第64話:絆 −従業員研修旅行・被災地へ− その1.2012.08.20
前回までは4回に渡り、成基の子どもたちが被災地である宮城県に訪れ、現地の子どもたちとの交流を図る「SEIKI交流隊×石巻フレンドシップ2011」についてお話させていただいた。
交流隊が被災地に訪問して10ヶ月―。
今度は成基コミュニティの全社員が研修旅行として2012年6月5日に同じ地を踏むことになった。
私にとっては子どもたちとの訪問以来、3度目の被災地となる。
まず始めにこの研修旅行の経緯を少しばかりお話しよう。
一言で言うと被災地への社員研修旅行は成基コミュニティ50周年ハワイ旅行の代替旅行である。
今年は成基コミュニティ50周年の年。
その記念として社員全員でハワイ旅行に行くことが今から12年前の2000年の年に発表され、予定通り旅行資金も準備できていた。
しかし、昨年3月11日に東日本大震災が発生。
その時、私の頭に浮かび上がったのは2007年3月に起きた能登半島地震のことだった。
成基コミュニティは能登島に自然体験施設「能登島キッズランド」を所有しており、能登島は、今までに3万人弱の生徒たちが夏を過ごして来た、親しみある場所でもあった。
その土地が被災したと知り、当時は弊社でも出来得る限りの様々な支援を行った。
少しでも復興の力になればと、弊社45周年を記念して予定していた韓国旅行を急遽被災地訪問に変更したという経緯もあった。
能登島のために何か少しでも力になれれば、という思いからだった。
そして50周年を翌年に迎えた昨年、今度は東北が未曾有の大災害に見舞われた。
救援物資寄付、義援金寄付、昨年の交流隊派遣など能登半島地震同様、様々な面で支援をさせていただいたが・・・予定されている我々のハワイ旅行はどうするのか・・・。
社員たちは予定通り「祝50周年を掲げてハワイ」へ行く気になっているのだろうか−。
旅行に行くのは今まで会社を支えてくれた成基コミュニティ300名の全社員だ。
私は、社員たちの率直な思いを聞くため「50周年旅行アンケート」を全社員を対象に取ることにした。
アンケート項目は以下のとおり
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結果は、被災地東北に行くが41%、旅行を取り止めにして被災地に義援金として寄付をするが34%、ボーナス・オンが17%、利益計上が4%、ハワイ決行が3%。
被災地のために予定していた旅費を使いたいと答えた社員は75%に上った。
期待していた通りの結果だったが、例え3%とはいえ「ハワイ旅行決行」と答えた社員がいたことに私はかなりがっかりした。
しかし、こうした社員たちの意識を改革、覚醒させるためにも被災地への研修旅行は大いに意義がある。
彼らには再度、成基コミュニティグループのグランドミッションを被災地で租借してもらえわなければならないだろう。
我々のグランドミッションとは−
地球・国家・地域レベルの様々な課題に対して「人づくり」という観点から問題解決を図ること
社員には自分の言葉で、子どもを含む周囲の人たちに話ができ、気づきを与える人財になって欲しい。そのためには自らが課題(この場合は被災地)に飛び込み、リアルに体験すること、感じること、学ぶことが必要不可欠なのである。
幸い76%(私としては100%一致であって欲しかった)の社員から支持を得て、ハワイ旅行は被災地研修旅行へと大義名分を立て変更となった。
「当たり前じゃ!」というのが私の正直な気持ちだった。
研修旅行は6月5日から7日までの3日間、被災地の福島県と宮城県を訪問する。
京都から2便に分かれ新幹線で東京へ、また東京から被災地まではバス8台を貸し切って現地に向かうことになった。
私のバスに同乗していた社員は本部チームの社員でいわば、他の社員を引っ張っていく先導的立場の人間だった。
東京から被災地までの道のりの4時間、私はバスの中でこれらの社員にいくつかの質問を試みた。
「今回は、楽しいハワイ旅行を止めて、被災地での研修旅行に変ったわけです。また、それらを希望したのはアンケートの結果でもわかるようにみなさんです。そこまでしてこれから向かおうとしている被災地で、みなさんはどんな目的を持ち、どんな結果をこの旅行で残したいのか、順番に話してください」
