2013.06.04
第4話 教職に就いていた20年間
― 新たなスタート ―
あの手この手で自分と向き合っていくうちに、自分の中に「人から認められないとつらい思いをする」という思いが強くあることがわかりました。私は人の評価と批判を恐れて疲弊していたのです。
たとえ一気に手放すことができなくても、不安やブレの要因を認識したことが、心にかかっていたブレーキを少しずつ解放するきっかけになりました。
治療のため半年間休職したのち、仕事に復帰すると、具体的に見えてくることが増えました。
それまでは、人の評価と批判を恐れて「教師はこうあるべき」「しっかりやらなければ」という、自分自身に対する意識が強く、生徒一人ひとりと共にいることが疎かになっていたということ。その結果、本当の意味で生徒に寄り添うことができていなかったのです。自分にとって、最も大事で、最もやりたかったこととは違う、全くかけ離れたところにいたことに気づきました。
更に、自分の中では、「カウンセリングマインドをもって生徒に向き合っている先生」をやっていたつもりでした。つまり、誰かが見たら、机上で学んできたとおりを実行している「良い先生」に見えるように、演じているだけだったと気づいたのです。
頭でわかっていることと、実際に具体的行動であらわすことができるということのあいだには、大きな隔たりがあることも痛感しました。
実践の第一歩として、まずは生徒一人ひとりと共にいるために、一人ひとりの話に本気で耳を傾けようと決めました。内容がどうであれ、立場がどうであれ、まずは、その人が感じていること、伝えようとしていることそのままを、その時その場で大事に受け取ることにしました。そして、その事実を共に感じ、共に味わうということを徹底しました。
そうしていると、たとえどんなあらわれ方をしていても、一人ひとりが、本当に大切でかけがえのない愛おしい存在として映るようになっていきました。高校3年の時に決心したあの思いが甦ってきたのです。
続けていくうちに、私が教室に入るのを待ち構えている生徒が、教卓の周りにたくさん集まって来ては、競い合うかのように我先にと話をしてくるようになっていきました。生徒との関係、学級経営、授業、どれもが少しずつ回り始めました。
そうすると、次のステップが見えてきました。
一人ひとりの気づきを引き出し、自己肯定感を高め、瞳を輝かせて互いにつながり合える場の提供、魅力的で結果が出る授業、それらを実現するための模索が必要でした。
研修会に参加し、講演を聴きに行き、本や資料を集めては優れたやり方を追試して試行錯誤していきました。
また、自分がもっている情報や知識、感性などには限界があるけれども、生徒それぞれがもっているものを提供してもらうことで、結果的にみんなの学びの幅が広がるということも実感しました。授業でどのクラスに行っても、そこから引き出しみんなで共有するということを楽しむようになっていきました。
休み時間の雑談も、もはや雑談ではなく、生徒理解や情報交換のための貴重なチャンスになりました。どのクラスに行っても、誰が何に興味をもっていてどんな特技があるのか。どんなことを考えどんな生活をしているのか。週末は何をして何に感動したのか。どんな夢をもっているのか。休み時間のよもやま話が、一人ひとりの理解につながり、更なる尊敬につながりました。おまけに、時に授業で貴重な例題にもなる楽しさを生徒と共に堪能できるようになっていきました。後になってみるとこんな当たり前のことが、はじめのころはできなかったのです。
同時に、10年後、20年後、あるいはもっと先になって、「誰から聴いたのか、いつ習得したのか忘れたけれどもなぜか身についていて、ピンチの時に思い出してうまくいった」というような、本当にその人の糧となるものこそ提供していきたい。そのための黒子の役割ができたら本望だと思うようになりました。
相手の深いところと一緒にいるということの大切さを実感させてくれた出会いがたくさんありました。
その中の1つにA君との出会いがありました。転入生のA君は、母親と2人で、母親の実家で生活するために引っ越してきて、私のクラスに入りました。
口数は少ない方でしたが、慣れてくると仲のいい友達もでき、運動会でも活躍しました。ただ、私がなんとなく気になっていたことは、時折見せる投げやりな態度や、自分自身に対するあきらめのような雰囲気でした。
いわゆる対応が難しい傾向にある生徒も、コミュニケーションがとれるようになると、次第に信頼関係が構築できるようになることが多いわけですが、彼は、そういうこともあきらめているかのように見えることがありました。こちらの声かけや働きかけに対する反応に、なにか釈然としないものがありました。
ある日の放課後、警察署から連絡が入りました。バイクを盗んで乗り回していたとのことでした。
自分自身の過去の体験からも、威圧的な態度で相手に向き合うことや、大声で一方的に叱責するようなことからは、本人の自発的な気づきや成長は引き出せないと実感していたので、「彼が深いところで本当は何を望み何を願っているのか」ということにのみ本気で向き合いました。
「A君、運動会の騎馬戦の練習の時に腰を痛めてつらそうにしていた友達をかばって、本番では自分が降りて馬になって、自分よりもずっと体が大きい友達を支えたよね。あれは頼まれたんじゃなくて、自分から交代していたよね。私はあなたの優しさと人を思いやる気持ちが本当にすばらしいと思った。毎日の生活の中でも、そういう場面を何度も見てきた。あなたは人を大事にする本当に優しい人だ。いつもみんなのことを大事にしたいと思っている心の大きな人だ。」
「今まで生きてきて、いろいろなことがあったと思う。あなたはそのたび一生懸命やってきたんだよね。精一杯生きてきて、その結果、今日があるんだよね。でもね、今日したことに、あなたの本当の心はOKを出しているだろうか?本当の自分は満足しているだろうか?自分のことを見くびっていない?!あなたが自分を見くびっているとしたら、私はとても悲しい」
すると、彼の口から今まで聞いたことがない大きな声が聞えました。「先生ごめんなさい!」涙がこぼれていました。
それから彼は変わっていきました。私達の関係もがらりと変わりました。その後、私の異動や彼の転校がありましたが、異動先に訪ねて来たり、手紙や電話で近況報告をしてくれるなど、彼は自らつながりを保とうとするようになっていきました。
このような体験を重ねながら、相手が深いところで本当は何を望み何を願っているのかを探り続けました。本人も気づいていないことすらあるので、相手の中に入り込み、共に本気で向き合うということを目指したのです。
そして、実は、誰でも皆、自分の中に既に答えをもっているということを確信しました。そして、その答えを見つけていく過程と共にいて必要な時にお手伝いをするのが自分の仕事でもあるのだと思いました。
全てがとんとん拍子にいったわけではなく、自分だけではとても解決できない問題や、駆け出し時代に逆戻りしたかのようにうまくいかない時もありました。全てが学びでしたが、休職を機に「覚悟」ができてからは、壁を乗り越えるのが早くなったと思います。
生徒や同僚のみならず、上司との出会いも、現在に至るまでの重要な学びの道を与えてくれました。30代前半の頃、何かと意見する生意気な私にも常に大きな器で耳を傾け、文科省の研修会に県の代表として推薦し参加させてくれた上司、40歳を過ぎると、尻込みする私を説得して内地留学させてくれた上司、後になって考えると、それぞれの経験が自分を更なる探究の道に進めてくれた貴重でありがたい導きでした。
次回からは、いよいよ個性認識学「四魂の窓」について書かせていただきます。