第21話:「一流」を極める
センスを磨く
今回も前回に引き続き、スポーツとコーチングの話である。
「一流の選手」=「一流の指導者」が必ずしも一致しないことは、スポーツも他の業界でも共通しているところだろう。
これは、指導することの難しさを意味している。
誰かを指導することはその専門技術に長けていても、指導仕切れない部分がある。そこで、われわれより、コーチングの技術を学ぶことで、掴んで貰いたいのである。
そのひとつが、指導者が指導を受ける人をいかに承認できるかどうか、にかかわってくる。その点で最も私が感銘を受けたのが、前回もお話した野村収氏、その人である。
一流選手というものは、ユニフォームを実に格好よく着こなせるものだ。
しかし、六十一歳という年齢でここまでユニフォームを格好よく着こなせる人を私は多く知らない。選手という立場からではない。それはまさしく指導者という立場から出てくる野村コーチ独特のオーラなのである。
また、野村コーチは(社)日本青少年育成協会から派遣した教育コーチングトレーナーの指導に謙虚に耳を傾け、熱心に取り組む姿勢を私たちに見せてくれた。
プロ野球のコーチともなれば、すでに「一流」という自負がつきまとい、その自分たちを指導する者などけしからんと、斜から見てもおかしくないというのが本音だろう。
確かに、参加対象となった十六名のコーチの方々はすでに「一流」であること、つまり「センス」があることは間違いなしだろう。
しかし、私が考えることは別にある。
例えば、公式を使わずに問題をすらすらと解いていたAさんがいるとする。
それは、Aさんの生まれ持った「センス」がなせる業だ。つまり、その問題を解決するニューロンが発達しているため、Aさんは何なく問題を正答できてしまうのだ。
さて、大切なのはここからである。
Aさんが指導者という立場になったとしよう。
自分が深い考えもなく、簡単に問題を正答できる「方法」を今度はどうやって他人に指導するのだろうか。指導を受ける側(Bさん)は、Aさんと同じように問題を正答できてしまうニューロンは発達していない。
BさんはAさんに言う。「この問題を正答できる“方法”がわからない」
そこでAさんは悩むはずだ。「Bさんがこの問題を正答できる“方法”がなぜわからないのか、わからない」。
自分には当たり前にわかることが、相手にわからない時、なぜこんな簡単なことがわからないのか、と不思議に思うことがある。
それは、公式ではなく「センス」で答を導き出してしまうからだ。
では、このAさんの優れたセンス、つまり問題を正答できてしまう優れたニューロンに加え、問題を解く公式(技術)が加わればどうだろうか。
つまり、我々の考えている教育コーチングとは、この「公式(技術)」のHOW TOにある。
今まで公式を使わず、センスで指導に当たってきた、プロの指導者のみなさんに、この公式を知っていただくことで、「センス」+「公式」=コーチング力のアップとなるわけだ。
センスがあるのにコーチとして壁にぶつかるのは「公式」が欠けているからだ。
ファッションも同じだろう。色の組み合わせや形にも、絶対的な公式があり、それを知ることで、勘にだけ頼って心もとなかったものが、ぴったりツボにはまる確信へと変化していくことがある。
世間一般でよく使われている「センスを磨く」という言葉は、センスに公式をプラスしようという意味ではないかと、私は考えているのである。
ネイティブ・コーチ+公式
コーチとして教えることの「センス」を最も兼ね備えていると私が感じた野村収氏。
選手のすべてを承認し包み込むオーラは見ているだけでも感動で涙が出るほどだった。
人間性そのものがすでにコーチである野村氏は、我々の教育コーチングをどう受け止めるのか−。
教育コーチングスキル習得セミナーのプログラム概要は、知識としての吸収ではなく、コーチングの効果を体感していただき、即、実践できるよう可能な限りのワークを盛り込んだ講義形式である。
