第32話:君たちの中にある大きな可能性
−挑戦し続けることの大切さ−
前回は私の「言霊集」についてご紹介させていただいた。
そのひとつに、「あきらめの種からはあきらめの実しか実らない」という言葉がある。
今回は、その言葉に魂を吹き込むべき「挑戦し続けること」すなわち「あきらめないことの大切さ」について、お話したい。
昨年の8月、私は朝日教育講演会という場で、巨人軍を経てメジャーリークで活躍した元プロ野球選手、桑田真澄氏とトークセッションをさせていただいた。
PL学園時代から常に注目を浴びた同氏は、四十歳目前まで現役を貫いてきた名の知れた有名選手であると同時に努力の人というイメージが強い。
桑田氏のように自ら努力を積み重ねてきた人から発せられる言葉には、魂がずっしりつまっているはずである。
案の定、セッションの前に行われた講演会で、桑田氏の口から出た言葉は、どれも印象に残るものばかりだった。
その一例をご紹介しよう。
壱: 「影の努力と光の努力」
中学で負けなしだった桑田氏は、自信満々でPL学園の野球部に入団したがここで、清原和博選手と出会い、コンプレックスを感じるようになり、「影の努力」というものに出会う。
「光の努力」とは怠けることなく続けるいわば、当たり前の、目に見える努力。
「影の努力」とは誰にも知られず、ひっそりと行うもの。
桑田氏は、毎朝誰よりも早く起床し、トイレ掃除や草むしりなど、人が嫌がることをコツコツとこなすようにした。
もちろん、これらは直接野球には関係ないが、不思議なことに野球をしていても、打席に立つとど真ん中にボールが来てホームランになったりと、運が味方をしてくれる。つまりこれは「影の努力」に救われているということである。
この桑田氏の言葉は大いに説得力あるものだった。
私は、いつでもこう考えている。
神様は、一所懸命な人だけに幸福の手を差し伸べる、と−。
世の中には自分の力だけではなく、目に見えない不思議な力、周りの力に助けられることがある。その力を引き寄せるのは「影の努力」であると桑田氏は言っているのだ。
また、同氏が子どもの頃に最も感じたのは、落ちこぼれた自分の中から見つけた「努力する楽しさ」であったという。
その後ろには、いつも自分を温かく見守り叱咤激励してくれる母親の存在があったことも忘れてはならない。
その喜びが「影の努力」へと彼を導いたのだろう。
壱: 「だるまさんのように転んでも起き上がればいい」
中学で挫折を味わい「影の努力」で甲子園のエースの座に上りつめた桑田氏であるが、
ジャイアンツ入団後にプロの洗礼を受け再び挫折を味わう。
目の前が真っ黒になり、野球をやめようかとも考えていた桑田氏であるが、勉強のため二軍選手に混じって渡米した時、雄大なグランドキャニオン見て、自分の情けなさが目に見え、涙が止まらなかったという。
そして、三年間は死に物狂いで努力をすると誓い、その通り昼はトレーニング、夜は勉強と並々ならぬ努力を続けた。
こうして二年が過ぎた頃、彼の心にだるまさんが出てくるようになったというのだ。
そのだるまは「倒れたっていいんだよ。大事なのはまた起き上がることだ。さあ、今度はどうやって起き上がるんだ?」と励ましてくれるというのだ。
だるまのように再び起き上がるのにはエネルギーが必要だ。その源となるのが「努力」であり、そして「努力をあきらめない」ということなのだ。
桑田氏はスポーツという分野を通して、このふたつの言霊の意味について語ってくれた。
自らの体験を重ね合わせた思いは、きっと、聞いている子ども達の魂を大きく揺さぶったことだろう。
憧れのプロのスポーツ選手にも様々な障壁がある。その障壁を乗り越えるためには挑戦を続けることなのである。
しかし、ただがむしゃらに突進すればいいというものではない。
桑田氏が言っているように、転んだ時「さあ、どう起き上がればいいんだ?」という「起き上がり方」を自問自答し、考えることが必要だ。
