2009.04.27   

第28話:講演会で「自分史の意義」を伝える

前回まで三話にわたって「自分史」を語る意義を「喜感塾」という現場を舞台にお話させていただいた。

そして、今回は私自身がその手応えを感じ、「自分史」について外部で講演した時の出来事をお話したい。

私が「自分史」について語らせていただいたのは昨年秋、「元気支援システム」という京都の中小企業の幹部社員たちが集まる勉強会という場であった。

「喜感塾」と全く違うのは、集まる者が外部の人間であるということと、今回はファシリテーターという役割ではなく、私は講師で呼ばれ、明らかに話す立場にあるということだ。

こうなるとただ単に「自分史」を語るという単純な作業では相手には何も伝わらない。

「喜感塾」の場合は、お互いが「発表する立場」であり「聞く立場」であった。
 だからこそ「ただ語ること」「ただ聞くこと」にも意義を見出せたのである。

しかし、今回は話す側と聴く側がはっきりと分かれている。

つまり、ここでの目的は自分史を語ることではなく、「自分史」を語ることで手に入るパワー、自由さ、クリエイティブさを伝えることが主旨で、私が語る「自分史」はそのためのツール(例題)と考えていただきたいのである。

「自分史」を語りトラウマ(傷)に光をあてて消す奇跡のテクノロジー

これが私の講師として課せられた役割だ。

そして講演会は、こんな言葉から始まった。

「みなさんに質問があります。

ひとつ、売り上げが倍になるのなら、いくらのコンサルティング料を支払う価値がありますか。


ひとつ、過去の辛かったこと、忘れてしまいたい事件の傷が癒えて元気になったらいくらのカウンセリング料を払う価値がありますか。


ひとつ、これからの人生がガラっと変わり、すごいことや素晴らしいことが奇跡のように起こるとしたら、どれだけの金銭的価値がありますか。


そして最後に、この三つの全てが可能になるとしたら、いくらの費用を払う価値がありますか」

もちろん講演会なので、その質問にいちいち参加者が答えたりはしない。

みな一様に黙って聞いている。

「必ず皆様の欲しい成果をあげますので、“絶対積極の姿勢”で最期までご参加ください」

大切なのは聴講者の“積極的な姿勢” ですので、このように冒頭に申し上げたわけです。

聴講者のモチベーションは講演の結果を左右する。当たり前のことであるが、これを言っておくのとおかないのとでは結果は大いに変わってくるのである。

私には今までに何万人もの子ども達や大人を指導し成果を出してきた実績がある。

教育者として大切なのはその結果だ。

例えば引きこもりのニートが働き出した。普通の子が東大に合格した。落ちこぼれがリーダーとして動くようになった・・・。

その中で最も私が声を大にしていいたいことは、その指導を受けたものが「人生を楽しいと思えるようになり、幸せを大いに感じるようになった」という点であった。

今回の講演会でも私は参加者にそう思えるきっかけ創りをしなくてはならない。
それが「自分史を語る薦め」なのである。

時に私はよく若者からこんな相談を受ける。
「何のために生きているのかわからない・・・」「何のために生れてきたのかわからない・・・」「夢がない」「目標がない」「やりたいことがない・・・」
 
 今の若者の典型的な悩みである。

夢や目標は人それぞれだ。やりたいことも様々だ。

しかし、それらの質問に、すべての人が納得する答えがひとつある。

それは「人は幸せになるために生れてきた」ということだ。

考えてみて欲しい−。

「私、どうしても不幸になりたいんです」という人間がこの世にいるだろうか。

 心からそう願っている人間がいるのであれば一度お目にかかりたいものだ。

「夢がない=悩み」ならば「夢がある=幸せ」なのだ。

人間、上を向いているときにはパワーがみなぎる。またパワーあれば幸せだと感じるようになる。

ではそのパワーを消しているのは何なのか?それが「過去にあった負の出来事」である。前を、そして上を向くことができない原因がそこにあるのだ。

「自分の過去」とはまさに「自分史」。そう考えれば「自分史」を語り「負の過去を完了」させることがパワー、そして幸せを手に入れるためにどれだけ必要なことかが参加者にもわかっていただけるだろう。