まずは、ティーチング(教える)とコーチング(育てる)の役割の違い、バランス、融合性の必要性、「教」の功罪を学んでいただく。
そして、「手放す(安心感)」と「離す(気づき)」を実現するに効果的な「傾聴」の習得。傾聴は、相手に承認しているという安心感を与え、相手に主導権を握らせることで物事の成り行きを把握させる気づきをもたらすのである。
三つめは「詰問」と「質問」の違いを知ることにより相手の心にアクセスしてその中にある答えを効果的に引き出す「質問」の習得。最後は、相手の心にアクセスすることによって、意欲や勇気、エネルギーを引き出すことができる効果的な「承認」の習得である。
つまりテーマは「教と育の違い」「傾聴を極める」「質問の真意を知る」「承認することの意義」である。
これらをレクチャーの他、デモ、ワーク、マンツーマンセッションなどをふんだんに織り込んだワークショップ形式で進行していこうというものだ。
大切なのは、まず、自分の中にある「先入観」、その元になる「ある概念」を発見することであり、その「ある概念」ではない「事実」を見抜くセン スを磨くことである。リーダーであるコーチは、その責任感と意欲から「選手の弱点を発見して修正させること」にエネルギーを使いがちだ。それとは逆に「長所・好きなところ」を含め、選手を「観察」し、それを率直にフードバックすることに重きを置くことを改めて知っていただこうというのだ。これは経験値や、思考のみに頼らない幅広いコーチングが「センスを磨くこと」すなわち公式をプラスする重要な足がかりとなることを意味する。
また、選手に対する「承認」を具体化し、「評価」ではなく「感謝」と「気持ち」に表して率直に届けることもこの教育コーチングの大きなポイントである。
さて、これを予想外と言うべきか、その人のままと言うべきか、野村氏は実に熱心に、そして健気に教育コーチングトレーナーの指導に聞き入っていた。
さらにセッションの中でも一番声が大きく、積極的に質問に手を上げているのが窺えた。
ネイティブ・コーチ−。
私が野村氏にそう感じたのは、彼の固定概念を持たないそのような他への「心のまなざし」ではなかったかと思う。
繰り返すが、プロ野球選手のコーチの方々へ教育コーチングを行うなど、どういう了見だ、と怪訝な顔をする人もいるだろう。いや、むしろそれが当然というべきかもしれない。
だが、野村氏からはそういったものは微塵も感じられなかった。
自分が大好きな野球のユニフォームをできるだけ長く、しかもただ長く着る、というだけにとどまらず、「格好よく着続けたい」という姿勢がありありと見えた。
ユニフォームを格好よく着るとは、言い方を変えれば「選手を“育てることができる”指導者でい続ける」ということだ。
変な固定観念に縛られず、外部からのものを拒まず、まずは無で接することが、結果的に、いい選手を育てることにも繋がる。教育コーチングセミナーに出向いた第三者的立場だった私にはそう位置づけることができた。「概念を外す」は、セミナーの基本でもあるからだ。
しかし、どう見ても、それを野村氏本人が意識的に行っているとは思えない。無意識のうちに行っているからこそ「ネイティブ・コーチ」だと私は言ったのだ。
そういったセンスが、彼にはもともと備わっている。
そして、そのセンスにさらに磨きをかけようと、熱心に公式(我々の教育コーチングセミナー)に取り組んでいたのだった。
概念を拭い去って、新しいものと出会うことの素晴らしさ、それを訳なく受け入れてしまうことができる生まれ持った彼のセンス。
私の感動は、野村氏のこの部分にあったのだと思う。
大人たちがみんなこうであったら、子どもはどれほど大きく伸びることができるのだろう?感動と同時に私の頭の片隅にそんな思いがよぎった。
しかし・・・、もし、そうであったなら教育コーチングスキル習得セミナーなど誰も必要なくなる。
“それは、それで私は困るな・・・。”
もちろん冗談半分、本気半分である(笑)。
(おわり)
☆次回はイキナリ社長面接についてお話します