2011.05.02        

53話: 能登島キッズランド 
        
合格達成セミナー(9)

合宿参加塾生29名全員で、挑んだ「日本国憲法前文」の暗誦。

その「暗誦」が「暗礁」に乗り上げてしまった。

この課題(日本国憲法前文の暗誦を発表する)は、今年初めての課題ではなく、以前この合宿で何度も取り上げたものだった。

にもかかわらず、今年はこの最重要課題を完了することなく合宿最終日を迎えることになったのだ。

合格達成セミナー合宿が始まって20年。まさにはじめての出来事である。

退村式を終えた我々を乗せたバスは、予定通り午前11時に帰路の途についた。

時間の融通はきかない。

トレーナーのサムライはスタッフと相談して帰路途中の昼食時のドライブインで、再度、日本国憲法の暗誦発表を子どもたちにさせようと提案した。

そのことを子どもたちに伝えると、子どもたちもバスの中で繰り返し自分の持分の一節をブツブツと唱え始めた。

子どもたちはそれほど焦る様子もなく、比較的落ち着いても見えた。

そして午後12時20分。予定より早く、バスは昼食場となる七福神センターに到着した。

サムライの判断で、発表は昼食前に開始することにした。

客は我々だけではないため、レストランで事情を説明し、前もって許可も得た。

レストランの入り口横に29名の塾生たちが一列に並んだ。

子どもたちの後ろで、日本国憲法全前文が書かれた紙が広げられ、子どもたちが発表を始めると、アシスタントのラブが、その文字を一語一句なぞって間違いがないかを確認した。

調子は上々だった。

ところが・・・、途中でスカイ(キャンプネーム)が自分の担当する一節を言えなくなってしまった。

「はい!ダメ!」

瞬時に私は中断した。

子どもたちの表情は動かない。苦虫をつぶすでも、がっかりする様子も伺えない。

無表情だ。

それはそうだろう。

今まで入れ替わり立ち代わり誰かが散々失敗してきたのだ。

今更、失敗した人間を責める気持ちなど誰一人持っていない。

失敗は29人全員の失敗であり、成功は29人全員の成功に繋がるということが理屈ではなく経験として子どもたちの中にインプットされているはずだった。

発表の後、いつになく重苦しい雰囲気で昼食が始まった。

私はスカイを見た。

別段、気にする様子もなく、食欲旺盛だ。笑顔すらのぞかせている。

が、見方を変えれば、自分が失敗した惨めさと罪悪感を隠す演技のようにも思えた。

サムライは、再びスタッフと相談して、次の休憩の場、尼御前で機会を設けることに決めた。

その間にも子どもたちは、バスの中で暗誦を何度も繰り返した。

 ミスをするものはひとりもなし。完璧である。全員はっきりとした大きな声で途切れることなくスラスラと暗誦できている。

次こそは成功すると子どもたちもスタッフも信じていた。

しかし私は次も失敗するだろうと思っていた。

何度も言うが、大切なのは「暗記」という課題ではない。

大切なのは「何事にも負けない自分」を創ることにある。

つまり、「プレッシャーに負けない自分」「恥ずかしがらない自分」「課題を制覇できる自分」そして何より「なりたいと思っていた自分」に一歩でも近づいたという事実を自身の力で創り上げるということなのだ。

こうなるとバスの中と発表の場とでは大きく異なる。

私は、そのことも子どもたちに学んで欲しいと思っていた。

どんなに普段は勉強ができても入試で緊張のあまり頭が真っ白になってしまったらどうするのか?どんなに素晴らしい人柄でも、入社試験で何も言えず固まってしまったらどうするのか?この合宿ではチャンスは幾度となくあったが、受験や入社試験のチャンスは二度はない。そのチャンスを最大限生かせる「本番に強い人間」になることも「才能のひとつ」なのだ。

そして、この才能は自身の力で試練を重ねることで創ることができ、その試練のひとつが今回の発表となる。

バスは次の休憩場所、尼御前に予定通り午後2時に到着した。

サムライはひと目がない場所を選んで、子どもたちを再び横一列に並ばせた。

ラブが、その後ろで前文の紙を広げ、子どもたちの暗誦と同時にその文字をなぞった。

順調だ。スカイも今度は詰まることなく自分の一節をクリアした。

ところが、今まで一度も詰まったことのない青龍が行き詰ってしまった。

青龍は合宿初日、到着するや否や泣いて家に帰りたいと言った塾生だ。

その後は驚くほどの順応性をあらわにし、誰よりもこの合宿の成果をモノにしたかに見えた。彼の中に何がおこったのか・・・。

青龍を見ると、自分で自分が信じられないのか、ポカンとした顔を一瞬見せたかと思うと、目に涙をいっぱい溜めて口元を歪めた。

「はい!終わり!今度もダメ」

私は大きな声で暗誦を打ち切ると、子どもたちを解散させた。

こういうことが起こるのだ。

ひとりはみんなのためにがんばり、みんなはひとりの失敗に泣く―。

そして、みんなのプレッシャーがひとりにかかる。そのプレッシャーこそが発表でしくじる原因をつくる。

子どもたちは終始無言かつ、無表情のままバスに戻った。

その後、バスの中で再び暗誦を続ける子どもたちに、サムライが言った。

「これから何もせずに、しばらく寝なさい!疲れているとできるもんもできなくなる。わかったね。ボクが起こすまで君らは寝る!」

サムライの合図とともにバスの中が静まり返り、数分後には子どもたちが寝息を立て始めた。

サムライはじめ、スタッフたちも想定外の展開にクタクタだ。

スタッフもすぐに眠りに落ちた。

最後の休憩場所に到着する20分ほど前、サムライの合図で子どもたちが目を覚ました。

 ここは二時間ばかりみんなぐっすり寝ていたわけだ。

頭をフレッシュすればきっと今度こそ成功する。スタッフたちはそう考えていた。

しかし、ここでも暗誦は大失敗。

やり場のない現状に、さすがのスタッフたちも頭を抱え込み、表情を曇らせてしまった。

こうなると子どもたちの課題はすでに前文の暗誦などではない。

全員がとっくに暗記していることは誰の目にも明らかだ。

残された課題はたったひとつ。「プレッシャーに弱い己に打ち勝つ」ことなのである。

 いよいよ後がなくなった。

この後、バスは京都駅八条口の解散場所へ向けてひたすら走るだけだ。

解散場所には保護者も子どもたちの無事の帰りを今か、今かと待っているに違いない。

サムライは、子どもたちの京都駅での最後のチャレンジを決めたようだ。

これは面白い展開になったと私は思った。

解散の場となる京都では、今までのプレッシャーに加え、新たなプレッシャーがふたつ加わる。

ひとつは、自分たちの親の前で発表するということ、もうひとつは本当のラストチャンスになるということだ。

「ええか!君たちはもうすぐ京都駅に着く。そこで、解散や。でも、その前にまだ終ってないことがある。最後のチャンスやぞ!きっとお父さん、お母さんも迎えにきてはるはずや。君らが合宿でこんなにがんばったこと、大きく変わったこと、見てもらえるええチャンスや!」

サムライが言った。

もはや、子どもたちの中には泣き出すものも、下を向くもののいない。

やらなければ、自分たちは負けてしまうのだ。

誰に負けるのか。それは自分自身に負けるということを意味しているのである。

こうして、バスはお盆で人々がごった返す京都駅の八条口に到着した。

午後5時を少し過ぎた夕暮れ時だった。
 
* 続きは次回です。


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