2006/10/09
第4話 熱中時代パート2(モダンデザインを継承する)
西武リアリズム
時代は西武百貨店がリードしていた「生活提案」という視点だと思った。
「生活文化を販売する」ということだと考えた。
私は、椅子の「製造」「販売」「デザイン」「空間」という4つの「バランス」「整合」を求めていた。
マイナーチェンジの発想で「消費者」をあおる。
販売中心では、それで良いという考え方だったのだろうと思った。
しかし、私は「消費者」に椅子を売るのではなく、
「生活者」に椅子を売りたいと考えた。
それ以上に、専門家に椅子を売りたかった。
その為にデザインの重要性を訴えた。
「イキのいいデザイナーが出て来た。」と言われた。
「生意気なデザイナーだ。」とも言われた。
自分が「完全」にならなければと強く思った。
自分が「完全」でないと椅子のデザインが死ぬと思った。ヨーロッパに家具の視察に行った。
その時、自分は帰って来ないような気がした。
見えない日本
モリス・バウハウス・ディスティル・ダニッシュ・カッシーナ・ベルナールパントン・ポールケアホルム・・・様々な椅子がつながった。
デザインと生活、デザインと製造、全てつながった。
しかし、日本がつながらない。
日本に椅子の文化が見えない。
たとえ、建築家と仕事をしても、海外の移行にしかならないのだ。海外文化の消費だ。肉が椅子に変わっただけだ。自分が掴んだものは何なのか?
自分の思いが溢れだした。
違う、「フォルム」が違う。
そこで、水之江先生の仕事が分かった。
原先生のこだわりが見えた。
椅子をデザインしたい。
早く日本に帰って椅子のデザインがしたい。
視察目的の「最新ヨーロッパ家具事情」は、私にとって古き良きものであるのは間違いなかった。
「越える」、この世界の名品を越える。
椅子の試作に入る。はやる気持ちがもの作りのまどろっこしさに怒りをぶつける。早く!早く!早く!
遅れてしまう。早く世に出さないとヨーロッパに負けてしまう。世界に負ける。
水之江先生に椅子を見ていただく。
「センスは一流だね。あとは豊かさだ。豊かさの表現だ。」一瞬、二葉家具の水之江先生の椅子が浮かんだ。
短いコメントだった。舞い上がった。
この後、「豊かさの表現」が自分を苦しめることも知らず舞い上がった。
展示会の言葉
会社の展示会を行う。私の新作を中心とした展示会を行う。初めてだ。(実はこれが最初で最後)
会場に長大作先生(当時、水之江先生と並ぶ家具デザイナー)がお見えになった。
「これからの椅子はこうあるべきだ。新しい力だね。」
この言葉は私にというより、同行された日本最大の椅子メーカーの部長に言われた言葉だった。舞い上がる。
「いい人だ。これがJAPAN DESIGNだ!」
「ヤングライオンが来たね。」
「日本人らしくないデザインだね。」
世界一の椅子を創る
ある時、ブルーノ・マッソン氏の講演会に行く機会を得た。ブルーノ・マッソン氏はスウェーデンの家具デザイナーで、成型合板を使用した美しくすわり心地の良い椅子をデザインしていた。
日本の大手メーカーが、その椅子の国内生産・販売をすることになり、講演会が行われたのだ。
私はメモをとりながら、スケッチを始めていた。
前の席にいた奥様(カリンさん)が振り向き、私のデザインしたタタミずりのフレームのスケッチを見て「主人の線ですね」と言った。
ブルーノ・マッソン氏は、日本向けにタタミずりの脚フレームを用意していたのであった。
なんだかしらないけれど嬉しかった。
本人にいわれた以上に嬉しかった。
手が動き出した。形を描く手が間に合い出した。
製造も販売も背にして手が動き出した。
線が「抜ける」身動きがとれだした。
「形」が見える。「色」見える。「景色」が見える。
水之江先生が亡くなった。
先生が電話で「後ろ脚のアールがね・・・どう思う。」
ピエール・ポーランが電話で「私のサインがしてあるんだ・・・・。」
カリンさんが「主人の線ですよ。」とOKサインをもらったことが重なり合う。
長先生の「これからの椅子は・・・新しい力だ。」
次々と言葉が重なり合う。
JAPAN MODERNの継承を再度決意する。
いい仕事に会おう!
人が動くデザイン。
仕事が完了してもデザインは完了しない。
そこに新たな発見、手がかりを見いだすから。
次のチャンスの為に自問自答の習作、勉強。
新しい形の発見、自身の型となりうるのか?
苦しい、苦しい、やがて楽しい。
自問自答の習作、勉強。
自分が動く、自分を感じる。
見える、見える、形が見える。
見える、見える、色が見える。
聞こえる、聞こえる、音が聞こえる。
動く、動く、自由に動く。
自分が見える、自分を感じる。
美しい世界が見える。
クルクル、カラカラ。
クルクル、カラカラ。
クルクル、カラカラ。