2006/12/19
第8話 真の教育コーチングとは
人は、誰のために生きているのか
前回の「夢現塾」では、夢を描くことの必要性を語ってきたが、私が「夢」や「使命」「目標」のことをここまで取り上げるのには理由がある。
これを自問自答形式に変えると、「自分は何のために生きているのか」ということになるのだが、同時に忘れてはならないのが「自分は誰のために生きているのか」という自問自答だ。
ふたつをくっつけると、「自分は誰のために、何をするために生きているのか」ということになる。
目標や夢は人それぞれだ。しかし、誰のために生きているのかという問いかけに対しては、人間はみな「自分のために」と考えるのが普通だろう。
私は今、教育コーチングという指導法を塾に取り入れている。
前回も紹介したが、コーチングとは、気づきを引き出すという指導法で、教育現場だけではなく様々な日常に大きく関わっており、夢や目標を持つことにも関係が深いということを是非ここで知ってもらいたい。
私が教育コーチングを取り入れようと思ったのは、日本のプロ野球からアメリカの大リーグに行った野球選手、大家友和との出会いがきっかけだった。
彼はなぜ、アメリカに渡って行ったのか―。
もちろん頂点の舞台でプレーをしたいという夢もあっただろう。
しかし、それだけではない「日本の監督やコーチの指導法が自分には合っていない」という大きな理由が大家の中にはあった。
日本のプロ野球の監督やコーチは練習のメニューをただ彼に提示し「やれ!」と言うだけだった。「なぜこの練習が今の自分に必要なのか」と聞いても「とにかくやれ!やればいいんだ!」とだけしか言わないという。
その話を聞いたとき、私の中で父、雅一の姿が脳裏に浮かんだ。
私の父もまた、私に命令と指示しかしない男だったからだ。
その命令と指示に納得できなかった私は、自分の目標も夢も描けずに20歳前半まで生きてきた。
今でも多くの親が子どもに対してそうではないだろうか。
指示と命令で子どもをコントロールし、結果、子ども達は「夢」を描けずにいるのだ。
大家もまた、指示と命令しかしない監督やコーチの下で、自分の「夢」が何であるのか、自分は何を目標にやるべきなのかを見失いかけていたにちがいない。
そして彼はアメリカに渡り、その才能と夢を開花させた。
事実、アメリカのメジャーリーグで30勝以上、勝利を挙げているのは野茂と大家だけである。
そこには命令も指示もない、まさに本人の「気づき」による指導法、コーチングが存在していた。
コーチは彼に指示をしなかった。
「君自身、今の自分に必要なトレーニングは何だと思う?」
「コントロールが定まらないので、それを改善するトレーニングが必要だと思います」
大家が答えると「じゃあ、何がいいと思う?」とコーチが質問する。
「とにかく下半身を安定させるために毎日走りこむしかないですね」と大家が答える。
そして、大家は自分で納得し、目標を立ててトレーニングに取り組むというわけである。
自分で気づいてトレーニングに取り組めば、その必要性を100%本人が納得しているだけに伸びる力が最大限発揮されるというのだ。
私は、この指導法に心底感嘆した。
「夢」は他人から命令・指示されて描くものではない。
「夢」は自らの得た気づきによって描かれるものなのである。
「夢」を描けるようになるためには、この指導法が必要だ。
そして、その夢は他人のものではない「自分のため」のものなのである。
ハンガー・フリー・ワールドとの出会い
「自分のために・・・」という言葉で、私自身の記憶から蘇ることと言えば、ハンガー・フリー・ワールドとの出会いがある。
ハンガー・フリー・ワールドとは、世界飢餓撲滅を目指している特定非営利活動団体であるが、そのプロジェクトに関わっているひとりの男からある日、突然電話がかかってきた。
十八年前のことである。
「佐々木さん、この地球上では毎年、二千万人の子どもの多くが飢餓が原因で亡くなっているのをご存知ですか?」
「いいえ・・・」
「そうですか・・・。私は今その飢餓をなくす活動に参加しているのですが、佐々木さんも一緒にやりませんか?」
