つになって時間を共有しています。練られたお茶碗が正客(上座の人)の前に出され、連客一同が礼をします。亭主のもてなしを受ける瞬間です。

「お服加減はいかがですか」

「大変、おいしゅうございます」

このシンプルな言葉に、どれだけの想いが乗っていることでしょう。茶碗には、人数分のお茶が作られています。自分の分量をいただくと茶碗の口を清め、次の客へ手渡します。一碗の茶碗で人数分の濃茶が練られ、一碗でシェアして飲みます。手から手に茶碗を渡すことや、一碗を飲みまわすことから、つながりや一体感を創っています。

濃茶の後、薄茶をいただきます。先輩の手紙に書かれていた「淡々斎(大正時代の家元)の古希の折り、七十個造られた茶碗の一つが、この年に私の手元に届きました。これを愛でながらお茶一服を差し上げたく存じます・・・」の茶碗がようやく登場しました。

「そのお茶碗なのね」「洗練されたデザインね」「いいわね〜」と、声が聞こえてきます。

茶事で使っている、食事、器、茶道具、茶、花、書、点前を話題にして、みんなで亭主を祝っているのです。お茶には「賓主互換」(ひんしゅごかん)という言葉があります。客も亭主もお互いに主となり客となり、おもてなしをしているのです。

楽しい席は、あっという間に4時間が過ぎました。

まさに天国の遊びであり、魂の交流です。「今日初めて会った間柄とは思えないわね」「また、お会いしましょうね」「今度は、喜寿のお祝いね。その次は傘寿ね、また、お茶事してくださいね」と、亭主に次回の茶事を催促するほど、和やかで、亭主が客に対する感謝や敬意が伝わる茶事でした。

そして、初対面の人たちの間にも更なる交流の想いが現れていました。「あなたの書の作品見てみたいわ」、「陶芸の展覧会に今度いくわ」「あなたの奈良の料亭に、皆で行きましょうよ」という会話が自然に出てきていたのです。

通常のビジネス交流会ではあり得ない光景が、そこにはありました。「茶の湯御政道」という言葉があります。茶の湯を政治に利用したとよく言われますが、自然に「直心の交わり」ができていったのだと思います。

数日後、先輩と稽古場で会いました。

「先日のお茶事、ありがとうございました。まだ、余韻に浸っています。楽しくて、めずらし茶道具からも客に対する思い入れに心が温まりました。学生時代から茶道に精進されている不動の姿から一つの事を続ける大切さを学びました。私がお茶でめざすことが明確になりました。これからもよろしくお願いします」

「久保ちゃん、忙しいのに来てくれてありがとう。これからも仲良くしてね」

どこまでもサラリとして、シンプルな言葉に深いものが伝わる先輩です。言葉ではなく、先輩が若輩の私に目指すべきことを30年前に見ておきなさいと伝えてくれたような気がします。

茶事では、「秘すれば花」。多くを語らず、その意味を言わないで言うことが大切です。そのことで、亭主も客も相手の一言一言、用意されたものから、その意味を感じ取っていきます。そこには、言葉で語りつくせない宇宙があり、その宇宙はひとり一人異なるのです。

私にとって、今回のお茶事は、お茶をやる意味、そして更には、今後の生き方を考えさせられるものでした。

茶事とは、おもてなしとは一体なんだろう。

4時間のおもてなし、亭主と客が共にひと時を創って行く。互いを認め合い、互いに尊敬をもって関わる。すると、必ず、次がある関係を築くことができる。

これから30年どのように生きていけば、先輩たちのような茶事ができるのだろうか。生き方ができるのでしょうか。

この茶事の話しを聞いて「自分にはハードルが高すぎる」と思われた方もいると思います。でもそうではありません。年齢相応のおもてなしがあるはずですし、その時の自分で、全身全霊でやれば良いのだと思います。そうしてだんだんと高い境地に登っていく、そんな人生を目指したいと思います。

私が主催する稽古場「一二三会」の皆さんとも、「お稽古を重ね、年を重ね、ある域に到達したときに、和気あいあいと、そして、互いに尊敬をもった関係性のお茶事をしていようね」と、折に触れて話しています。それには、毎日の積み重ねが問われます。その毎日の一つ一つの積み重ねを大切に、人生を楽しんでいきたいと思います。

皆さんも、お茶を始めてみませんか。

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