2011.02.28
合宿二日目、2010年8月14日、朝9時から始まった「契約と承認」は、この合宿の中で、最も重要となるプログラムだ。
それだけにいい加減な契約の発表は許されないし、いい加減な承認も許されない。
それを徹底的に指導するのが各グループのリーダー達だ。
彼らは普段、成基学園の各教室やエリアで教室長や塾長として働いているいわゆる教育のプロ達だ。
そこで今回は、真の教育のプロとはいかなるものかを、この合宿の出来事を通して問題定義してみたい。
教育のプロとはレベルの高い教科教育を徹底指導できること―。これは当たり前のことだ。しかし、弊社の社員がそのレベルで甘んじていることは許されない。
私が考える教育のプロとは、指導を受ける子どもたちの意識改革までを成し得る教育者のことであり、それに挑むのがこの合宿である。
子どもの学力を飛躍的にアップさせるには、教科を叩き込む以前に、硬直して石ころのようになっている頭を何でも吸収できるスポンジの頭に変える、意識の大改革が必要なのである。
ここで、その裁量を大きく問われるのが各6名の塾生を率いるグループリーダーとサブリーダーの指導力である。
この日、朝から行われたセミナーで、最後まで承認を得ることができなかったのは、グループ5のモンブラン(キャンプネーム)という塾生だった。
時間はすでに午後6時半となり、プログラム終了予定時間を大幅に超えている。
他のグループの塾生たちはすでに承認を得ていたため、すべての塾生やグループリーダーたちが、最後に残されたモンブランの契約承認を見守るため、一室に集まっていた。
モンブランは何度も自分の契約を大声で読み上げたが、真剣さが周りに伝わってこない。
目は泳ぐし、言葉に魂が込められていない。
見方によっては冷めていて、「弱い自分を変えたい!」という思いが一同には感じることができなかった。
このままでは、モンブランは意識の大改革をせずにこの合宿を終えてしまうことになる。
私は、一旦モンブランの契約承認を止めて言った。
「グループリーダー、サブリーダー、君らが見本を見せてやれ」
モンブランの言葉に魂がこもってないのは、言葉に魂を込めることの意味、そしてその言霊の持つパワーを実感できていないからだ。
私は、グループ5のリーダー、にーやんとサブ・リーダの、かぽね(共にキャンプネーム)にみんなの前で手本を見せるよう伝えた。
その言葉どおり、ふたりは大声で、自分自身の契約に魂を込めて発表した。
ここで私が言いたいのは、モンブランが最後まで、承認を取れなかった理由は、リーダーであるこのふたりにも原因があったということだ。
では、彼らの指導は何が問題だったのか―?
単純である。ひとつはリーダーであるにーやんが、この合宿の参加に非常に受身的だったということだ。別の言い方をすれば業務命令に対する仕事として参加したともいえる。
ここでは社員たちは全身全霊をかけて、そのエネルギーを子どもたちにつぎ込まなければならない。
そうしなければ子どもの意識を変えることは到底できない。
子どもたちが、契約を誓った言葉に魂を吹き込むためには、まず、我々がそれを示さなければならないのに、にーやんの中にはこの合宿に対して様々な迷いがあり、真剣さが足りていなかった。それが、モンブランに見抜かれてしまったのだ。
後に、にーやんはスタッフミーティングで自分自身のことを、こう述べている。
「子どもにどう向き合ったらいいのか、わからなかったし、できれば参加したくなかった。ボクはマニュアル化されていないことをするのが非常に苦手で、どうしていいのかわからず、逃げる場所を探す方が優先していた気がします。できれば、こうしろと指示を出して欲しい・・・」
その言葉を受けて、サブ・リーダーのかぽねが言った。
「今回のことは僕も反省しています。ボクはサブだから、リーダーを立てなきゃという気持ちがまずあって、それが、結果的に子どもたちへの妨げになっていたんだと思います」
他のサムライやグループリーダーも、にーやん、かぽねの指導には問題があると気付いていたようだが、何も言わなかった。いや、言えなかった。
トレーナーのサムライもこの件について語っている。
「にーやんの指導に多少問題があると、みんな気がついていたのに、どこで、どう手を差し伸べていいか模索するうちに何もアドバイスできなかった・・・。反省しています。何が正解で何が不正解か、考えていたけど、大切なのは、迷わず動くことだと思いました」
サブ・トレーナーのゴッドが続いた。
「相手が間違っているな・・・、行かなくちゃと思ったときには、自主的に即行動する!どこで手を差し伸べるかは非常に難しいけど、その気持ちが、全体の気持ちにアライアンスしないと、子どもたちは変わらない」
私は頷きながら言った。
「その場に心が本当にあるのかどうか、自分の意志が今、どこにあるのか、観察してほしい。何のためにここにいるんや?
