2006/08/27
2008.06.30 

第1話 「自分のリスクで入れ」

時間を制する者は、人生を制すると言われてきた。これから語ることは、あなたの人生の時間の使い方を革命的に変えるものだ。それは、スケジュール管理でもないし、物事の優先順位を決めるような現在流布している「時間術」の話でもない。これは、自分の人生を、志を持って、鮮やかに、豊かに生きるための「サムライ時間」を使う実践的な方法である。

 

「サムライ時間とは何か」については、読み進めるうちに明らかになってくるが、まずは、私がなぜ「サムライ時間」を語るに至るのか、それを聴いてほしい。

 

自分の責任で入れ!「Enter at your own risk!」 

 

私は人間を合理的に、科学的に研究しようと日本の大学を卒業した後、理想に燃えて米国カンザス大学の大学院に入学した。北アメリカ大陸のど真ん中に位置するカンザス州は、ハートランドと呼ばれ、牧場や石油採掘場、畑がある大平原だった。

 

カンザスシティの空港からセスナ機で、大学のあるローレンスという町に向かった。上から見る景色は家もまばらで、牧場やトウモロコシ畑が広がっていた。こんな何もないところに、私は何年もいるのかと思うと、気が遠くなった。

 

大学のドーミトリー(学生寮)に入ることになった私は、部屋の鍵を渡され8階に向かった。エレベータのドアが開くと、そこはホールだった。目の前に、椅子や机が積み上げてあった。私が降り立ったとき、そこでは物が飛び交い、2つの陣営に分かれて戦争ごっこをしていた。

 

運の悪いことに、私は大学院生にも関わらず、院生が入る寮が満員で、大学1、2年生の寮に入ることになってしまった。

 

そこは男子寮で、「アニマルハウス」と呼ばれていた。大学1、2年のアメリカの学生というと、血の気がめちゃくちゃ多い。もうそこは、肉食動物の巣窟だった。

 

エレベータホールの両端には、ドアがあってそこを開けると、通路があってホテルのように部屋がある。ホールに面した通路のドアを開けようとしたときに、「自分のリスクで入れ」 (Enter at your own risk!)というアルファベットが私の目に飛び込んできた。ドアに、それが貼り付けてあったのだ。

ドアを開けた瞬間に、スキーのストックがバーンと飛んで来た。私は、とんでもないところに来てしまったのだ。かくして、私はアニマルハウスの一員となった。

 

2種類の生き方

大勢の学生と寮生活をする中で、面白いことに気がついた。概して、みんなニコニコしてフレンドリーだが、よく話してみると、特徴的な2種類の学生に分類することができた。

 

1.来世志向の学生

 寮に入った最初のころ、毎夜私のところに、来てくれる学生「トミー」がいた。彼は、私をベッドの上に座らせ、「ヒカルこうしろ」と、両手を出して左右の指を交互に重ね合わせ、お祈りのポーズを見せた。「これからお祈りをしてあげる」と。

 

私は手を合わせ、目を閉じお祈りのポーズをとると、私の両手の上に自分の両手を重ね、「今日この男の犯した罪を許したまえ」という。わたしは、「今日、俺なにも悪いことしていないよ」 「いや、生きているだけで罪なのだ」 私は、「あ、そうなの」

 

「ちゃんとお祈りをして許してもらえば、天国に行ける」という。この種の学生をなんて敬虔な人たちだろうと、最初は思ってしまった。だけど普段やっている行動は、品行方正でもなんでもなかった。聖書に書いてある、やってはいけないことを全部やるような学生もたくさんいた。

 

それを私が指摘すると、「懺悔をしたら許され、天国に行ける。また、グリーディ(欲深い)では、天国には行けない」と。私は、「すごい論理だな。懺悔をしたら天国に行けるのか。しかも天国を望むのは究極のグリーディではないか」 と、冗談交じりに言い合った。

 

米国の学生を非難しているのではない。フェアを尊ぶ素敵な学生もたくさんいる。私が言いたいのは、彼らにとって天国はリアリティをもって存在していたということなのだ。

 

2.未来志向の学生

もう1種類は、体を鍛え上げ、すごいエネルギーを持った活動的な学生だった。二言目には、「My life is ….」 (「私の人生は、こうする」)とトウトウと語る。ある学生は「事業を経営し成功させて、ジェット機に乗り大きな家に住んで」と言うし、またある学生は「牧場を持って、小さくてもいいからセンスの良い家に住んで」と夢を話す。自分の人生を語るのは、当たり前の文化だった。

 

「ヒカル、お前はどんな人生を送りたいの」と聴かれて、最初は何も答えられなかった。そういう話を聞きながら、天国志向の学生のことを考えていた。

 

「天国に行きたいのか」それとも「未来に物質的な成功をしたいのか」と自分に問うこととなった。あなたはどうだろうか?

 

私はそのどちらでもなかった。地獄へ落ちるよりはいいが、天国へ行きたいと熱望しているわけではない。また、経済的に成功して、別荘をいくつも持って、ジェット機に乗って、世界を飛び回りたいというふうにも思えなかった。

 

この2つの生き方のどちらでもない自分に、何か異質な感じがした。さらに、それに追い討ちをかけるように、自分が日本人であることを体験することとなった。アニマルハウスの学生たちと暮らすなかで、日本に関する質問を数多く受けた。私は、あたかも日本の代表のように質問に答える羽目になったのだ。

 

私のいたカンザス州は大陸気候で、冬は零下20度、夏は40度を超えるすさまじい気温だった。しかし、寮の地下にあるカフェテリアは、一年中、半袖Tシャツ一枚で過ごせるエアコンのガンガン効いた場所で、そこが日本代表の会見の場だった。

 

「日本の首都は上海、それとも香港?」と尋ねられる。「もう頭悪い!東京に決まっているじゃないか」 

 

「日本人は、死んだ魚を、生で食べているのだってね。信じられない」と、両手を広げて茶目っ気たっぷりに話すと、私はなぜか胸がドキッとした。

 

一呼吸おいて、「アメリカ人だって、カビの生えた食べ物(チーズ)や、腐った牛乳(ヨーグルト)、それに死んだ牛の肉を生焼けで、食べているくせに!」と言い返した。

 

また、「日本人は、藁(わら)の上で寝ているのだってね」 まるで小屋で寝ているウサギみたいではないか。むかっときて、一生懸命、畳の説明をしだすと、やはり、その中は藁でできていた。しかもウサギ小屋のように小さな家に住んでいた。

 

私たちは「藁の上で寝て、死んだ魚を、生のままで、食べている」民族だったのだ。

 

自分の人生を深く考えることもしなかった私は、「日本人とは何か」「自分の人生をどのように生きるのか」を真剣に考えるようになった。

 

かくしてアニマルハウスの学生との交流で、私は日本に目覚め始めた。次回は、自分の奥底に何があったのか、それをあなたと見ていきたい。