2006/11/20
第7話 百貨店の専属デザイナーとして
専属デザイナー
企画書とデザインがセットになったプレゼンテーションの型が整った。企画書は、クライアントの窓口担当では処理できない内容になった。
「担当を超えて会社として考えてください。」
「プレミアムにもアイディンティティーがあるんです」付き返された。
「オリエンテーションの主旨が理解されてない」仲間からも非難された。
「専属デザイナーってそんなにエライんですか?」
「越権行為」だと、輪が小さくなった。
それでも、T氏は「豊田、それでいい。分かるまでやるぞ。俺たちの勲章だ。信念を持て!何のために今までやってきたんだ」
そして、突然「豊田、アントルプレナーになれ」
「何ですか?それは」
「部署だという意識改革をしなければならない。企業内起業をするんだ」
「起業ですか?また反発されますよ」
「かまわない。外を見るんだ。会社の為に何をしたら良いかを考えるのだ」時代の中にアントルプレーナーの流れが出だした。出版物にも見出しが出るようになった。
流れが変わった。
「面白いですね」
「百貨店でよくこういうデザイナーを使えますね」
「うちのデザイナーが皆、豊田さんみたいなら良かったのに」
仲間もその状況を見て理解しだした。私の仕事は順番待ちになった。部員の数がふえた。会社が動き出し、係りから課になった。
コンピューター時代
販促実績から思わぬ展開になった。
時代はコンピューター関連の急成長で研究所・研修所・保養所が必要となりその依頼がきた。
本来は、インテリア部の仕事だった。しかし、販促実績上の問い合わせだったので、外商部が受けた。インテリアを始め出した。徹夜が続く。外商部の売り上げが上がる。
会社が動いた。インテリアを受ける為の課を増設した。職位職制上インテリア課ではなく、2課制になった。
事件は現場でおきている
商品をセレクトする上で売り場の人達と交流が始まった。建築会社の仕事がきた。
インテリアの専門家が二人ついた。インテリアデザインが始まった。S氏とM氏は私より年上でキャリア十分の人だった。
S氏と酒を飲んだ。ビール小瓶2本半が適量の人だった。その日適量を越えた。機嫌が良かった。
突然、言われた。「あんたみたいな小僧がこんな高いデザイン料を取るのが許せない。僕たちが現場をフォローしている。豊田さんの忙しいのは分かるが現場にこないじゃないか。50万引いて70万だ。」と言われた。
そうだと思った。なぜか、その通りだと思った。
M氏に相談した。「豊田さんのデザイン料は低い位だと思います。でもSさんがそういうなら、そうしたらどうですか。」
S氏に言った。「70万にします。」
S氏はニッコリ笑って「僕は、豊田さんのために全力を尽くす。豊田さんは僕の夢だから」
握手をした。「もう1軒飲みに行きませんか?」と言ったらS氏は背中を向けて、手を振って言った「今日は嬉しいから家のバアさんと飲むよ」
足取りが軽かった。翌日から、S氏は私に厳しくなった。打ち合わせの時に笑顔が消えた。
「豊田さんはどうしたいんだ。キチっと言いなさい。私が責任を持ってしますと。」
大きな仕事
大手ゼネコンから仕事の依頼がきた。設計担当者から「豊田さんを貸して欲しい」
私の記憶では「信念の人」というイメージだった。
「どのような仕事ですか?」
「本社の移転に伴う、建築を依頼されました。4ヶ月で本社とその周りの建物を建てなければなりません。そこで家具のデザインをお願いしたかったのです。」
「ハイ、お受けいたします」
「4ヶ月豊田さんを縛ってしまうので、今回のような依頼の仕方になりました。」
様々な仕事の中でこのようにリアルタイムで建築家と仕事をするのは初めてだった。