子どものためか?自分のためか?その両方か?それとも誰のためでもないんか?
とにかく我々は、今、ここにいる。なのにこの場に向き合わないのはもったいないことやと思わんか?まず、セルフウォッチングをきちんとして、相手に指示を出す、コントロールをする、叱咤する、そして、何も言わないで手放すことも時には必要と、自分の決断でやってみろ!
大切なのは全身全霊をつぎ込むこと!そうすれば、子どもは我々に、素直に承認のシャワーを浴びせてくれるぞ!
そして、このシャワーを浴びることで、教育者としての本当の喜びを知ることができるんと違うか?」
この合宿は、教育者としての裁量が問われる合宿だ。
そして、それを真っ先に承認してくれるのが、今、ここに参加している塾生であり、我々は子どもたちの承認(成長)によって、教育者としての誇りと自覚を得ることができる。
さらに、忘れてはならないのが、スタッフ同士の距離の取り方である。
合宿参加4年目で、今年初めて合宿のまとめ役であるトレーナーに就いたサムライは、そのスタッフ同士の距離感についても興味深い考えを述べてくれた。
「以前の合宿では、マネジメントのことは考えたことはなかったのですが、今回はトレーナーという立場を初めて担って、スタッフ同士のチームワークとは何かという壁に改めてぶつかったんです」
サムライは、各リーダーやスタッフにはその人なりのやりかた、考え方があるのだから、スタッフを信じて子どもたちの指導は各リーダーに一任すればいい。「よいチームワーク」とは「仲間を信じて任せる」ことと思っていた。しかし、今回、にーやんのグループのような問題が出てきてしまった。
良いチームワーク=仲間のすべてを信じるということではない。
良いチームワーク=良いコミュニケーション(叱咤を含む)を取るということなのだ。
これに気付いたサムライは、今回のにーやんの出来事の責任の一部は大いに自分にあると感じたらしい。
「トレーナーという仕事に必要なのはまずリーダーシップ。これは当たり前のことですが、
それ以前に、どうこの合宿を切り盛りしていくか、全体の構築力や意図が備わっていないと人は適切には動かないと実感しました。
“動いてください!”と言って動かすのは簡単でしょう。しかし、それでは何の意味もない。大切なのは、周りに“ああ、こういうふうに動かなきゃならないんだ”と自ら気付いてもらえるよう、時間配分も含め、その雰囲気をデザインするということなんです。
その中には、自分は相手とどれくらい距離を置けばいいのか、とか、前に出て2歩下がることの大切さとか・・・、そういうものも含まれる。そう・・・、下がるのは2歩ですよ。1歩じゃ不十分なんです。それから・・・、忘れてはいけないのは、感情に流されず、今、自分が置かれている“立場”を優先することだと思います」
サムライは合宿を引っ張っていくリーダーという立場にある。
サムライは、その難しさを自分なりによく理解しているようだった。
しかし、それがなかなか実践となると描いたとおりに事は進まない。
当たり前だ。そんな簡単なものではない。我々が向き合っている相手は“物”ではなく、感情ある人間なのだ。しかも、その感情はひとつではない。
だから、ここは恰好の社員研修の場となるのだ。
子どもが変わる!しかし、変わるのは子どもだけではない。
にーやんをはじめ、他のスタッフたちも、この合宿で顔が変わった。
それを、モンブランの契約承認問題がどうなったかも含め、次回に続いてお話したい。