さて、私は講演会をするにあたって、よくこんな例えをする。

現在の多くの講演会で講師はPCを用いて写真や音楽を併用し、よりわかりやすく、効果的にプレゼンテーションを展開している。

これらの効果はコース料理に例えると「前菜」に当たる。

ならば今日の私の講演の場合「メイン料理」が「自分史」かと言えばそうではない。

最初に挙げた通り、今回の講演の目的は私の「自分史」を参加者に聞いていただくことではなく、「自分史」を語ることで手に入る「未知のパワー=幸せ」について知っていただくというのが趣旨なのだ。

では「メイン料理」に値するのは何か−?

講演でメインにあたるのは、何時でも、講師の「話術」だ。

私の「自分史」そのものよりも「自分史を語ることで得る変化」を参加者に伝えるために私はここにいる。

そう考えればここでの「自分史」はあくまでも「デザート」に過ぎない。

なるほどこのように「自分史」を語るのか、発表するのかと講演の内容を最終的に満たす〆として「自分史」を聴いていただくのである。

ところで、デザートとコーヒーが出て食事のコースが終るように、講演会も普通はここでお開きとなる。

しかし、レストランに例えると、これは食い逃げだ。

そう、「会計」がまだ済んでいないのである。

食い逃げはよくない(笑)

そんなわけで、私の講演会では「会計」を設けることにした。

その「会計」に当たるのが講演終了後の参加者のアンケートである。

参加者の方々は私の講演会に少なからずお金を払ってくださっている。忙しい中、時間を作って来てくださっている。その期待に私は応えられたのかどうか−。

こうして行われたアンケート結果では、講演内容に、やや満足・満足・大満足と答えた人の割合は96%であった。

その主な理由については 「人生目的をしっかり伝えられるようになりたいと思えたから」 「今後のやる気、モチベーションが上った」 「自分自身に置き換えることができ、今後の人生に生かせる」 「自分史を用いたことでわかりやすく公演内容がとても具体的」  「話に魂がこもっていた」 「素直な気持ちで人の話を聞けたのは今日がはじめて」  「人生目的という言葉に感動した」などが上げられている。

   
 私は日ごろからこれらのフィードバックを非常に重視している。

食事をした客はその金額に値しない評価であれば、二度とそれを口にしない。

それと同じで、これらのアンケートを「会計」と例えたのも、フィードバックは大切な評価だからだ。

私たち成基コミュニティは常に顧客と向き合い、顧客の声に耳を傾け、その「NEEDS」に必ず応えなければならない。そして、それに応えれば顧客はそれなりの評価をする。

しかし、我々が目標としているのは「NEEDS」に留まることではなく、顧客の「WANTS」に応えることであることを付け加えておきたい。

学習塾である我々の顧客とは子どもを持つ保護者である。その保護者の「NEEDS」とは教科教育の中での成績アップを目指す気持ちを示し、「WANTS」とは、それ以上の「子どもの幸せ」を願う気持ちだ。

人は何のために生きているのか−?

誰もが幸せになるために生きている。

これは「喜感塾」でもこの度の「講演会」でも、いつでも私が大切に思うことであり、我々の顧客である保護者の「WANTS」でもある。

講演会の最後、私は自分の人生目的(天命)をPCで映し出し、読み上げた。

“世界の人々から尊敬、信頼、愛される日本人(ひと)創りに己の全てを捧げる−。”

 私は、多くの人に「幸せを手に入れる方法」を伝えていきたいと心から願っている。

だからこそ、この度の講演会に於いても「自分史を語ることの薦め」をご紹介させていただいたのである。

 

*次回は、ブレイクダウン・ブレイクスルーセミナーについてお話します

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