2007/11/12
2008.07.28
第5話 サムライ時間とは何か
カウントダウン時計
“北京オリンピックまで、あと240日”
国家プロジェクトになると、人の集まるところには必ず、このようなカウントダウンの時計が設置される。
私たちは、必ずやらねばならぬ目標には、終点を明確にし、その終点からカウントダウンして仕事をすることがある。つまり、締め切り日を設定し、そこから「あと何日」と数えながら生きるのだ。
今、北京では来年8月8日の北京オリンピックのために、さまざまな国家プロジェクトが動き出している。町の至るところに、カウントダウンの時計が設置されている。これは、政府だけではない。オリンピックに参加する選手も、過酷な訓練メニューをカウントダウンで消化している。
これは、終点を明確にすることで、生産性が上がることが、経験的に知られているからだ。不思議にもカウントダウンには、人間のエネルギーを高める作用があるのだ。
人生の終点
私たちの人生には、終わりがある。あなたの人生にもまた、終わりがある。
これは誰にでも訪れる決定的なものだ。有限な人生なら、あなたは何をするべきなのかを決めなければならない。さらにもし自分の人生に終点を設けることができるなら、あなたがやるべきことは明確になり、それを実現する力は飛躍的に大きくなるはずだ。
しかし自分の人生をカウントダウンする時計など存在しない。
なぜ死に直面するための時間哲学が方法論に昇華されてこなかったのか?
あなたは言うかもしれない。「当然じゃないか。確かに全ての人の命は有限だ。でもいつ死ぬかはわからない。わからないからカウントダウンできるはずがない」と。
でもそこには別の理由がある。
死は必ずいつか全ての人に訪れるにも拘わらず、それを意識することは恐怖だ。
実は、自分の人生の有限さに直面する恐怖を避けたい。もし私たちが有限の人生を意識しながら生きることができたらどうなるのだろうか?確かに恐ろしいことでもあるし、あなたは縁起でもないというだろう。
しかし人が最も怖れるものの中に真実があり、宝があるとしたらどうだろうか。
私は、その中に間違いなく宝があると思っている。
「三とう」という人生経験
本物の成功者になるためには、投獄、倒産、闘病のいずれかを経験しなければならないといわれてきた。このうちのどれかを体験することで、それまでの人生が変わり、志を持って社会に貢献するようになる人たちがいることは、歴史上の人物においても、私たちの人生の経験においても広く知られている。
西郷隆盛は投獄され自殺を図った経験もある。松下幸之助は長い闘病生活を送り、
会社倒産の危機にも瀕した。投獄されたり、経営する会社が倒産に瀕したり、あるいは長い間、闘病生活を経験するということは、その人にとって「社会的な死」を意味する。このような環境に暴力的に放り込まれることで、社会的な死に直面を余儀なくされてきたのだ。
人は終点を意識したとき、本来やるべきことに目覚める。なぜなら自分の人生に限られた時間しか無いことを意識するからだ。その究極が死に直面するということだ。
現代のサムライは、武士道の徳目を戒律のように生きるのではない。「サムライ時間」という新しい概念で生きることで、自分の世界に、それらが体験として現れ、味わいながら生きることになるだろう。
平家物語には、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。一重に風の前の塵に同じ」という文章が出てくる。この背景には、多くのサムライの人生があり、さまざまな人間関係の葛藤と戦いの中で、サムライが顕れ消えていった。
現代は、医療技術と食生活の改善が進んだ結果、平均寿命も80歳を超えるようになってきている。「人生の終わり」が私たちの意識から遠のいてしまっているのだ。
しかし私たちは無限に生きることはない。私たちは、いつも死の危険にさらされている。死によって私たちの人生が限定され、区切りを持っているが故に、限られた時間
を自分なりに工夫をこらして、充実させようと人間は努力するのである。
つまり死は、生にエネルギーを与えるものであり、生と死とは互いに編みあわさって、私たちの人生を創っている。人生の終点を具体性を持って意識することで、クロノス時間(実時間)に、カイロス時間の充実をもたらすことができる。
サムライ時間とサムライ時計
この人生の終点に具体性を持たせる哲学が、「自分の人生の終点、つまり天寿日を設定し、そこからカウントダウンしながら生きる」というものである。これをサムライ時間という。
このサムライ時間を刻む装置が、サムライ時計である。
サムライ時計では、自分の人生の天寿日を決めることで、天寿日まで「あと何日」という表示が出てくる。つまり、自分の人生をカウントダウンして生きることができるのだ。
次回は、このサムライ時計と、人生を豊かに鮮やかに生きるために、必要な機能を共に探求していきたい。
出口 光