2006/11/27
第7話 夢現塾と教育コーチング
人間って何?
「夢を熱く語る場所」として始まった夢現塾―。
多くの参加者は配られたシートに自分の目標や夢を明確には書けなかったものの、その答えを求めてこの場に集まってきたことには変わりなかった。
自分の使命がわからないからここに来たのではないか、と声を大にして言う参加者もいた。
森下は、そんな彼らの話に目をそらすことなく、じっと聞いていた。
すべての参加者が自分の思っていることを言い終わると、森下は、立ち上がりゆっくりとした口調でみなに問いかけた。
「人間って何なんだろう?って考えたとき・・・さて、人間と動物の違いって何だと思いますか?」
参加者はそれぞれの意見を答えたが、森下の考え方は違っていた。私は、非常に興味深く、森下が口を開くのを待った。
「人と動物の違いは・・・、継承出来るか出来ないかだと思うんです。動物は、常にゼロからのスタートだけれど、人間は、自分が残したものを次世代に継承することができる。素晴らしいことですよね。だからこそ、ここまで文明が発達したんですよね。そう考えたときに、僕が今ここに生まれてきて残せるものって何だろうという疑問にぶつかる。つまり、自分の使命って何―?ということになるわけです。それがボクの場合はバスケであり、バスケを通じて子どもたちに平和を伝えるという結論に至ったんです」
私は、森下のこの意見を聞きながら、ふむふむと頷きながら、どこか腑に落ちない何かを感じていた。
人間は継承できる生き物である―。確かに一理ある。しかし、私から見れば、人間は決して学ばない生き物だ、とも言える。
いつの時代も繰り返し起こる「戦争」―。もし、森下が言うように、いいところだけを継承できるのであれば、人間は間違いなく動物とは比べようもないほど素晴らしい生き物だと言える。しかし、文明が継承され前進した分、人間の感性は後退していることもまた事実だった。素晴らしいことばかりではない。人間は善・悪を同じように継承しているのである。
あえて、動物と人との違いを言うならば「人は夢や未来を描ける」といったところだろうか。平和を簡単に継承することはできない。平和を持続させるためには、平和を求める人間の「気づき」をその時代ごとに育成することが必要なのである。
だからこそ、私は、「ヒューマン・ドリーム・サポート・カントリー」を目指す、「ヒューマン・ドリーム・サポート・カンパニー」と弊社を位置づけしたのである。
最も大切なのは人間の「競争」ではなく「共創」であり、その先にようやく見えるのが夢(世界平和)なのである。
セッション後
一回目のセッションが終わり、森下は参加者全員に課題を出すことにした。
次回は過去へのアクセスだ。それは、自分が歩んできた道、うれしかったこと、辛かったことなどを発表できるようまとめてくるというものだった。
参加者が過去へのアクセス(読み出し)を行なうことによって、未来へのアクセス(書き込み)の手がかり、自分の使命を見出すきっかけを引き出そうというのである。
セッション後、私は森下に初回夢現塾の感想を聞くと、彼はこう答えた。
「みんなが何かを強く求めているというのはよくわかりますよね。その中で、いいにしろ、悪いにしろ、全てのものに左右されすぎている・・・。子どもに接している仕事なだけに、不安が不安を呼ぶんじゃないでしょうか・・・」
確かにその通りだった。参加者たちの多くは悩みに悩んでいる。しかし、20代はぶつかって悩んで、挑戦していく年代だ。自分の「志」に対してどこまでぶつかっていけるか―?このぶつかりがあるかないかでその人の壮年期は大きく変わる。壮年期になって死んだ目をしている人間は、20代でぶつかっていないのだ。物事の本質を見るということは逆を言えば、愚かな物と対面することから来る「気づき」でもある。くだらない仕事をして、初めてくだらなくない仕事とは何かと考える機会が訪れる。
人間とは、理屈で動くより、気づくことで自ら納得し、行動する方がはるかに伸びる生き物なのだ。
しかし、「気づき」を社会経験の少ない若手社員や子どもに施すのには、時に仕掛けとも言うべき「導き」が必要だ。
これを私は教育コーチングと称している。
子どもの層に合わせ、教育のトレンドも大きく変化している。
自殺、いじめが頻発する現在、教育の現場に幅広く求められているのは、ティーチャー(教える人)ではなくコーチャー(導く人)と言えるだろう。
私事で言えば、典型的なティーチャー型人間であった父から逃れ、自宅を飛び出した27歳の時、私に多くの気づきをもたらしたのは、「ない」ことから得る「ある」ことのありがたさだった。
その後教育者となった私にとって、その「気づき」を成基学園の子どもたちにもたらすことは一種私の使命でもあった。
しかし、すべてにおいて飽和状態の中で暮らす今の子どもたちにとって、トリック(仕掛け)なしで、そのような気づきをもたらすことはできない。
そこで、私は進学塾でありながら、野外キャンプに子どもたちを連れ出すというトリックを策略し、なにも「ない」状態に子どもたちを置くことによって、子どもたちの中にある「気づき」を導き出そうと考えたのである。
これはキッズランドの野外体験活動の生きる力を育む体験となって今もって継続している。
子どもたちに様々な気づきをもたらす仕掛人、これこそがコーチ(コーチャー)であり、私が考える教育コーチングの原点である。
「気づき」を導き出す方法はコーチよって様々だ。それは単純にマニュアル化できるものではない。しかし以下の三点は常に念頭に置くべき概念と言えるだろう。
1.人は伸びようとする生き物である
2.人はそれぞれである
3.人は、自分の中に答えを持っている
指導者は、常にこれを頭に置いて、子どもたちの「気づき」を導き出すためのトリックを生み出さなくてはならない。
これはもっと簡単に言えば、子どもに「そういうことだったんだ」「なるほど」と納得させる状況やヒントを与えることである。
人は納得すると、伸びようとする力が倍増する。人は納得すると、その考えを個が生み出した回答として咀嚼し、自信に変えることができる。
コーチングとは純粋に人間心理を遡る教育方法なのである。
しかし、純粋に人間の心理に添っていかなくてはならないだけに、コーチする立場の人間にも誠実さや使命感の強さが求められる。
この夢現塾は、そのトリックメーカーになるべくコーチたちの、コーチング塾と言えるのだ。
森下の「子どもと接している仕事をしているだけに、彼らの不安が子どもの不安を呼ぶ」と言った言葉の中には、指導する人間の使命感がはっきりしていないと、子どもを導くことは不可能ということを遠まわしに伝えたのだと思う。
子どもの伸びようとする力を育むのは、まず自分自身が伸びようとする気持ちを持った指導者から生まれるのだ。
次回の夢現塾は、参加者が過去に体験したことをそれぞれが振り返り、それらを統合することによって、未来への種を創ることを目的としたい。
過去から創り上げた未来への種子は、自分の「夢」の発見へと繋がるはずだ。
私の後ろには子どもがいる。夢現塾の参加者の後ろにも大勢の子どもたちがいる。そして、その子どもたちの後ろには、日本の未来が―、私の言葉で言うならば「ヒューマン・ドリーム・サポート・カントリー」があるということを忘れてはならない。
果たして、参加者たちは、いつ自らの使命に気づき、納得し、魂に火をつけてくれるのだろうか―?
森下という男は彼らにとって充分大きな起爆剤になるはずだ。
もちろん、私はそのためにこの夢現塾を立ち上げたのである。
※次回は「夢」を描くをテーマに、教育コーチングを取り入れてお話します。