倒れてもいい。しかし、どう起き上がるかが大切なのだ。
さて、桑田氏の講演会が終ったところで、私とのトークセッションが始まった。
講演会は自分の子どもの頃を振り返り、子どもの目線で今まで歩んできた道を語ってくれたわけであるが、もうひとつ、教育者として私が知りたかったのは、ひとりの親としての桑田真澄である。
「例えば、私が子ども達に“大人になったとき、どんなことをしていたら幸せだと思える?”と聞けば、みんなそれぞれ答えることができます。でも、その時、親御さんは“それは無理じゃないか”という考え方や言葉、あるいは、親御さん自身の夢を子どもに無理に託していることなども考えられます。桑田さんにも高校生、中学生のお子さんがいらっしゃいますが、お父さんとして子どもの夢についてどうお考えでしょうか?」
「息子たちには、“好きなことを精一杯やりなさい”と言っています。けれどひとつだけ約束事があるのです。それは、好きなことをやってもいいけど、人と比較しないことなんです。大事なのは、一日、一日自分のベストを尽くすこと。すぐれている人が回りにいれば、比較するのではなく、その人からたくさん吸収すればいいのです。私は、子どもの野球チームの指導でも一人ひとりの上達を見つめていくようにしています。“あの子はこんなにできるのに、どうして君はできないの?”などという言葉は決して口にしません」
桑田氏の話を聞いていると、長年コーチや監督を務めてきた人のような貫禄を感じる。
これから、指導者としての桑田真澄を期待している人も多はずだ。
そこで私は、桑田氏のその指導者としての考えとはいかなるものなのかを聞いてみた。
こうなると、子どもより親御さんたちの方が身を乗り出してトークに聞き入っているのがありありとわかる。
「野球は失敗したら負けるスポーツだとよく言われますが、私は“失敗するスポーツ”だと思っています。ですから子ども達にはこう言います“エラー、打てない、打たれた・・・。
気にするな!プロ野球選手でもエラーするんだから。でも準備だけはしっかりやろう!スタートを切る、カバーリングをする、風の方向、グランドの状態を確認する。その準備を怠ったら厳しく叱るぞ“って。」
指導者として上に立つには選手としての経験だけではなく、それなりの勉強が必要だ。
これからも、しっかり勉強を続けてその時が来たら、素晴らしいチームを組織していきたいと桑田氏は語ってくれた。
優秀な選手であれば、優秀な指導者になれるとは限らない。
指導者になるための育成が必要だ。桑田氏も「指導を受ける側にもきちんと資格を持った人に教えてもらいたいですね」と締めくくっている。
これは、スポーツ界だけではなくすべての組織において共通することではないだろうか。
間違った指導者の下では、人は育たない。そして、子どもにとって最も身近な指導者は親である。
桑田氏は子どもの頃、母親の言葉によって大きな気づきを得ることができ、努力の楽しさを知った。そのことからも、いかに親の指導力が子どもの将来に影響するかがわかるというものだ。
すべての親御さんたちには是非、指導者としての自覚を持ってもらいたいものだ。
偉大な指導者は偉大な気づきを、多くの子ども達にもたらすことができる。
それこそが、桑田氏が言う「努力の楽しさ」であり、「転んでも、また立ち上がれる希望の源」となるのである。
これは、私が会長を務める(社)日本青少年育成協会が行ってる教育コーチングでも広く訴えていることだが、桑田氏とのトークでコーチングの必要性をまたひとつ確信できた。
桑田氏は、偉大な野球界の選手に終らず、野球界の宝となるような指導者になるに違いない。
同時に、私も教育界の宝となるような指導者でありたいと改めて感じたセッションだった。
桑田氏の今後の指導力に注目し、私も多くを学びたいと思う。