2012,04.16        

62話:SEIKI交流隊×石巻フレンドシップ2011 その3

今回も引き続き、成基の子どもたちを被災地に派遣し、被災地の子どもたちと交流を図るフレンドシップ2011のプログラムについてお話ししたい。

2011年8月9日午後三時半。石巻市の視察を終えた交流隊17名は、石巻市を出発し、現地の子どもたちとの交流の場となる仙台市に向かった。

交流隊の子どもたちは、現地の子どもたちを迎え入れる準備や心構えを、京都を出発する以前から色々考え、話し合っていた。

東北地方のみなさんに少しでも元気になってもらいたい―。

その結果、成基に通うみんなからメッセージをもらい、そのメッセージをうちわに貼って、東北地方の方に届けようということに決まった。

なぜうちわなのか。それはこのプログラムが夏に行われるということだ。

被災地の人たちは、クーラーのない場所で過ごしているかもしれない。うちわなら邪魔にはならないし手元に置いてもらえる。そのうちわにメッセージを貼って贈ったら、彼らの最も身近な場所で励まし続けられると考えたのだ。

こうして、成基に通う子どもたちのメッセージを受け取った交流隊の子どもたちは、石巻市を出て、仙台市の旅館に着いた夜、一枚一枚に成基の子どもの思いがこもったメッセージを貼っていった。

そして、その夜、心を込めて貼ったうちわは、後に石巻市で行われるお祭り会場で配られることに決定したのである。

翌8月10日朝、交流隊の子どもたちは、石巻市の仲間11名を迎えるための準備に取り掛かった。部屋の飾り付けや横断幕作成を終え、石巻の子どもたちのバスが到着すると、大きな拍手で彼らを迎えた。

知らないもの同士がこれからここで三日間を共に過ごす。

限られた時間の中で、信頼関係を築きあげるのにはどうしたらいいのか、交流隊の子どもたちは考えた末、コミュニケーションを深めるため、以下の交流ワークを行うことにした。
 
1. 自己紹介・他己紹介

 知らない相手を知ることから始めようと、自分ではなく他人を紹介するというゲーム。

 ニックネームをつけることから始まり、趣味等を聞きあって相手のことを積極的に知ることで、話すきっかけを作る。

2. 創作童話劇

 決められた童話を自分たちでアレンジしてみんなの前で発表する。

 ひとつの劇を仲間とつくりあげることで一体感と親近感が生まれる。

3.26人27脚

 成功のキーワードはひとつ「意気投合」。

 限られた時間で「信頼関係」を築きあげるのに効果的。

また子どもたちは、交流ワークを終えると、滞在中に自分たちが考える日本の未来をみんなで話し合い、発表する「夢航海図」の作成に取り掛かった。

チームは小学生チーム、中学生チーム、高校生チームそれぞれの年代ごとに三つに分かれて発表する。交流隊の子どもたちは被災地を見て、また被災地の子どもたちは体験者として、様々な思いを抱き、未来の構図を描いた。

交流が始まって二日目、午前中に泉ヶ岳散策を終えてチャレンジ精神と、互いのコミュニケーションを深めた子どもたちは、昨夜から取り掛かっていた「夢航海図」について発表することになった。

テーマは「私たちが考える2050年の日本」。

「人」「環境」「技術」「文化」これら4つのカテゴリーについて、2050年に子どもたちが理想とする日本とは何かを考えた。

最も面白かったのは、小学生チームの発表。

人 :広くきれいな心を持った人たちがたくさんいる。
    周りの人がみんなで助け合っている。
 環境:都会にもたくさん自然がある。
    生き物と自然が共存できている。