その男は随分前からそのプロジェクトにかかわっているとのことだった。
私は話を聞き終えたとき、正直ばかばかしいと思った。
別に自分が飢餓を作り出したわけでもないし、自分が子どもを殺しているわけでもない。
しかし、「そうですか、立派ですね・・・。でも僕には関係ない」そう言って電話を切ろうと思ったとき、もうひとりの私が心の中で「待った!」をかけた。
これを無関心というのだ。たぶん世界広しと言え、子どもが死んでもいいと思う人はひとりもいないだろう。しかし、見方を変えれば、そんなことすら頭に浮かばないほど無関心だったのだ。当時、私の息子はまだ妻のおなかの中にいた。その子が将来、飢えで死にかけたら自分はどんなことでもするだろう。
さらに私を後押ししたのは、塾の子どもたちの存在だった。物と情報が溢れている日本で育った子ども達は飢餓にはことさら無関心だ。塾の子どもたちにはそんなふうになってほしくはなかった。
私は、飢餓に喘ぐ子どもたちへの十万ドル(当時で約1500万円)の寄付を承諾した。
もちろんこの寄付は、貧困に苦しむ子どもたちのためである。しかし、それだけではなかった。塾の子どもたち、自分の息子、そして何より私自身の「気づき」のためだった。
いつか、息子が大きくなって、この話を耳にしたとき、彼は言うかもしれない。
「お父さん、そんな大金あったら僕にくれたらいいのに・・・ボクは息子だよ」
その時、私はこう答えようと思っている。
「あの十万ドルの寄付こそが、お前へのお父さんからの最大のプレゼントだ」と―。
私は、我が息子がこのプレゼントの意味を理解できる人間になってくれることを願っている。
そして、その願いが通じてくれるよう、私は父親としての私自身のために、ハンガー・フリー・ワールドに「投資」をしたのである。
これは、未来への投資であるとともに私自身への投資でもあったように思う。
このことがきっかけとなり、現在、塾では子どもたちを年に一度、途上国へ派遣し、国際社会への関心を高める活動にも積極的に取り組んでいる。
日常の中にあるコーチング
今まで私は数限りない失敗と出会いを経験してきた。その失敗や出会いが今の私を築き上げ、同時に多くの「気づき」を私に与えてくれた。
失敗なくして成長はない。ここ(塾)は失敗と成長、そして「築き」と「気づき」の場所であって欲しいと私は常に願っている。
失敗が許されないと、人は自然とリスクを避ける。チャレンジにリスクはつきものだ。失敗もリスクも恐れるな!言うなれば、失敗と挫折、そして人との出会いは最高のコーチングであると私は思っている。そして、最も大切にしなければならないのが「自分との出会い」だろう。
社員たちが、「自分のために生き、自分のために夢を描く」ことができれば、彼らは大きく成長するにちがいない。社員の成長なくして、塾の保護者の成長はなく、保護者の成長なくして、塾の子どもたちの成長もないのである。
ここまで言えば、他人のためではなく、なぜ自分のために生きることが大切なのかが、わかってくると思う。
人間は、みんな自分が主人公になって生きているのだ。
人間は、みんな“業”や“煩悩”の中で日々を送っている。
それをしっかり自覚した上で、自分の「夢」を描いていくことが大切だと私は思う。
もっと解りやすく言えば、「社会の役に立つ人間」になりたいという気持ちは、周りから「自分を肯定されたい」という自分自身の業の表れなのである。
しかし、それでいいのではないだろうか。
社会とは、人々が集まって創っていくものであり、その人々が自分のために精一杯生き、夢を語っていけたら、こんな素晴らしい世の中は他にはない。
私たちが生きている日常に、コーチング「気づきを引き出す」ヒントはたくさんある。
その感性を磨くことが弊社でメンター(支援者)と呼ばれている400名の講師たちの最大の課題であると私は考えている。メンターの感性は子どもを大きく左右する。
そして、私は「人の夢を実現し支援ができる国創りと、その人財の育成」というグランドミッションを背景に、社員の「夢」を明確にさせるヒューマン・ドリーム・サポート・セミナーを全社員対象に開始したのである。
※次回も教育コーチングの続きです。