マイクが順番に回され、社員たちがそれぞれの考えを述べ始めた。
話を聞いていると、言い方は違うがみな一様に「何のために来たのか、被災地を見てから探す」という意見が多くあった。
一言で表現すると「研修で連れてこられた」という気持ちがありありと伺える。
被災地の惨状を目の当たりにするのは、ハワイのビーチを走ることとは全く訳が違う。
しかし、私たちは次世代を担う子どもを預かり育てる立場にある。
自分たちがまずその身を持って誰かの痛みに寄り添い、誰かのために行動を起こし、誰かの笑顔に喜びを感じ、その体験を「記憶」ではなく「魂」で持ち帰り、子どもたちに伝えることは我々に課せられたひとつの使命とも言えるだろう。
この使命をスキップしてグランドミッションである「地球レベルの課題の問題解決を図る」などありえない。
確かに我々が、被災地でボランティアを少しばかりしたところでたかが知れている。何も変ることなどないかもしれない。しかし「やった」ということと「やらなかった」ということはまるで違う。何が違うのか−。それは我々の心が大きく違うということなのである。
私はそのことをみなに理解してもらうため、バスの中である話をすることにした。
それは私がまだ30代の頃の話である。
アフリカのソマリアの難民活動のボランティアに参加した私は、仲間と食糧支援物資を難民キャンプに届けることになった。砂漠の中を4台のトラックを連ねてひた走ること7時間。
私たちは無事、難民キャンプまで到着することができた。
私たちの運んだ物資は5万人が2ヶ月は食いつなげるだけの量だった。
無事仕事を終えたという達成感は確かにあった。
しかしガリガリに痩せた難民たちを見て、私の中で一抹のむなしさが込み上げてきた。
「これが一体、何になるのか」という思いだった。
確かに彼らは我々が運んだ食料のおかげでこの2ヶ月間、食べるものに困ることはないだろう。しかし2ヶ月先はまた元通り飢えに苦しむことになる。そしてまた支援を受け、また食料が底を尽き飢える。この繰り返しではないか。
ただ食べ物を供給するだけの支援の在り方に私は大きな空虚感を覚えた。
こんなボランティアが彼らの何になるのか−。
彼らのやせ細った手が、灼熱の太陽の下で光る黒い肌が・・・、まるで絵画の中にいる孤高の人のように私の目に写った。
隣では、腹が満たされた少年が砂漠の砂の上に文字を書いていた。
誰から教わったものなのだろう。虚しさを紛らわすために私はその文字を目で追った。何を書いているのかと聞くと、その文字は「Teacher」と書かれていた。
将来、学校の先生になることが、少年の夢だったのだ。
絶対的な貧困の中で将来の夢を描く少年の純粋さが、唯一私の虚しさを埋めてくれた。
夢を持つことはどこにいても、誰にでもできる。
そして、今日食料にありつけたことが少年にとっては夢への第一歩に繋がるのである。
命あること、生きていること、が夢を叶える必要最低条件だからだ。
「ボクは、そのボランティアで言いようのない慢性化した貧困への怒りと、一時しのぎでしかない支援というものに大いに疑問を持ちました。こんなのやったって何も変らへん!って・・・。でも、少年の砂の上の文字を見て、何もやらんより、何かひとつでもいいからやった方がいいんやってことに気づきました。その何かひとつをやることが大事なんやって・・・」
バスの中の社員たちは黙って私の話を聞いていた。
「要は、やらんよりやることが大切ってことや。見ないより見ることが大切ってことや!以上!」
今回の研修旅行には石巻市でのガレキ拾いがプログラムに含まれている。
我々300人で数時間働いたところで、たかが知れているだろう。
結果だけを考えれば「これが一体何になるのか」というあのソマリア体験と同じことになるかもしれない。
そんな時、私はいつも思う。
誰かのために、精一杯やれることをやることが大切なのだ。
そして、誰かのためやることは、自分のためにやることなのである。
◆次回も引き続き、研修旅行のお話です。