2011.12.27  

第4話 喜怒哀楽の分量。「楽」について

 

今回は喜怒哀楽の「楽」が実際にはどういったものなのかを見てみましょう。

「楽」とは、「楽しみ」や「楽をする」ことを指しています。趣味や娯楽、レジャーを楽しむこと、または楽な姿勢で寛ぐ、楽をして資格を取る、不動産を手に入れて楽な暮らしを送るなどといったかなり幅広い意味を持っています。

ヒトは基本的に楽しむこと、楽をすることが好きなのだと思います。好きか嫌いかを考えるまでもなく、無意識的に楽しい方へ、楽な方へと流れていく傾向があると言ってもいいかもしれません。

しかし、だいたいにおいて大人になる頃までには、この「楽」ばかりでは人生をより向上し、充実させることはできないと気づくヒトも少なくはなく、「楽」と表裏を成す「苦」とのバランスをとることをそれなりに自然と覚えていきます。しかしながら個人が持つ性質や習慣によってできることと、できないこともあり、すべてにおいてバランスが取れる方というのはそうはいないものです。

なんであれ「楽」と「苦」のバランスは、幸せの極意を握っているのです。人生において、この二つのバランスをいかに自覚し、上手くつき合っていけるかが成功への鍵となるでしょう。

ここで日常の具体例を挙げつつ「楽」と「苦」のバランシングについて考えてみたいと思います。

私もご多聞に洩れず、楽しい方へ、楽な方へとすぐに流れていく面を持つ人間ですが、個人的な日常の「苦」として「郵便物事務処理・ストレス」があります。これは郵便物が届いたときに、それを開封、確認し、必要に応じて対処するということにやたらとプレッシャーを感じるもので、お役所や保険会社、銀行、光熱費の書類などに反応が出ます。しかし、友人知人からのお手紙は嬉しく感じますから、これはすべての郵便物に対するストレスではなく、事務処理への反応なのです。これらストレスフルな郵便物はとにかく面倒で、正直なところすべてを未開封のままゴミ箱行きにしたいとすら思っています。

この郵便物の事務処理にはいつの間にか私流の「楽」と「苦」のルールが出来上がってしまいました。それは手紙を開封してさっと目を通し、余程の急ぎでない限りは保留状態にして溜め込むという癖で、これも安易な「楽」に流れる例と言えるでしょう。手紙を捨てるわけではなく、ちょっと脇に置いておくことは、その時点での面倒な事務処理から逃れることができ、かつ、責任を投げ出したわけではないと自分に言い訳することもできます。しかし、これは同時に面倒な「苦」が一通ずつ積もっていくことを意味してもいるのです。

事務処理が必要な郵便物は、封筒の表に処理すべき期日を書き込み、その日まで放置してしまいます。このように期日つきのものはまだいいのですが、特に対応の必要がない、しかし、きちんと確認してしかるべき場所に保管すべきものは、ほとんど無視した状態で、どんどん溜め込んでいくという恐ろしいMYルールなのです。

この「楽」な“保留のMYルール”を続けていきますと、必ずや小さなほころびが大きな亀裂へと広がるように、デスクや部屋が乱れていきます。ここで、さっさと整理をすればいいのですが「郵便物事務処理・ストレス」はそう甘くはありません。今度はその手紙の束を紙袋などに入れます。時系列に沿って整理しないと混乱するので、ご丁寧にも送られてきた順番に重ねて。そんな袋が3つくらいになったとき、何か不都合が出たり、溜め込んでいることに心が耐えられなくなって整理を始めるわけですが、それはもうやたらと時間がかかり、疲労の激しい不毛な作業となるのです。

 なんともくだらなく、情けない例となってしまいましたが、これも「楽」の構造を単純明快に現している事柄ではないかと思います。

 “楽は苦の種、苦は楽の種”という諺があるように、「楽」と「苦」は切っても切り離せないものです。「楽」が極まれば、必ず「苦」に転ずる、またその逆も然りというのが自然の理です。この自然法則に「郵便物事務処理・ストレス」の例を当てはめてみると「楽」と「苦」の関係を単純な数字で捉えることができます。もし、3通の手紙を保留にすれば、3通分だけ気が楽になり、あとで3×1.2通分の面倒(=苦)が待っているという計算式にしてみるとわかりやすいかもしれません。

この×1.2とは、後回しにした面倒が思い出すだけでもうんざり気分と罪悪感を伴うことから2割増しの「苦」と定義したものです。この×1.2「苦」がますます郵便物の事務処理嫌いに拍車を掛け、負の連鎖を強化していくわけです。

この例は、溜め込んだ宿題や部屋の掃除、仕事、人間関係など、人生のありとあらゆる「楽」と「苦」に当てはめることのできるシンプルな公式です。思い当たる記憶をなぞってみればいくつかのポイントが見えてはこないでしょうか?
 
 人間関係で例えるとこうなります。苦手な上司がいたとして、1年間できるだけ顔を合わせないように避けて、コミュニケーションを最小限に抑えたとします。これで上司と関わることで起こる不快なストレスが減少し、比較的「楽」な状況が保たれます。しかし、上司からは挨拶もろくにしない、仕事への積極性に欠ける人物として認識され、結果的には職場での信頼を失い、出世の可能性や評価も低くなるという「苦」が待っているのではないでしょうか? この場合、上司を避けた1年×1.2の「苦」どころではない結果がもたらされる可能性も高かく、非常に危ういハイリスクな「楽」と言えます。

「楽」と「苦」のパターンには自ずとそのヒトの性格的傾向や、弱点が見えてきます。なるほど、ここでつい調子にのってしまうのだ、自分はこれに弱いのだ、などと気づけたらこちらのものです。なぜなら、つい引き込まれがちな誘惑や欲望、癖に対して、ヒトはほとんど自覚なく反応をしていたり、どうにもできないものだと思い込んでいることが多々あるからです。ここを客観視することで、やっと永遠なる堂々巡りを一時停止させ、本人さえその気になれば、徐々に自分の人生を改善に向かわせる動きへとシフトしていけるのです。

そして、物事にはそこそこに保つことこそが幸せなことと、長い間「苦」に耐えることに値する大きな目標とすべきことがあるのです。それぞれの「楽」と「苦」を見極め、適切に行動し、また、楽をすることできっと人生はより充実するでしょう。
 
 「楽」と「苦」のバランスは、幸せの極意を握っています。晴れの日も雨の日もしっかりと自分を見据える強さをもって、笑い多き日々を送りたいものですね。

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