2012,01,30     

60話:SEIKI交流隊×石巻フレンドシップ2011 その1

新しい年、2012年を迎えるにあたり、みなさんがまず願っているのは、何気ない日常の平和ではないだろうか。

以前はそれほど考えたこともなかった「人との絆」について、深く考えた方も多いだろう。

人々が、今まで以上に「平和」と「絆」を重んじる背景にあるのが、昨年の2011年3月11日に発生した「東日本大震災」という未曾有の大災害だ。

この災害を受けて、弊社でも、民間教育機関としての使命と責任を自覚し、被災された子どもたちの未来を物心両面において長期的に支援させていただいていることは、以前第56話の冒頭でもお話させていただいた。

例えば、物心の「モノ」でいえば、震災直後の飲料水や子どもマスク、携帯用カイロを緊急支援物資として発送させていただいたのがそれに当たる。

では、物心の「ココロ」の支援はどうか―。

弊社では成基の各教室に通う子どもたちに対し、授業を通じて、この大震災が決して他人事ではない、身近に迫る問題なのだと理解を深める機会をつくっている。

そして、それぞれの活動に尽力するうちに「ヒューマン・ドリーム・サポート・カンパニー」である私たちにしかできない支援があるのではないかという思いが生まれ、そこから「「SEIKI交流隊×石巻フレンドシップ2011」が始動した。

これは公募によって、選出された子どもたちが東北地方を訪問し、現状を体感して学ぶというプロジェクトである。

このプロジェクトの目的のひとつは子ども自身が被災地を訪問し、現地の空気を「体感」することで、その思いを言葉に代え、同世代の仲間に伝えることにある。

ある新聞にこんな記事があった。

東京で働く一人の若者は被災地出身だった。その若者が震災で故郷が大災害を受けたことを知り、友人に電話をかけて「何か必要なものがあったら、できることは何でもするから遠慮なく言ってくれ」と支援を申し出た。

すると友人から返ってきた答えは、若者が想像もしていない言葉だった。

「何もいらないから、どうかこの出来事を忘れないで欲しい・・・」

あの震災から一年近くが経ち、今、多くの被災者の方々が口にする願いである。

自分たちにどんな支援ができるのか。多くの人が震災後考え、様々なボランティア活動に参加したことだろう。また、何をしていいのかわからず、悶々とテレビのニュースを見ていた人もいるだろう。

しかし、私たちがどこにいても、誰にでもできる支援がある。

それは、あの出来事を間違った興味ではなく、正しい意識のもとで、状況を正確に把握し、記憶に刻み、語り継いでいくということなのだ。

「SEIKI交流隊×石巻フレンドシップ2011」では、子どもたちを被災地に派遣し、被災地の子どもたちとの交流によって、子どもたちが体験したことをまるごと同世代の仲間に伝えることができるプロジェクトなのである。

プロジェクトの狙いはまだある。

被災地での体感が、子どもたちの様々な視野を広げ、次代を担う存在として、自分が何をすべきなのか、何のために生きるべきなのか、生涯の使命を見つける新たなきっかけとなってくれればと考えている。これは将来に向けての大きな糧になるはずだ。

大地震と津波が引き起こした爪痕は、今も被災した方々の心の中に生々しい姿として残っている。復興と一言で言うが、復興とは、ガレキが撤去され、町並みが元通りに戻ればそれでいいわけではない。

本当の復興とは、被災地の人々が家族や大切な人を失った悲しみにきちんと向き合い(グリーフ・ケア)、安定した仕事を取り戻し、温かい家の中で笑顔で安心した暮らしを取り戻すということなのだ。

震災から一年近くが過ぎ「モノの支援」も然ることながら、今後時間が経つにつれ、最も必要されるのが、「ココロの支援=寄り添う・忘れない・語り継ぐ」の部分なのである。

SEIKI交流隊の子どもたちは厳正な審査のもと選ばれた隊員だ。被災地に出向き、様々な体感をすることで、被災地の人々の想いにきっと強く寄り添うことができるだろう。

 そして、その体感は、忘れることなく記憶に留まり、これから先、多くの人に語り継がれるに違いない。

交流隊の結成に当たっては、成基コミュニティグループの各教室に通塾する塾生の中から参加を募った。隊員は塾の代表として様々な活動や報告をしてもらうため、2011年6月6日〜18日の間に「成基交流隊に応募しようと思った理由」をテーマに作文を書いて応募してもらい、隊員選考に当たっては次の三点を重視した。

