第66話:絆 −従業員研修旅行・被災地へ− その3.2012.09.17
6月6日、研修旅行のボランティアプログラム「ガレキ拾い」を終え、午後5時半に我々はホテル観洋に到着した。
このプログラムを組んでくださった「石巻市北上町十三浜長塩谷の地を花畑にする活動」を担当する佐々木力さんはバスに乗る前、私のところに来てこう言ってくださった。
「今日は、ありがとうございました。実はこんなにも成基のみなさんが一所懸命ボランティアに精を出してくださるとは思っていなかったのです。個人の熱意あるボランティアさんなら別ですが、研修旅行のプログラムでボランティアなどに参加すると、半ばやらされているという人がほとんどです。ところが成基のみなさんは、それはもう一心不乱というか・・・。休憩もそこそこにここまで熱心にしてくださるとは・・・正直、いい意味で驚いています。私もみなさんの一所懸命さに救われました。今日は本当に、本当に来て頂きありがとうございました」
相手が求めている支援にしっかり応えることができたという喜びが私の胸を熱くした。
社員たちの顔も明らかに行きのバスの中とは違っていた。その気持ちが当日の宿泊先ホテル観洋の女将にも伝わったのだろう。
ホテル到着時の社員たちの挨拶は、51年間の創業以来一番気持ちのいいものだったと、女将が後に語ってくれた。
その夜は、弊社からあるご夫妻への感謝状贈呈式が行われた。
ご夫妻との出会いは「第55回 世界報道写真コンテスト」の一枚の写真。
その写真には満面の笑顔でガレキの中に立つひとりの婦人が写っている。
手にもっているのは娘の高校の卒業証書だ。
婦人の名前は宮城県石巻市に住む松川千恵子さん。東日本大震災で自宅を津波で流されすべてを失った被災者の一人である。
震災後、松川さんが10日ぶりに再会した家族はそれぞれが避難してみな無事だった。
そして、その後、再会を喜ぶ彼らのもとにささやかな朗報がもたらされた。
松岡さん宅の特徴を覚えていた隣人から「松岡さんの家に似たような、それらしきものがあそこにあるよ」と教えてくれたのだ。
あそこにあると聞かされた場所は、もと自宅のあった場所より3キロも離れた場所だった。「まさか」という思いの中、それでも何か思い出の品物が見つかればと現地に向かった松川さんの目に飛び込んできたのは、果てしなく広がるガレキの山だった。
進んでいくと見覚えのある自宅の一部が目に入った。
それを目印にガレキの中を夢中になって歩いた。
近くまでたどり着くと、今度はその周辺を丁寧に見回した。
突然、赤い筒が松川さんの目に留まった。
拾い上げて中を開けてみると高校の卒業証書だった。
間違いなく娘の名前が書かれている。
「あった!あったよ!」ガレキの上で卒業証書を広げ、松川さんは満面の笑みで叫んだ。
その一瞬をAFPの千葉康由氏のシャッターが捕らえた。
それが「第55回 世界報道写真コンテスト・ニュースの中の人々」部門で一位に選ばれた写真だったのである。
その写真を見た私は、教育が担うはかりしれない重さを再認識させられた。
そして、ご本人の許可を得て、この写真を弊社の新聞広告に使わせていただくことにしたのである。
広告掲載については、弊社で独自に松川さんご夫妻にお話を聞かせていただいた。
松川さんは実に快く弊社の取材を受けてくださり、コンテストに選ばれた写真に関して次のように語ってくださった。
「あの写真がマスコミで取り上げられてから、家が流され、ガレキの中で、どうしてそんな明るい顔ができるのですか?と聞かれることもあります。どうしてなのか私もわかりません。ただ卒業とは子どもたちの成長の舞台であった学校生活の締めくくりであると同時に次の段階へ進もうとする門出でもあります。夢を実現するために勉強し、進学することが必要なら、それを応援したい、という気持ちもありました」
弊社は、松川さんから聞いたお話をそのまま大きな写真とともに広告紙面に掲載した。
この紙面から「卒業」という何物にも変えがたい宝物について、一人でも多く方に考えてもらえるきっかけになればとの願いだった。