技術:生き物にやさしい生産技術を発達させる。
    医療技術を発達させる

文化:方言を含んだ日本語がなくなっていない
    感謝を表す文化が続いている

非常に興味深いのは、「感謝を表す文化が続いている」と、取り上げたことだ。

これは、大震災の被災者である子ども、そしてそれに寄り添おうとした交流隊の子どもたちだからこそ、出た気持ちであると私は考えている。

人はどんな時に感謝を表すだろうか。一般的に思いつくのは、自らが誰かの支えを必要としている時、その支えに対して生まれる感情が「感謝」だ。

例えば、子どもが親に「育ててくれてありがとう」などがそれに当たる。

これだけを見れば、感謝は社会的弱者が、支えてくれた者に対してだけ抱く感情のように思える。

しかし本当の感謝とは、誰かが自分を必要としてくれることに対する「礼」の気持ちではないだろうか。

上記の例を再び取り上げて言うならば、親が子どもに「生まれてきてくれてありがとう。私にあなたを育てさせてくれてありがとう」と言うことだ。

感謝の気持ちが生まれた時、人は自然と「ありがとう」という言葉が出る。

その「ありがとう」は「何かをしてくれた者」に対するだけではく、「何かをさせくれた者」に対して感じる言葉でもあるのだ。そして「何かをさせてくれた者」に対する感謝の念を感じた時、人は大きく成長する。

小学生チームが描いた「感謝を表す文化」というのは「感謝を表してくれた人への感謝の継続」が生きていく上で大切だ、という意味なのである。

そして、この感謝の言葉が人の生き方にいかに大きな影響を与えるかも、今回の交流会で子どもたちははっきりと知ることとなる。

それは、交流会に参加した被災地の高校生(ニックネーム:のりくん)が語ってくれた自らの被災体験の話だった。

のりくんの家は当時、高台にあり津波の被害を受けずに済んだ。しかし、ライフラインはすべて止まり、地震で生活が一変した。水は自転車で片道15キロ先の浄水場に取りに行かなくてはならない。食糧調達のためにはスーパーで5,6時間並ばなければ食べ物も手に入らなかった。当り前の日常がいかに幸せな暮らしであったのかをのりくんはこの時、気づいたと言う。

そんな中、のりくんは避難所でボランティアを募集していることを知り、それをきっかけに、ガレキ撤去などの作業に日々出向くようになった。

そして、ある日、一生忘れることができない体験をしたという。

「私が大川地区の担当になった時でした。子どもたちの約8割が死者または行方不明者になっていた石巻市立大川小学校から一キロほど離れた場所が、その日の作業現場でした。

そこで私が、いつもどおり畳を上げると・・・、女の子がそこにいました。

身体は泥だらけで、汚れた服に名札がついていてすぐにその子が大川小学校の児童であることがわかりました。ボランティアみんなでブルーシートに女の子を包み、トラックに乗せました。

その子の両親も現場に来て、私の手を取り、”ありがとう” ”ありがとう”と涙を流しながら何度も言ってくれたこと・・・この言葉を私は決して忘れません。

私は大震災で多くのものを失いました。しかし、そんな中だからこそ、大きく成長することができたのです」

この時、のりくんは、亡くなった女の子の両親から「ありがとう」と感謝されたことに、感謝したのではないだろうか。「少女の両親のありがとう」の言葉で両親と同じくらい救われたのは、のりくん自身ではなかっただろうか。

「ありがとう」の言葉はどんな言葉より人を癒し、人を救う。

大震災直後の被災地ならなおさらその言葉が魂に染み入るはずだ。

この感謝に対する感謝は、他に寄り添える自分を創り、自らを大きく成長させる。

「感謝を表す文化の継続」とはそういった意味が含まれているのではないかと私は思っている。

小学生チームがそこまで考えていたかどうかは定かではないが、大震災をきっかけとした交流会の中で、彼らが魂で感じ取った思いが、このような言葉を「夢航海図」に描かせたのだろう。

子どもの感性はつくづくすごいと思う。

だからこそ、こういった交流を経験することが子どもたちには必要だ。

机の上では決して学べない、体験学習である。

のりくんをはじめ、被災地の子どもたち、交流隊の子どもたち一人ひとりが、これらの経験から自らの内面を探究し、それぞれの使命を見出し、新しい日本をつくっていくのだろう。

そして、何より、この苦しかった苦い経験を、明るい未来の糧にすることが、亡くなった多くの方々への鎮魂に繋がるのである。

◆ 次回も引き続き被災地SEIKI交流隊のお話です。


 


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