1. 震災から感じ取ったこと・自分が思ったことをしっかりと表現できている
2. 被災地の子どもたちにどんな形で役に立ちたいか、具体的に書けている
3. 交流隊での体験を、未来のためにどう活かしたいかが具体的に書けている

結果、応募総数94名の中から一次審査・二時審査を経て、最終的に隊員として選出されたのが小学4年生から高校3年生までの計17名である。

東日本大震災で被災された方々に何かできるか。自ら考え、自ら気づき、行動する。それを具現化したのが、このSEIKI交流隊である。

こうして選ばれた成基代表の子どもたちが、成基交流隊として2011年8月に宮城県に出発することになった。

 
交流隊が宮城県に滞在するのは三日間。

 活動一日目は、津波の被害が大きく、まだ被災の爪痕が残っている石巻市の視察に訪れた。

その時の様子を隊員の高校生はこう語っている。

「駅から被災地に行くバスの中は、まるで遠足気分のにぎやかな雰囲気でしたが、被災地に近づくにつれて、倒壊した建物が見えてくると、バスの中の雰囲気が一変しました。

被災現場に着きバスを降りると、今までにないザリガニが腐ったような匂いが鼻をつき、まとわりつくような重い空気を感じました。目の前に広がっているのはガレキの山。海が見えないほど高く積み上がっています。その光景に、私たちはただ無力感を感じ、この中で私たちに一体、何ができるのだろうと思いました」

この時、この隊員は被災者に寄り添うことが、いかに大きな課題であるかに気づいたに違いない。

別の隊員はこうも言っている。

 「死を実感しました。もし、自分の親や兄弟姉妹が津波の被害にあって、自分だけが生き残ったら・・・、どうなるのでしょうか。大切な家族が一瞬の津波で亡くなってしまうと言う事実を知り、何も言葉にすることができませんでした」

この隊員の場合はどうか。「死」という別の角度から「生きる」ことに向き合ったのではないだろうか。生き残ったものの立場に寄り添い、生きている立場の人間として生き残った被災者の苦しみをシェアしようとしている様子が伺える。

このように事実をテレビの画面ではなく「体感」として知るということはとても大切なことだと私は思う。

彼らが一日目の石巻で見た「光景」や、感じた「匂い」、そして「無力感」は、ニュースでは感じることができないからだ。

被災地の苦しみ、悲しみを現地の空気の中に我が身を置き、全身で感じることで、初めて「東日本大震災」を他人事ではなく、自分のこととして捉えることができるのである。

時間の経過と共に、メディアからは「東日本大震災」の話題が少なくなりつつある。

その中で、被災地の人々が本当に求めているのは、形ばかりの復興ではなく、すべての国民が、この出来事に我が身のこととして真剣に向き合い、考え、忘れないでほしいという思いなのではないか―。

みなが忘れなければ「モノ」は集まる。みなが忘れなければ仕事も戻る。道路も戻り、ガレキもなくなる。みなの関心が薄れなければ、復興は自然と進むはずだ。

復興は「モノ」がその役割を果たすのではなく、人の心が「モノ」を動かし、復興に導くのである。
  
私たちは、この日を、この事実を忘れない。

忘れないためには、語り続けること、語り継ぐことが大切だ。

そうすれば、見えてくる。次なる支援。次なる使命。それがいつか、将来を担う存在としての生き方に、使命に広がっていくことだろう。

この震災で私たちは多くのことに気づかなければならない。幸せとは何かを考えなければならない。

災害に寄り添うことからの「気づき」「学び」「発見」こそ、真の復興への第一歩であり、亡くなられた多くの方々への鎮魂に繋がるのではないかと私は考えている。

そして次回からこのSEIKI交流隊のレポートを詳しく報告させていただく機会を踏まえ、どうか、みなさまには、未だ多くの方々が苦難と共に過ごされているという事実を忘れず見守っていただければ幸いである。

 

◆次回引き続き、被災地でのSEIKI交流隊のお話です。


志あるリー ダーのための「寺子屋」塾トップページへ