私たち成基コミュニティの使命は「みんなの幸せのためにがんばれる人を育てること」。そんな気持ちを込めて、卒業シーズンの3月に広告をこの世に出した。
その広告掲載にご協力くださった松川さんご夫妻のご好意に心から感謝し、社員全員からのお礼の気持ちを込めて、この度訪れた被災地研修旅行で、弊社から記念品と感謝状を贈呈することにしたのである。
6月6日午後7時半。贈呈式がホテル観洋で行われることになった。
社員350名の大喝采の中、松川さんご夫妻が壇上に上り、その時の思いを千恵子夫人が語った。
「最初、賞状の入った赤い筒を見つけたときはまさか、そんなことがあるわけがない・・・と思っていました。でも開けてみると娘の名前が書いてあったんです。大喜びで、あった!と叫んだら、近くにいたカメラマンの人に、すみません!そのままこちらを向いてください!と言われ、そのままシャッターが切られたんです。とにかく嬉しくて・・・。
大変なこともたくさんありましたが、皆さんに支えられ、生きてくることができました。
本当にありがとうございます」
再び大きな拍手にご夫妻が包まれた後、私は壇上に上がり感謝状を読み上げた。
「貴殿は、東日本大震災という悲惨なご経験の中に於いて、教育が未来に向かう強い生きる力となり得ることを私たちに教えてくださいました。
そして、教育に携わる私たちを始め、新聞という媒体を通して多くの人に希望を与えてくださいました。ここに深く感謝の意を表します。ありがとうございました!」
私は心から精一杯の感謝の気持ちを込めて感謝状をご夫妻に贈呈した。
教育はどんな時でも必要とされる。
すべてが無くなっても、教育さえあれば、学ぶことさえできれば、人は夢を追っていけるということを、私たちはあの一枚の写真から改めて教えられたのだ。
私は3月に出した広告のことについて、ご夫妻にこうお話した。
「弊社が今年50周年を迎えるので、朝日新聞と京都新聞の一面広告の枠を以前から取っていました。そして、50周年にふさわしい広告を何にするか−。
その後、出てきた広告案は20パターン。うち、ふたつが東日本大震災関係を取り扱った広告だったんです。ひとつは、私たちの塾の子どもが交流隊として昨年被災地に行ったので、その件に絡めた広告。そしてもうひとつが松川さんの写真を取り扱った広告でした。
私はガレキの上で娘の卒業証書を広げる松川さんの笑顔が忘れられなくなりました。
子どもの成長、子どもの生きてきた証である卒業証書が見つかったことは親にとってはこれ以上にない喜びだったでしょう。
松川さんの写真の中の笑顔は、すべての親の心を代弁しているのだと思いました。
あの笑顔は松川さんだけではなく、子どもを持つ親なら誰でも持っている笑顔です。
それを、多くの人たちに伝えることができて、本当に感謝しています。ありがとうございました」
関西では半分以上の人が、東日本大震災を「自分とは関係ないこと」と捉えている。
地元が大災害に見舞われた阪神淡路大震災は17年前の話。すでに風化し、あの時多くの人たちに助けられ、どんな気持ちで生きていこうと決意したかを今も心に留め、感謝している人は、どれほどいるのだろうか。
だからこそ塾のPRは一切排除して、松川さんの子どもを思う気持ち、そして、学ぶことの可能性を、東日本大震災という苦境から伝えたいと思ったのだ。
多くの人があの震災を忘れずにいることを願う。
そして多くの人が、教育こそが、どんな逆境にも負けない最大の価値であると気づいてくれることを願って、私は松川さんご夫妻に大きく頭を下げ、再び感謝の意を表した。
その後、壇上から降りた松川さんご夫妻を包む拍手は更に増し、社員たち自らも、松川さんご夫妻がくれた「気づき」と「希望」をその胸にしっかりと刻み込んでいるように私には思えた。
◆ 次回も引き続き研修旅行のお話です。
成基コミュニティグループの広告に掲載された写真
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